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本の勝ち負け

本の価値というものは、当たり前だが、単純な尺度では測れない。何十万部も売れているベストセラーよりも、500部しか刷られていない私家版の詩集に心を深く揺り動かされることだってある。本から感じ取ることは、人それぞれ。本と本の間には、たぶん、勝ち負けなんてない。

ただ、作り手の側にとっては、勝ち負けを感じることもあるかもしれない。

たとえば、出版社から「あの会社のあの本が売れてるから、ああいう感じのやつを作ってくださいよ」と言われてしまった時。内容であれ、デザインであれ、他社の売れてる本のアイデアをパクるのは、どんな事情があるにせよ、作り手としては恥ずべき行為だ。たとえそれなりに売れたとしても、最初にパクってしまった段階で、その本はとても不幸な負い目を背負ってしまう。その時点で、決定的に負けだ。

そういう本はやっぱり、世の中に出すべきではないと、僕は思う。何よりも、その本と、それを手にしてしまった読者がかわいそうだ。

佐々涼子「紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている」

「紙つなげ!」2011年3月11日に起こった東日本大震災で、宮城県石巻市にある日本製紙石巻工場は津波による壊滅的な打撃を受けた。日本製紙は、国内で流通する出版用紙の約4割の生産を担っているという。その中核となる石巻工場の被災は、大げさでも何でもなく、日本の出版業界の行末をも左右しかねない一大事だった。

この「紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている」は、そうした絶望的な状況に追い込まれた石巻工場の従業員たちが、途方もない努力と工夫の積み重ねで、ついに工場の復興を果たすまでを描いたノンフィクションだ。著者の佐々さんは、徹底した取材と検証に基づく冷静な筆致で、けっして綺麗ごとだけではない当時の石巻工場の様子をぐいぐいと追っていく。

本づくりを生業としている僕も、震災が起こった当時、仕事についてはまったく先の見えない状態だった。それまで順調に準備を進めていた「ラダック ザンスカール トラベルガイド」は、新刊会議での企画承認を経て取材費などの予算がつくのを待つばかりの状態だったのに、震災のために企画承認プロセスが一時凍結されてしまった。「紙とインキがやばいらしいんです。どちらかが供給されなくなれば、本は作れませんからね‥‥」と、担当の編集者さんが弱ったように呟いていたのを憶えている。紙とインキがなければ、本は作れない。そんな当たり前のことさえ、それまでの僕には本当にはわかっていなかったのだ。石巻工場をはじめとする被災した製紙工場やインキ工場の動向によっては、本づくりの仕事で生活していけなくなる可能性すらあった。

だから、その後被災からの復興を果たしたそれらの工場の人々には、本当に頭が下がる。復興のためのさまざまな努力はもちろん、日々確実に紙やインキを作り続けてくれる、その不断の努力にも。一冊の本には、たくさんの人々の見えない努力が詰まっているのだ。

先日上梓した「撮り・旅! 地球を撮り歩く旅人たち」に使っている本文用紙は、b7トラネクスト。日本製紙が誇る嵩高微塗工紙は、軽さと風合いと印刷の美しさを兼ね備えていて、あの本にうってつけだった。素晴らしい紙を作ってくれて、ありがとう。

三井昌志「写真を撮るって、誰かに小さく恋することだと思う。」

torukoi昨日の昼、銀座のキヤノンギャラリーで開催されていた三井昌志さんの写真展にお邪魔した時、会場で先行販売されていた三井さんの新刊「写真を撮るって、誰かに小さく恋することだと思う。」を買った。たぶん書店の店頭には、八月中旬頃から並びはじめるのだと思う。

三井さんには「撮り・旅!」にもミャンマーの旅の写真と文章を提供していただいているし、それ以前からサイトも拝見していたので、この本に収録されている写真の中には、僕にとって結構なじみ深いものも少なくなかった。でも、小ぶりでかわいらしいこの本を開いてみると、いい意味で、全然違うのだ。ページをめくるたびに、写真とそれに添えられた短い言葉から、ふわっとたちのぼる気配。めくればめくるほどそれは濃くなっていって、懐かしいような、せつないような、そんな気持で胸がいっぱいになる。写真集という形だからこそ伝えられるメッセージが、この本には込められている。

「写真を撮る時は、とても素直に撮っています。奇をてらわずに、被写体となる人の一番いい表情をそのまま撮っているんです」と、「撮り・旅!」のインタビューで三井さんは話していた。たぶん、旅をする時に一番大切なのは、写真を撮っても撮らなくても、その国の土地や文化や人々に無垢な気持で向き合い、好きになっていくことなのだ。そうした無垢な気持を忘れずに旅をしているからこそ、人々は三井さんに心を許して、素晴らしい表情を見せてくれる。まるで、小さな贈り物をさしだすように。

この冬にはまた、三井さんの新しい旅が始まる。今度はどこで、どんな「恋」に落ちるのだろうか。

棚を眺めて

昼、銀座へ。三井昌志さんの写真展を観る。その後は銀座と有楽町、六本木の書店を回り、それから中央線で立川に移動して駅周辺の書店を訪ねる。

ここしばらく、たくさんの書店を矢継ぎ早に訪ねていてあらためて思うのは、そのお店の棚を眺めて回れば、そこの書店員さんの技量が何となくわかるということだ。それは巨大な床面積のメガ書店でも、お洒落なインテリアの書店でも、小さな町の本屋さんでも関係なく、棚がどんな風に整えられているかによって、その書店の価値は決まるように思う。

別に、無理に天衣無縫な文脈棚とかでなくても、オーソドックスな整え方で構わないのだ。次から次へと送られてくる新刊を捌きながら、どんな風に並べるとお客さんにとってわかりやすく、気持を惹き付けられるか、丁寧に見定めながら整える。そういう意図が透けて見える棚は、眺めていても気分がいいし、いろんな発見や出会いがある。同じジャンルの本を無造作に突っ込んだだけで、帯やカバーがよれていてもほったらかしだったりすると、何だか残念だな、と思ってしまう。

考えてみれば、すごいスキルを要求される仕事なのだ、書店員さんって。書店の棚から学ぶべきことはたくさんある。

書店回り

ここ数日、「撮り・旅!」の件で、都心の書店回りを続けている。新宿、池袋、渋谷、丸の内、神保町、吉祥寺‥‥。炎天下の中、汗を拭いつつ、ふうふう言いながら歩き回っている。

著者や編集者による書店営業は、出版社によってはあまり快く受け取られないふしがある。本を売ることについては版元に任せてほしい、という考えなのだろう。今度の本の出版社では別に悪く思われてはいないようだが、営業担当の方に同行して書店を回るという申し出は、やんわり断られた。まあ、邪魔だよね(苦笑)。他に山ほど担当の刊行物があるわけだし。なので、僕は一人で回っている。

今回の本では、販促用のポップを印刷して、それを各書店に配って回るという戦略を僕の方から提案した。たとえば、ある書店に5冊ほど配本されていたとして、それらが最初から棚差しにされているか、それとも面陳や平積みにされてポップが添えられているかでは、お客さんを惹き付ける力に、天と地ほどの差がある。そしてそれは、著者や編集者が直接書店に挨拶に伺って、本の内容をきちんと説明し、ポップを手渡すことで、ひっくり返すことができるはずの差なのだ。

広大な水田に、苗を一本々々、手で植え付けていくような、地味で気の遠くなる作業かもしれない。立ち枯れてしまう苗も多いかもしれない。でも、いくつかの苗は、きっと実りをもたらしてくれるはずだ。

さて、明日もがんばろ。