少し離れてみる

たぶん来年は、僕はラダックには行かないことになると思う。

理由はいくつかある。今年すでに2回、合計2カ月半近く滞在していたということ。いろいろ問題があって、来年はラダックでツアーガイドの仕事はやらないということ。今の時点で、ラダックで何か撮ったり書いたりしたいと思えるテーマが見当たらないこと。そして、先日から急激に悪化した、カシミール情勢のこと。

もちろん、外部から仕事としてラダックの取材を依頼された場合は即座に検討するし、実際、来年はともかく再来年以降はそういう取材が発生する確率が非常に高いのだが、とりあえず来年はラダックには行かないことになるだろう。……インドの別の地域には、来年もほぼ間違いなく行くことになるんだけど(苦笑)。

ラダックでは今年の初め、もうこれ以上は無理というくらいの取材を徹底的にやり切ったという感触は自分の中にあるので、少し離れてみてもいいのではないかと感じている。しばらくは、その取材の成果を形にする作業に集中して取り組みたい。

あとは、アラスカだな。今年はアラスカに行く時間が取れなかった。来年こそは、あの原野に戻りたい。

山あり谷ありの中で

どうも、2019年という年は僕にとって、異様に浮き沈みの激しい、山あり谷ありな年になってしまっている。

年の初めに割と(かなり?)厳しめの取材をして、どうにか無事切り抜けたと思ったら印パ武力衝突でその後の取材を邪魔されて。去年から準備していた企画を春先から着々と発表していって、ここからアゲアゲだと思ってたら、そこから二度三度とひっくり返され、最終的に全部徒労に終わって。何か致命的なミスをやらかしただろうか、と自分で自分を省みてみたが、どう考えても何から何まで外的要因に振り回されての結果のようなので(苦笑)、自分ではお手上げというか、やれやれとため息をつくしかない。

それでも、以前相方に言われた「見てる人は、ちゃんと見てる。わかる人には、必ずわかる」という言葉がまったくもってその通りだったことは、身をもってしみじみ実感している。どうにもならない理由でしんどい思いをしていた時、僕なんぞに、どれだけたくさんの方々が優しい言葉をかけてくれたことか。本当に心の底から、ありがたいなあと思う。

そうした方々の思いにほんの少しでも報いるためにも、僕はこれから己の全力を賭して、新しい本に取り組む。必ず良い本にしてみせる。それが僕の役割だ、と思う。

「あなたの名前を呼べたなら」

この作品の原題は「Sir」。作中で主人公ラトナが雇い主のアシュヴィンに対してたびたび使う「旦那様」という呼びかけの言葉だが、ここから邦題を「あなたの名前を呼べたなら」としたのは、本当に秀逸。見事だと思う。

ムンバイ出身の女性映画監督、ロヘナ・ゲラの長編デビュー作であるこの作品は、2018年のカンヌ国際映画祭批評家週間でGAN基金賞を受賞したという、世界的には折り紙つきの評価を得ている作品なのだが、なぜかインド国内では現時点でまだ上映されていないのだそうだ。その原因は、この映画がインド社会の格差問題を深く掘り下げていることが関係しているかもしれない。

ムンバイの高層マンションで住み込みのメイドとして働く女性、ラトナ。彼の主人アシュヴィンは、結婚相手の浮気が発覚して結婚式自体が取りやめになった直後で、落ち込んで鬱々とした日々を送っていた。家事をしながらひっそりと見守るラトナは、自分は19歳の時に結婚させられたが、病気であることを隠していた夫が4カ月後に亡くなり、未亡人になってしまった、と打ち明ける。村では未亡人になったら人生終わりと言われたが、私の人生はまだ続いている、と。ファッションデザイナーになる夢を捨てずに裁縫の勉強をしたいと意気込むラトナとの毎日に、少しずつ信頼と安らぎを感じはじめるアシュヴィン。しかし二人の間には、身分、経済力、教養という、インド社会では越えることのできない格差の壁があった……。

物語のほとんどは、ムンバイの高層マンションに暮らすアシュヴィンの家の中で展開される。静かで淡々とした時間の中で、ラトナ役のティロタマ・ショーム(「ヒンディー・ミディアム」でいささかイカれたお受験コンサルタントを演じていたのと同一人物とは思えない!)とアシュヴィン役のヴィヴェーク・ゴーンバルの抑制の効いた演技が、互いの心の揺れを丹念に紡ぎ出していく。現代の社会においてさえ、名前で呼ぶことすらかなわない、身分違いの恋。二人はその理不尽なしがらみに屈するのか、それとも飛び越えるのか。

特に、あのラストシーン。個人的には、最高だと思う。良い映画なので、映画館で、ぜひ。

「Baaghi 2」

今年の夏にインドまで往復した際に乗ったエアインディアの機内では、インド映画はあまり観られなかった。冬にインドに行った際に機内で観たのとラインナップがあまり変わってなくて、めぼしい作品はほぼ観たことがあるものだったからだ(あと、復路はシステムエラーとかで機内のほとんどの座席モニタが死んでて何も観られなかった、苦笑)。その中でも往路で観たのが「Baaghi 2」。タイガー・シュロフ主演のサスペンス・アクションで、日本でも「タイガー・バレット」という邦題で今年初めにDVDが発売されている。

軍の特殊部隊に所属するロニーは、学生時代の元恋人ネーハから連絡を受け、誘拐されて行方不明になった娘リアの捜索を依頼される。しかし、捜索を開始したロニーの元には、「そもそもネーハに娘はいない」という証言ばかりが集まる。偽りを語っているのは証言者たちか、それともネーハか……。

シリーズ前作の「Baaghi」は未見なのだが、タイガー・シュロフとシュラッダー・カプールによる単純明快な肉体格闘アクションで、インド国内でもかなり好評だったそうだ。今作は前作とのストーリー的な関連はなく、ヒロインもディシャ・パタニ(タイガー・シュロフとは私生活でも恋人同士だったはず)に交替。物語の4分の3は謎解きサスペンス、残り4分の1は「ランボー」的な銃火器撃ちまくりの一網打尽アクションという構成になっている。

作品の大半を占める謎解きサスペンスは、確かに意表を突く展開なのだが、仕掛けのための仕掛けというか、少し冷静に考えるとありえないというツッコミどころが多すぎて、観ていてちょっときついなあという印象。最後の最後に、必要以上にハチャメチャな銃火器撃ちまくりアクションで全部まとめちまおうというのも、正直無理があるなあと感じた。

タイガー・シュロフの映画と聞いて皆が期待するのは、単純明快でしなやかな肉体格闘アクションではなかったかな……と思ってしまう作品だった。

大人になれない

気がつけば、今日で今年の7月も終わり。明日からは8月だ。ここ数年、この時期には日本にいないことがほとんどなので、今東京でじりじり暑さに耐えているのも、珍しいといえば珍しい。

今年、インドから東京に戻ってきた日は、父の命日でもあった。8年前のことになる。あの時は本当に、いろんな意味でしんどかった。それでもまあ、自分は、どうにかこうにか、今もこうして生きている。

あの頃に比べると、僕はますますおっさん化が進行して、見てくれも所作も、今や紛うことなき普通のおっさんと化している。髪の毛がまだ普通にあるのと、腹が出ていないのだけが救いか。その一方で、精神年齢の方はというと、これがいまだに、なかなか大人になり切れない。ほんのちょっとしたことですぐにいきりたつし、青臭い台詞を吐き散らしては、周囲を面食らわせたりしている。

まあ、これはもう……持って生まれた性格だな。しゃーない。物分かりのいい大人には、一生なれそうにない。