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本の置き場所

先週までに本の草稿を最後まで書き上げ、今週はもっぱら確定申告の準備をしていたのだが、それもあらかた終わったので、ひさしぶりに、本棚の整理に手をつけた。

確定申告の準備をしていて、新聞図書費の支出額で実感したのだが、ここ数年、本の購入冊数が明らかに増えた。コロナ禍で自宅にいる時間が増えたことや、自宅のテレビを処分したことで読書時間が長くなったことなどがあると思う。それはそれで良いのだが、問題は、本の置き場所である。

僕は以前からスライド書棚を使っているのだが、書棚だけではとっくの昔にしまいきれなくなっているので、ダイソーの収納ボックスに詰めてソファの下に逃がしたり、枕元の空きスペースに置いたり、明らかにもう読まないだろうなという本は古本屋に持って行ったりしている。それでも、書棚にできた隙間は、あっという間に埋まっていく。今住んでいる自宅もそんなに広くはないので、デッドスペースも早晩なくなってしまうだろう。本だけでなく、アウトドア用の服や装備、カメラ機材など、いろいろあるので。

壁一面、床から天井まで書棚になってるような家にも憧れはあるのだが、たぶんそういう書棚も、あっという間に埋まってしまうのだろうな。

理髪店でのカミングアウト

一昨日、ひさびさに散髪に行った。忙しいやら何やらで、二カ月以上ぶり。髪はもう伸び放題のざんばらだったので、思いっきり短くしてもらうことにした。

ほかのお客さんとの都合で、僕は髪を切る前に顔を剃ってもらうことになった。背もたれを倒した椅子の上で仰向けになり、顔にシェービングフォームを塗られ、剃刀を当ててもらう段になって、お店の人が急に「あの、私、今、『冬の旅』を読んでいて……」と語り始めたので、びっくりした。

確かに、前に来た時に僕の仕事の話になり、今まで書いた本のタイトルを訊かれたので、伝えたことはあったのだが。まさか、理髪店で顔を剃られながら、自分の書いた本の感想を受け止めるはめになるとは、想像もしていなかった。

今まで、行きつけのごはん屋さんとかで、読後の感想をちらっと聞く機会はあったけれど。世の中のほかの作家の方々も、こういう経験をされてるのだろうか。

いやあ、びっくりした。でも、本当に、ありがたいことだと思う。お店の方、まだ読んでる途中とのことだったので、最後まで楽しんでもらえたら。

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セバスチャン・サルガド『わたしの土地から大地へ』読了。世界でもっとも著名なフォト・ジャーナリストであるサルガドが、自身の半生を語った本。僕も二十代初めの頃に彼の写真を目にして、その後の人生に少なからず影響を受けた。写真の撮影技術や感性はもちろんだが、彼の本当の凄さは、何を撮るべきかを判断する際の聡明さと、被写体に対峙する際の妥協のない誠実さ、そして個々の取材をまとめて一つのプロジェクトとして推進していく際の実行力にあるのだな、と感じた。サルガドが八年の歳月を費やして取り組んだ『GENESIS』のプロジェクトで、世界各地の原初の自然や少数民族の生活を取材した際の述懐が、僕自身がこの十年来のラダックやザンスカールでの取材で感じていたことと驚くほど近いものだったので、自分は間違っていなかった、と少しだけ自信になった。

ほっと一息

去年の11月から書き続けていた、新しい本の原稿。昨日の夕方、予定していた最後のあとがきまで到達して、草稿がとりあえず完成した。

ほっとしたなあ、というのが正直なところ。前作よりやや少ないとはいえ、全部合わせて9万字にもなる原稿だったので、最後までぶれずにちゃんと書き上げられるのか、それなりに不安もプレッシャーもあった。自信は、今もあまりない、というか、ますますなくなっている。人に読まれるのが正直怖い(苦笑)。

でもまあ、本職である以上、そんな泣き言も言ってられないので、これからは粛々と、推敲とリライト、そして編集作業に取り組んでいこうと思う。良い本にせねば。

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谷崎潤一郎『文章読本』、三島由紀夫『文章読本』、ともに読了。最近は、文章や写真の基本的な技術について、自分の状態をしっかり見直していこうと思っている。そういう目的で読むには、この二冊はとても良かった。どちらの本も、日本語で書く文章の特性をきめ細かく分析した上で、より良い文章を書くための心得を丁寧に説明してくれている。自分がこれまで感覚的に身につけていたことを論理的に裏付けしてもらえたり、あやふやになりがちな部分を整理してもらえたりといった収穫があった。変に今風の文章術の本を読むより、この二冊の方が、よほどためになると思う。

ゴールは何処に

年が明けてから、かなり根を詰めて、本の原稿を書き続けてきた。そのせいで、一昨日あたりは疲労困憊MAXな状態だったが、作業自体はかなり先が見えてきた。草稿が完成するのは、たぶん二月上旬頃になるだろう。

ただ、今回の本の場合、草稿が完成した後の作業をどう進めるかで、少し悩んでいる。今回は、あるテーマに沿ったエピソードを集めた短編集のような趣向の本なのだが、一冊の本として全体をどうまとめあげるか、大きな構成の検討から細かな表現の調整まで、詰めていく余地がかなりあると感じている。こだわればこだわるほど、完成度は上げられると思うのだが、どこまでやればいいのか、ゴールを何処に設定すればいいのか、自分の中でも確信が持てないでいる。

なんだかんだで、草稿を書き上げた後も、あーだこーだと悩み苦しみ続ける日々が続くのだろうな……。毎度のことではあるが。

半歩ずつでも

フリーランスの身ではあるが、今日から一応、仕事始め。いつものように、朝から吉祥寺のコワーキングスペースに籠って、本の原稿を書く。

巷では、コロナ禍が再燃しつつあるようで、新規感染者数も倍々のペースで増えつつあるようだ。そう遠くないうちに、また、いろいろ面倒な雰囲気の世の中に戻るのだろう。そう考えると、気が滅入ってきそうなものだが、僕自身は、割と普通というか、まあ、ある程度予想された状況でもあるし、しゃーない、という感じで構えている。

そうしていられるのは、いくつか理由があると思う。家では、真面目な話からたわいもない話まで、家族にいつでも、何でも話せるということ。仕事では、一昨年から昨年、そして今年と、何だかんだでずっと本を書き続けられているということ。そうして作った本を読んでくださった読者の方々から、日々いろいろな感想を寄せていただいているのも、本当に支えになる。

僕の本づくりのペースは本当にゆっくりだし、一歩々々進んでいるかどうかも怪しいけれど、たとえほんの半歩ずつでも、目指す方向に進んでいけたらと思う。周囲の人々を支えたり、逆に支えられたりしながら。

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池亀彩『インド残酷物語 世界一たくましい民』読了。主に帰省中の新幹線の車内で読んだのだが、興味深い内容だった。今まで何度となくインドに行った経験のある自分でさえ、知っているようであやふやなままだった、インドという国の複雑怪奇な社会構造と、そこから生じる問題や軋轢の数々が、著者に身近な人々の実例を交えて、リアルに、かつわかりやすく紹介されている。数千年前からの執拗なしがらみに囚われ続けている人々が、それでも生き抜くために身につけた、しぶとさ、しなやかさ、したたかさ。普段からインドに関わりのある人や、まだ関わりはないけど興味を持っている人には、読んでほしい一冊。