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旅立つ前の憂鬱

気がつけば、二週間後には、またインドだ。ほんの四カ月前まで、二カ月もインドにいたのに、またしても。何だか茫然としてしまう。

今度の滞在は、約六週間。旅の後半は、勝手知ったるラダックでのツアーガイド業務なのでまだ気が楽なのだが、旅の前半は、灼熱と混沌のデリーから始まって、未踏の地への三週間弱の旅になる。どうなることやらわからないが、楽な道程ではないことだけはわかっている(苦笑)。

で、八月中旬にインドから日本に帰ってきて、そのまた十日後には、アラスカに行く。期間は十日間で、これまたどうなることやらわからない旅なのだが、楽ではないことだけはわかっている。まず、滞在する場所に、人間がいない……(苦笑)。

そんなわけで、足かけ二カ月くらいの間、ほぼずっと旅に出ることになっている。

目的地がそういう大変そうな場所だからというわけでもないのだが、長い旅に出る前は、どことなく、憂鬱な気分になる。東京の自宅での、せわしないけれどそれなりに快適な日々から、毎日何が起こるかわからない、何が起こってもおかしくない世界の中へ、文字通り、突っ込んでいく。しんどいなあとも思うのだけれど、そうやってぼやいてる自分を、どこかで面白がっている自分もいる。快適至極な旅に憧れもするけれど、酔狂な旅だからこそ自分らしくいられるのかもしれない、ということもうっすら自覚している。

仕方ない。そういう生き方を、選んでしまったんだから。

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ポール・オースター『写字室の旅/闇の中の男』読了。前に買ってはいたが未読だった本を、オースターの逝去を機に手に取った。もとは別々の作品として発表された二冊が、のちに一冊にまとめられたものだという。『写字室の旅』は、密室に閉じ込められて監視されている老人が、かつて彼が書いたと思われる物語の登場人物たち(そして彼らはオースターの作品の登場人物たちでもある)の訪問を受けて……という、非常に凝った構造の物語。『闇の中の男』では、かつて著名な書評家だった老人が、夜に自室で眠れないまま、内戦状態に陥ったアメリカを舞台にした物語(その中で彼は、物語の命運を握る者として暗殺の標的にされる)を思い描いたり、亡き妻や近しかった人々への追憶に思いを馳せたりする。どちらも、物語の登場人物が実在化して書き手自身に関わってくるという図式は共通している。それらの書き手や登場人物たちはすべて、オースターの作り出した存在でもある。

終盤に書かれていた次のくだりは、長きにわたって常に創作に身を投じ続けていた、オースター自身の独白でもあるのかな、と思う。
「三十五、三十八、四十、あのころはなんだか、自分の人生が本当に自分のものじゃないみたいな気がしていたんだ。自分が真に自分の中で生きてこなかったような、自分が一度も現実だったことがないような。現実ではないがゆえに、自分が他人に及ぼす影響もわかっていなかった。自分が引き起こしうる傷も、私を愛してくれる人たちに自分が与えうる痛みもわからなかった。」

『旅は旨くて、時々苦い』

『旅は旨くて、時々苦い』
文・写真:山本高樹
価格:本体1200円+税
発行:産業編集センター
B6変型判240ページ(カラー16ページ)
ISBN 978-4-86311-339-8
配本:2022年9月中旬

異国を一人で旅するようになってから、三十年余の日々の中で口にしてきた「味の記憶」を軸糸に綴った二十数篇の旅の断章が、『旅は旨くて、時々苦い』という一冊の本になりました。一部の書店では、特製ポストカード2種1組とセットにして販売されます。ポルべニールブックストアでは、サイン本と特製ポストカードのセットを店頭とWebショップで販売していただく予定です。よろしくお願いします。

「アラスカの無人島で過ごした四日間」

以前、「バター茶の味について思い巡らすこと」というエッセイを執筆した金子書房のnoteに、新しいエッセイを寄稿しました。「アラスカの無人島で過ごした四日間」という文章です。同社noteで組まれている「孤独の理解」という特集のテーマに沿う形で執筆しました。

よかったら、読んでみていただけると嬉しいです。よろしくお願いします。

ハウィーのこと


アラスカのカリブー・ロッジの愛すべき黒犬、ハウィーが、虹の橋を渡ったという報せが届いた。

カリブー・ロッジには、2017年の3月と、2018年の8月に、それぞれ数日ずつ滞在したことがある。最初に到着した日、一人でロッジ周辺の雪原の散歩に出かけた時、道案内をしてくれたのは、ハウィーだった。僕の10メートルほど前をぷらぷらと歩いて、立ち止まっては僕をふりかえる。僕の散歩につきあってくれていたのか、それとも、僕がハウィーの散歩にお供させてもらっていたのか。

初めて会った時から、まったく人見知りをしない犬だった。ラブラドール・レトリーバーとジャーマン・シェパードの混血だったハウィーは、僕がキャビンから外に出るたび、跳ねるように駆け寄ってきて、どすっと足元に体当たりして、頭をすりつけ、ウッドデッキに寝転がって、おなかをなでてくれとせがんだ。僕だけでなく、ほかのどの客に対しても。本当に、人なつこい犬だった。

ハウィーは、賢い犬でもあった。ベアー・ポイントという小高い丘の上まで、スノーシューを履いて登った時、頂上の近くに、純白の雷鳥の群れがいた。ハウィーの飼い主でカリブー・ロッジのオーナーでもあるジョーが、「ハウィー、待て」と小声で言うと、ハウィーは僕たち二人の後ろに下がって、吠えも動きもせず、僕が雷鳥の写真を撮り終えるまで、じっと待っていてくれた。

いつかまた、カリブー・ロッジに行きたい。ハウィーにまた会いたい。そう思いながらも、コロナ禍で身動きができないままでいるうちに、ハウィーにはもう、会えなくなってしまった。どうしようもなく寂しいけれど、ハウィーはきっと、ジョーやザック、彼らの家族たちに見守られて、穏やかに旅立っていったのだと思う。

さよなら、ハウィー。本当に、ありがとう。

再び極北へ

来年の夏の終わり頃に計画しているアラスカへの旅の準備を、少しずつ始めた。まだ、おおまかな日程を考えて、現地に問い合わせを入れた程度だが。

今年は、年明けにザンスカールで結構厳しい取材に挑んで、その時の話を本にするために今も原稿を書いているところなので、正直、アラスカの方に振り分ける時間と余力が、まったくなかった。来年の春までに今取り組んでいる本を無事に完成させられれば、夏以降はある程度余裕ができるはずなので、来年こそは、と思い立った次第。アラスカ関係には、今くらいの時期から動いておかないと間に合わなくなる手配もあるので。

ひさしぶりに、あの極北の空気を吸いに戻れるかも、と思うと、心がすっと軽くなる。ラダックやザンスカールとは違う形で、アラスカという土地に親しみと憧れを感じている自分がいる。

アラスカでの撮影取材に一人で取り組むようになって、デナリ国立公園でのキャンプ、南東アラスカの無人島、厳寒期のロッジ滞在、北極圏の村への訪問など、いくつかのトライを積み重ねてきた。「アラスカについて、まとめた形で発表しないんですか?」とよく訊かれるのだけれど、今までの旅のエピソードをそのまま写真と文章という形でまとめるのは、自分的に何かしっくりこないというか、納得しきれない感触がある。今まで積み重ねてきたものはまったく無駄ではないとは思うのだが、アラスカについて、自分自身が「これだ」と納得できるものを形にするには、違うアプローチが必要になりそうだ、と感じている。逆に言えば、中核となる「何か」を形にできたら、今までの蓄積もすべて活かせるとも思っている。

うまく言えないが、来年の計画も含めて、今までのアラスカでの旅の経験をさらに積み増ししていくことで、そう遠くない将来に「これだ」と思えるトライをできるのではないか……と、ぼんやり考えている。経験、スキル、視点、思考……いろいろ含めて。

ともあれ、来年は、再び極北へ。楽しみだ。