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日々是原稿

二週間半ほど前から、新しい本の原稿の執筆に、本格的に突入した。

自宅では相方がリモートワークをしなければならないので、僕は隣駅の吉祥寺にあるコワーキングスペースのブース席で、十時半から五時頃まで、原稿を書いたり、推敲をしたり、といった作業をしている。自宅ではない場所での執筆にも、だいぶ慣れてきて、割とちゃんと集中できるようになった。マスクをしなければならないのが、だいぶ鬱陶しいけれど。

とはいえ、まだ二万字くらいしか書けてないので、この先の苦難を想像すると、ちょっと茫然としてしまう。自分の書く原稿が、本当にこれで大丈夫なのか、ベストの形なのか、最終的に判断できるのは自分しかいない。絶対に手は抜きたくないのだが、逆に、どのレベルに到達すれば自分で自分にOKが出せるのか、自信も確信も正直言って全然ない。どうすればいいのかなあ……毎度のことではあるのだが。

とはいえ、逃げることもできないし、やれるだけ、やるしかないか。よし、やろう。

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川内有緒『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』読了。白鳥建二さんという全盲の美術鑑賞者の方と全国各地の美術館を巡るという本なのだが、読み始めからは想像できないくらい、僕たちが常識と思い込んでいるところとは違う領域に踏み込んでいく。僕たちはこの世界のありようも、互いのことも、本当には何一つわかっていないのだけれど、そのわからなさを抱えたまま、互いが互いを少しずつ思いながら、同じ列車で何処かに向かっているのかもしれない。読み終えた後に、そんなぬくもりがふわっと残った。

通勤生活

今週から、ある種の通勤生活を始めることになった。前に一度、お試しで利用した吉祥寺のコワーキングスペースを、しばらくの間、平日の日中限定のプランで月極契約して使っていくことにしたのだ。新しい本を少なくとも一冊、来年出すことが決まって、そろそろ本格的にその執筆に取り掛からなければならないので。

西荻窪から吉祥寺までは、天気がよければ歩いていく。バッグには、ノートPCとその日必要な紙の資料(昔のノートなど)。行きしなにコンビニでサンドイッチや無糖カフェオレとかを適当に買い、コワーキングスペースのブース席に籠って、ひたすらカタカタ、PCのキーボードを叩く。夕方頃まで作業して、また歩いて西荻窪まで戻り、家で晩飯の支度をする……といった具合。

実際にやってみると、いろいろ新鮮。取材以外のデスクワークで別の作業場に通うというのがまず自分的にはとても珍しいし、コワーキングスペースのブース席は必要十分なぼっち感があって(あと、場所代を払ってることもあって)作業に集中できる。これから数カ月間は、こんな感じで執筆を進めていこうと思っている。

執筆が佳境にさしかかったら、また旅館カンヅメ合宿もやろうかな。このめんどくさいご時世、自分なりに無理のない範囲で、楽しみながら働きたい。

その時が来たら

昨日は出版社で編集者さんと打ち合わせ。先日他の出版社で承認された企画とは別の、もう一冊の本の企画について。

こちらの企画は、まだ完全に決まったわけではないのだが、首尾よく承認されれば、すでに決まっている企画とある程度並行する形で作業を進めていくことになる。ただ、こちらの企画の本は、最終的には現地での取材もしておかないと、仕上げられない。だから、どんなに早くても、世に出るのは再来年くらいになる。先の長い話だ……。

まあでも、インドでは今月から観光ヴィザの発給を段階的に再開していくようだし、国と国との間を行き来する際の検査や隔離措置などのルールがもう少し軽減されれば、海外に取材に赴くことも、再び現実的になってくるのだろう。ぶっちゃけ、そうなったらそうなったで、今までの仕事柄、いろんな取材案件が一気に押し寄せてきて、しばらくはろくに日本に留まれなくなる可能性もある。そうなると、原稿の執筆時間も満足に確保できなくなってしまうわけで……。どう転んでも、何かしら困ることは起こるのだろう。

ともあれ、もうしばらくは様子見というか、待ち、だな。その時が来たら、きっちり無駄なく動けるように、抜かりなく準備しておこう。

再始動

昨日、出版社から、九月初めに提案していた新しい書籍の企画が採用されたという連絡があった。まずは、一冊確定。もう一つ、別の出版社に別の本の企画を提案しているのだが、それはさらに長丁場の制作になりそうなので、まずは先に決まった今回の本の方を、先行させて書いていくことになる。

発売時期は、たぶん来年。いつになるかはわからないが、あまり早いタイミングではないだろう。何しろ、今回も100パーセント書き下ろしの企画なので、現時点では、この世に原稿は一文字も存在していないのだ(苦笑)。これから数カ月間、自分自身の内側にある言葉の沼に潜り続けるような、しんどい日々が続くことになる。

しんどいことは百も承知だけれど、楽しみではあるし、楽しくもある。でも、まあ、やっぱりしんどい(苦笑)。この、新しい本に取り組む時の得体の知れないプレッシャーには、たぶんいつまでたっても慣れることはないだろう。

ともあれ、再始動だ。がんばります。

ムネ・ツェンポ

去年の秋に買った、亡命チベット人医師ツェワン・イシェ・ペンバによる長編小説『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』。ダライ・ラマ六世の詩句を表題にしたこの壮大な物語、自分の本の作業に追われてなかなか手に取れなかったのだが、夏頃からじっくり少しずつ読み進めて、一昨日、最後まで読み終えた。フィクションではあるが、ある意味、ノンフィクション以上に当時のチベットのニャロンの人々の生き様を鮮やかに描き出した、凄い小説だった。

この小説の中で、印象深い場面はいくつもあるが、読み終えた後もずっと脳裏に残り続けている場面が、一つある。それは、物語の舞台となるタゴツァンの谷を占領した中国人民解放軍の政治委員タン・ヤンチェンと、村はずれにあるサンガ・チューリン僧院の高僧タルセル・リンポチェとの会話だ。

「新しい中国は、すべての人々が平等の権利を有し、平等を享受できる国になる」と力説するタンに、リンポチェは言う。「それは実に素晴らしい。我々のかつての王、ムネ・ツェンポの思想とまったく同じだ」と。

八世紀末頃に在位した古代チベットのこの王は、国内に蔓延していた貧富の差をなくすために、自身の分も含め、すべての土地と財産を分割して平等に分け与えた。だが何年か経つと、商才のある者は再び財産を増やし、ない者はまた貧困に陥るようになり、社会の格差は元に戻ってしまった。ムネ・ツェンポは二度、三度と土地と財産の分配を行ったが、そのたびに、しばらくすると国内の貧富の差は元に戻ってしまう。最後には、王による分配を止めるため、ムネ・ツェンポは暗殺されたと伝えられている、と、リンポチェはタンに語る。

タンとリンポチェの対話は、この後も平行線を辿ったまま続くのだが、このくだりを読んでいて、これはある意味、現在の中華人民共和国にもあてはまるな、と思わずにいられなかった。かつて、すべての人々に平等をもたらすという理想に燃える人々が建国したはずのこの国には今、世界でも類を見ないほど極端な貧富の差がはびこっている。人権の面でも平等にはほど遠い。チベットや東トルキスタンでの民族浄化は止まず、香港の民主化運動は文字通り叩き潰された。文化大革命の頃の危うい空気が、最近の中国には再び戻ってきているように感じる。

中国は、そしてチベットは、これから、どうなってしまうのだろう。