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「書きたいこと」と「読みたいこと」

永井孝尚さんという方が書いた「会社員が出版社の編集者に会っても、なかなか本の執筆にたどり着けない二つの理由と、その克服方法」というブログエントリーを読んだ。

僕自身、以前「自分の本を出す方法」というエントリーで企画を練ることの大切さについて書いたことがあるが、永井さんのエントリーでも企画書の重要性が強調されている。加えて、本全体のストーリー構成力や、それを最後まで破綻なく書き切る力も必要だと書かれていた。プロの書き手にとっては常識に近いことだが、いつか自分の本を出してみたいと思い描いている人にとっては、参考になる内容だと思う。

ただ、一つだけ、「それはちょっと違う」と違和感を感じたことがある。

企画書を作る際のポイントは、「書きたいこと」ではなく、「読者が読みたいこと」を書くことです。当たり前のことですが、読者はお客様だからです。
(中略)
あくまで出版社からの商業出版をしたいのであれば、出版社もビジネスとしてリスクを取っているのですから、出版社のお客様である「読者が読みたいこと」を書くべきですよね。

永井さんには、「読者が読みたいこと」は商業出版にして、「自分が書きたいこと」は自費出版にすべき、という線引きがあるようだ。だが、僕はそうは思わない。自費出版は、少なくとも僕にとっては、出版社が抱えるさまざまな事情から、自分が思い描いたテーマや仕様での本を出すのが難しい場合に選ぶかもしれない選択肢の一つであって、「読者のニーズには合わないけど、自分が書きたいから」という場合のための手段ではない。

僕にとって本を企画する作業は、「自分が書きたいこと」を練りに練って、「読者が読みたいこと」に昇華していく作業だ。その両方が一致することが、幸せな本を作るために必要な条件だと思っている。出版社から企画を依頼された場合は、その企画の方向性を自分が納得できるものに近づけるための工夫と努力はするし、自分自身で企画を立てる場合は、「自分が書きたいこと」と「読者が読みたいこと」が一致しているという確信が持てなければ、出版社にプレゼンすらしない。

たとえ、それが売れそうな企画だからといって、自分が伝えたいわけでもない文章を書くことは、フラストレーションのたまる労働でしかない。本を書くことの本当の喜びは、自分が心の中で大切にしていることを書き、それを読者に届けて、ほんのちょっとでも心を動かすことに尽きると思うから。

苦を楽しむ

午後から氷雨が降り出して、寒い一日だった。

終日、部屋に籠って、ラダックの本の作業に取り組む。制作の手順の関係で、まずは本に収録する地図に必要な素材やデータの準備から。地図の作成自体は本職の方にやっていただくので、作成したい範囲を指定する画像や、その中に含まれる地名などのテキストを揃えていく。

ちまちまと細かい、果てしもなく地味な作業。他の人なら、退屈でメンドクサくてやってられない作業だろう。同じ場所なのに、地図によって地名が全然違うとかざらだし(苦笑)。でも、僕にとっては、こんな地味な作業でさえ、楽しくて仕方がない。自分自身がありったけの思いを込めて育ててきた企画に、やっと本腰を入れて取り組めるのだ。楽しくないわけがない。

苦を苦とも思わずに楽しめる。そこが、自分自身で立てた企画に取り組める時の醍醐味かもしれない。

桜の花が咲く頃に

午後、赤坂で打ち合わせ。これから作る新しいラダックの本について、担当編集者さんから現在の状況を聞き、細かいポイントをすり合わせていく。

基本的な条件面は申し分ないし、本づくりの方針についても、編集者さんと共犯関係が築けたので、いい方向に向かっていけそうな手応え。問題があるとすれば、スケジュールか‥‥。プロモーションの関係で、来年の初夏までに店頭に並べたいという要請。なら、もっと早く企画を承認してくれればよかったのに(苦笑)。まあ、やるしかないか。

打ち合わせが終わった後、赤坂から四ッ谷駅まで歩く。西の空が、燃えるような真紅に染まっている。土手の上の桜並木は、今はすっかり冬枯れだけど、桜の花が咲く頃には、新しい本のカタチができているといいな。がんばらねば。

無神経な広告

これは、僕自身ではなく、知人が体験したことなのだけれど。

先日、知人が書店で本を買った時、ちょっと変わったブックカバーをつけられたのだという。そのブックカバーには、ソニーの電子書籍リーダーの広告が印刷されていたのだ。

ソニーや広告会社からしてみれば、自社の商品を売り込みたい読書好きな人にアピールする意図でこういう広告を企画したのだと思う。でも、知人は、自分が楽しみに買った本にそういうブックカバーをかけられてしまって、何だか残念で寂しい気持になったのだそうだ。僕がその立場でも、同じように感じたと思う。

読書好きな人すべてが、紙の本も電子書籍も分け隔てなく受け入れているわけではない。また、両方を受け入れている人でも、紙の本を買う時には愛着のある「モノ」として欲しいと思うから買う場合が多いだろう。電子書籍の広告入りブックカバーを発案した人は、それで嫌な気持になる人も少なからずいるということまで、考えが及んでいなかったのではないだろうか。

はっきり言って、紙の本が好きな人にとっては無神経な広告でしかないと思う。ソニー、残念。

戦いの火蓋

午後、メールで吉報が届く。今、準備を進めているラダックに関する本の企画が、出版社内で承認されたという。

この本の企画は、今年の初め頃に出版社に持ち込んで、すぐに担当編集者さんについてもらえるなど、割と順調な滑り出し。五月頃までには新刊会議での承認を経て予算を付けてもらって、夏にラダックに取材に行く計画だった。ところが、三月の東日本大震災の影響で、その出版社内での企画の検討がストップ。編集者さんからは「取材は来年にしたらどうか」とも言われたのだが、そうすると、本を出すのが再来年になってしまう。僕はしばらく考えた末、新刊会議での承認を待たず、取材費を自腹で一時立て替える形にして、ラダックに取材に行くことにした。

正式な予算がついていないのに、見切り発車で海外取材。他の人から見たら、相当に無謀に思われるかもしれない(苦笑)。でも、僕としては十分に勝算があったし、前に「ラダックの風息」を書くために、出版社のアテも何もない状態で取材をした時の方がはるかに大きな博打だったから、それほど心配はしていなかった。

正式承認までずいぶん時間がかかってしまったが、発売予定の来夏までには、まだまだ時間がある。戦いの火蓋が、いよいよ切って落とされた。