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旅の荷造り

昼の間に、手元に溜まっている最後の原稿をどうにか書き上げる。近所の中華料理店で回鍋肉を食べた後、来週水曜からの旅の荷造りに着手。

Eチケットやバウチャーなど必要な書類を確認して2セット揃え、貴重品関係とまとめる。一番大きなダッフルバッグにスノーブーツを入れ、厳寒期用の衣類と小物と下着類。タオル、洗面道具、常備薬などを詰めていく。撮影機材は大きい方のカメラザックに詰める。こういう作業をしながら、カメラのバッテリーを1本ずつ、全部で7本充電する。足りないもの、買い足した方がいいものもいくつかある。明日、買いに行ってこなければ。

めんどくさい、荷物重たい、やだなあ、と思いつつも、少しずつ、旅のスイッチがオンになっていく。もうすぐだ。まだ、見たことのない世界へ。

初期化して再構築

ここ数年、仕事の隙間を縫うようにして、アラスカに少しずつ通っている。あと3週間ほどしたらまた、彼の地へと飛ぶ予定だ。

「ラダックの次は、アラスカをやるんですか?」という風によく訊かれる。そうである部分もなくはないけど、その通りとも言えない。まず、ラダックとはこれからも、ライフワークというか、自分の担うべき役割を果たすために、ずっと関わり続けるつもりでいる。アラスカでの取材は、ラダックとは別の基軸に位置付けて、並行する形で取り組んでいる。ただ、ラダックでこれまでやってきたやり方と、アラスカでこれからやろうとしているやり方とは、自分の中では、かなり違う。まったく別のアプローチを試みていると言ってもいいかもしれない。

その違いは、目先のテクニックやノウハウではなく……自分以外の他者、周囲の世界そのものに対する、向き合い方や考え方の違いなのだと思う。ラダックでの日々も含めて、今まで生きてきた中で積み重ねてきたものを、ばっさりと全部初期化して、ゼロから再構築していくような……。そうして初期化して再構築した結果が、これまでの自分と全然違うものになるのか、それとも同じ答えに行き着くのか、まだわからない。本当に答えが出るのかどうかも、わからない。再構築しきれずに、ボロボロと崩れてしまうのかもしれない。

答えの見えない、闇の中へ。怖いし、不安だし、迷いもある。でも、やっぱり、進むしかないんだろうな。

次の旅へ

去年の10月末にタイでの取材を終えて戻ってきてから、かれこれ2カ月半、日本にいる計算になる。散髪に行っても、コーヒー豆を買いに行っても、行く先々で「あれ、まだ日本にいるんですね」「次はいつ、どこにですか?」と聞かれる(苦笑)。

次の旅は、実はもう決まっている。必要な手配もほぼ済ませた。3月上旬に一週間。目的地は、アラスカ。原野の真っ只中にあるウィルダネスロッジに、数日間、滞在させてもらう。今回はキャンプではないので、幕営の装備や食糧を持っていかなくていいから、かなり楽だ。これまでに比べると、ちょっと甘ちゃんの計画(笑)。

とはいえ、まだ雪がたっぷり積もっているはずの極寒の原野。油断してると、間違いなく痛い目に遭うだろう。ぬかりなく準備して、気を引き締めて、あらゆるものを見て撮って感じて書いて、楽しんでこようと思う。

孤独の意味

「誰もいない原野の真っ只中で、たった一人でいることが、嬉しくて、嬉しくて、仕方なかった」

20年以上前、ある人が、ある人と、ある人について話した言葉。当時、それを耳にした僕は、その意味がまったく理解できなかった。でも、今はたぶん、ほんの少しだけ、その真の意味が理解できるような気がしている。

危険をかえりみずに冒険をしたことを後で人に自慢しようとか、そんな薄っぺらい気持では断じてない。他の人間と関わるのが嫌で一人になりたかったというのとも違う。たった一人で、誰もいない原野にいる。でも、つらくはないし、寂しくもない。完全な孤独の中に身を置くからこそ、理解できる感覚。世界のすべての存在の中で、自分はそのほんの一部分に過ぎないということ。

あの感覚を、人に説明するのは、とても難しい。

振れ戻った針

昨日深夜にバンコクを発ち、今朝、東京に戻ってきた。

毎年この時期に約4週間、取材でタイを回るのも、今年で4回目。これだけ回数を重ねてくると、どこの街も何度か訪れているので、少しは土地勘がついてくる。取材先を効率良く回る道順や、真っ当な宿や安い食堂がある場所も。それでも、乾季の入口の時期とはいえ、あのぎらぎらした陽射しと肌にまとわりつく湿気の中を、毎日歩いたり自転車をこいだりして街を回るのは、体力的にも気力的にも、かなりきつかった。歩き回るうちに汗すら出なくなった首筋や手足の肌には、ざらざらと塩の結晶が噴き出してくる。日に三度、英語の看板もないような簡素な食堂や屋台でありつくタイ料理と、夜、宿の部屋で飲むチャーンビールの500ml缶が、気持の支えだった。

ただ、今になってふと思うのは、8月から9月にかけて旅した南東アラスカの旅で、あまりにも自分の予想を上回って振り切れてしまっていた針が、汗と塩と埃にまみれてタイを旅して回っているうちに、少し振れ戻ってきたような気がする、ということだ。忘れたわけではないけれど、アラスカとは何もかも違いすぎる世界を旅したことで、自分の中での受け止め方に少し余裕が生じたというか。このあたり、うまく言えないのだが。

とりあえず、ぎらつく陽射しと湿気から解放されて、身体がほっとしているのは間違いない。少し身体を休めて、またがんばります。いろいろ。