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強く思う気持

今日は一日中、メールやら電話やらでの連絡業務に追われた。いろいろな案件が、同時進行で進んでいる。

その中でも、ここまで順調に準備が進んでいたものの、震災の影響で頓挫している企画がある。取材を伴うこともあって、ちょっと難しい判断を迫られているのだが、担当編集者さんとやりとりしている時、こんな風に書かれていたメールにぐっときた。

「山本さんが、“こんな本があったらいい! こういうのを作りたい!”と強く思う気持が、実現への一番の力になります。“欲しいものを作る”というのが、モノ作りの原点です」

そうなのだ。青臭い言い方かもしれないけど、情熱を注ぎ込んで、やり遂げてやろうと強く思う気持こそが、今のような困難な状況を打開する一番の原動力なのだと思う。自分が提案した企画に対して、こんな風に侠気を見せて協力してもらえることほど、心強いことはない。

燃えてきた。必ず、いい本にしてみせる。

ペン先の小さな神様

物書きという仕事に携わるようになって以来、長短合わせて、それなりにたくさんの文章を書いてきた。納得のいく出来の文章もあれば、いろいろな理由で悔いの残る文章もある。でも、本当の意味で自分の中にあるすべての力——記憶とか感情とか、何もかも含めて——を出し切ったと思えたのは、「ラダックの風息」を書いた時だったと思う。

あの本の草稿は、2008年の春から秋までの半年間をかけて書き上げた。当時はまだラダックでの現地取材を続けていたから、草稿の大半を書いたのもラダック。自分のパソコンは持って行かなかったので、取材の合間を縫って、小さな紙のノートに端から端までびっしりと、ページが真っ黒になるまでひたすら書き続けた。

あの文章を書いていた時の感覚は、僕がそれまで経験したことのないものだった。馴染みのカフェの席に坐り、ノートを広げ、ペンを握り、ページを見つめる。すると、周囲の視界が急に狭くなって、物音も小さくなる。頭の内側がじーんと痺れたようになり、ペンを持つ手が知らぬ間に動き、文字を書き連ねていく。まるで、ペン先に米粒大ほどの小さな神様が坐っていて、次はああ書け、こう書け、と指図しているかのように。

ラダックの風息」を書き上げた後、ペン先に小さな神様がちょこんと降りてきたことは、一度もなかった。どこがどう違うのか、僕自身にもわからない。でも、つい最近になって「もしかすると、あの神様が降りてくるかもしれない」と思える題材が見つかったような気がしている。まだどうなるか自分でもわからないけれど、また、あの時のような感覚で文章が書けるかもしれない。

大切だと思えること。伝えたいこと。それを、一心不乱に書く。

土屋智哉「ウルトラライトハイキング」

僕が住んでいる三鷹に、ハイカーズデポという小さなアウトドアショップがある。駅の南口から歩いて15分ほど、デイリーズが入っているのと同じビルの一階。たしか、2008年の秋、僕がラダックでの長期取材から戻ってきたばかりの頃にオープンしたんじゃないかと思う。

僕自身は、そんなに足繁くハイカーズデポに通って買い物をしていたわけではないのだが、他の店とはひと味違った、シンプルで軽快なウェアやグッズの品揃えは、前々から気になっていた。店主の土屋さんもアウトドア雑誌でよく見かけるようになり、先日、ついに「ウルトラライトハイキング」という本まで出されたのを知った。

ウルトラライトハイキングとは、アメリカの数百キロから数千キロに及ぶロングトレイルを踏破するスルーハイカーたちによって考案されたハイキングの手法だ。装備を徹底的に軽量化し、必要なアイテム数を最小限に絞り込むことで、装備を背負う身体にかかる負担を減らし、長い距離を快適に歩き続けることを目指しているのだという。

日本でこうしたテーマについての本を作ろうとすると、ウェアやグッズをずらずらと紹介するものになってしまいがちだが、この「ウルトラライトハイキング」は、そうしたカタログ的な本とは一線を画している。ウルトラライトハイキングとは、最新のハイテク素材で作られたおしゃれなグッズを揃えて悦に入ることではない。工夫を凝らしたシンプルな装備で山に分け入って、自然とのかかわりや一体感をよりダイレクトに感じ、愉しむという行為なのだ。この本ではウルトラライトハイキングについてのそうした考え方とともに、実践にあたっての基本的な知識が、わかりやすい形で紹介されている。ふんだんに添えられたポップなイラストも感じがいい。

僕がラダックでトレッキングをくりかえしていた頃は、装備と食糧は馬やロバに運んでもらっていたものの、自分自身は撮影機材が詰まったカメラバッグをひーこら言いながら担いでいたので、とてもウルトラライトとは言えなかったと思う(苦笑)。でも、現地で旅をともにしたホースマンたちの装備の潔さにはいつも感心させられていたし、厳寒期のチャダル・トレックに臨む前、友人のパドマ・ドルジェに「テントもストーブも必要ない」とこともなげに言われた時には度肝を抜かれた。ラダックやザンスカールの人々にとって、最小限のシンプルな装備で旅をすることは、日々の生活に直結したごく当たり前の知恵なのだけれど。

もう少しいろいろ落ちついてきたら、ひさしぶりに丹沢や奥多摩、奥秩父を歩いてみようかな。自分にできる範囲で、ウルトラライトに。

自分にできる仕事

計画停電が始まってからというもの、「今日は何時から停電になるんだろ?」と調べてから一日の行動計画を練っている。時間が制限されているせいか、普段より集中力が増して、妙に仕事がはかどる(苦笑)。今、自分が担当している分の執筆は、あらかたメドがついた感じ。このまま編集作業もうまく進んで、予定通りのスケジュールで校了できればいいのだが。

‥‥わかっている。今、自分がこうして本を作ったところで、被災地にいる人々の飢えや寒さを癒すどころか、不安を紛らすことさえしてあげられない。本当にくやしい。それでもいつか、何かの形で、ほんの幾許かでも支えにしてもらえたら、と思わずにいられない。今は、目の前にある仕事を、一つひとつ、やっていくしかない。

震災の後遺症で、日本中が内向き後ろ向きになって、出版業界もしばらくは厳しくなるだろう。でも、いつか、みんなが再び立ち上がって前を向こうとした時、手に取って読んでもらえる本があるように、今から新しい本を作る準備をしていく。それが、今の自分にできる仕事。

本と映画と

天気予報は雨だったが、一向に降る気配なし。近所の公園では、子供たちがキャッキャと走り回っている。

先週から読んでいたル=グウィンの「ギフト 西のはての年代記 I」読了。強すぎる「ギフト」を持つ者として目を封印された少年の葛藤と成長の物語。自分にできること=ギフトとは何なのか、考えさせられる一冊だった。

夜はApple TVで「オーケストラ!」という映画をレンタルして観た。ロシア・ボリショイ交響楽団のかつての天才指揮者だった男が、ひょんなことから、昔の仲間を集めて偽のボリショイ交響楽団としてパリに乗り込むという映画。ストーリーの背景にはずしりと重いものがあるのだが、映画自体にはたっぷりとユーモアがちりばめられているし、ラストの演奏シーンはまさに圧巻。観終わった後の解放感は爽快そのもの。

一冊の本、一本の映画が、心を解きほぐしてくれた一日。