それは誤解などではなく

「誤解を招きかねない表現でしたので、撤回してお詫びします」

最近、こういう文言をやたら目にする。少し前までは、政府与党の政治家が何かしら失言・放言をやらかした後に言い訳する時のテンプレートみたいなものだったが、最近では、最大手の新聞や出版社、テレビ局ですら、判で押したように同じテンプレの言い逃れをするようになった。

たいていの場合、彼らの失態には、我々の側の誤解という要素は含まれていない。国際社会の常識とは相容れない彼らの本音が、ボロボロとはみ出しているだけである。たちの悪いことに、政治家もメディアも、叩かれて炎上しないぎりぎりのラインを狙って、本音をちらちらのぞかせようとしている輩が多い(たいてい失敗するのだが)。それは一部の層の人気取りのためであり、メディアにとっては目先のはした金のためでもある。

社会が行き詰まってくると、人間は憎悪をたぎらせて、憂さ晴らしをしようとするのだな。一歩間違えば取り返しのつかない、危険な憂さ晴らしを。愚かなことだ。

収納の追求

三鷹から西荻窪に引っ越してきて、一年と少々が過ぎた。引っ越し当初はバッタバタだった部屋の中もだいぶ落ち着いてきて、しっくりくるようになってきた感はある。

1LDKの部屋での二人暮らしなので、そんなに広々と使えるわけでもなく、収納スペースも割と限られているので、二人分のモノをいかに邪魔にならないように収納するかが、引っ越し当初からの課題だった。特に僕の方が、異様に本が多かったり(引っ越し前にだいぶ処分はしたのだが)、カメラ機材も多かったり、その上なぜかアウトドア関係のウェアやグッズもたくさんあったり(たとえば寝袋が春夏秋用と厳寒期用と2つもあったり)で、相方にだいぶ迷惑をかけてるので、収納に関しては相当に頭を使った。

役に立ったのは、やはり無印良品。使いやすいサイズ感とバリエーション、コスパは最強だと思う。最近では、酒瓶とかを安定して保管するための薄型の棚とかを無印で調達している。この週末も、壁に取り付けるフックなどを無印で物色してこようかと思案中。

広々とした家に住むのはそりゃ快適だろうとは思うけど、こぢんまりした家であれこれ工夫しながら居心地よく暮らすのも、面白いなあと思う。

切れる縁、切れない縁

子供の頃は、友達と何かでもめてケンカしたりしても、割とすんなり仲直りできていたように思う。

ケンカした後もこじれたままになるようになったのは、高校生くらいからだろうか。それなりに頭がよくなって、自分の行動に理屈をつけられるようになったからか。相性のよくない人とはある程度距離を置く、という小賢しい方法も使うようになった。

大人になってから知り合った人とも、何かのきっかけで、うまくいかなくなることが時々ある。ふりかえってみると、僕の場合はほとんど、仕事で繋がりのあった人とのトラブルだった。

自分が大切にしている仕事に関して、不義理なこと、筋の通らないことをされたなら、たとえ相手が企業だろうが何だろうが、黙って受け入れるわけにはいかない。相手が自身に非があると認めないのであれば、それまでと同じように仕事のやりとりを続けていくことはできない。謝ろうとしない相手を許すことなど、できるわけがない。

子供の頃のように、感情的な好き嫌いとか、お互いのどこが悪かったとか、単純にわかりあえるなら、謝ることも、許すことも、簡単なのだろうなと思う。とかく大人は、自分で理屈をつけて言い訳してしまうから、めんどくさい。そういう人を相手に、個人事業主としてまっとうに筋を通して生きていこうとするだけでも、むつかしい。

その一方で、これはもう切れてしまうかなと思っていた縁が、切れずに繋がり続けたという経験も、少ないながらある。それはたぶん、お互いがお互いにとって大切な存在だったから、それぞれが少しずつ歩み寄って、繫ぎ止めることができたのだろうと思う。逆に言えば、何かがあっても歩み寄ろうと思えない間柄は、遅かれ早かれ、離れていくということなのだろう。

切れる縁は切れるし、切れない縁は切れない。そういうものなのかなと思う。

夏が過ぎ

ここ三、四日で、急に秋めいてきたような気がする。

少し前までのうだるような暑さに比べると、気温も少し下がったし、夜もだいぶ寝やすくなった。外を歩いていても、風はどこかしら爽やかだし、セミの鳴き声も勢いがなくなってきて、ちょっとせつない響きになっている。毎朝、仕事を始める前に飲むコーヒーも、今朝はアイスからホットに変えた。

1カ月前にインドから日本に戻ってきて、あくせく働いてるうちに、夏が過ぎてしまった感がある。まあ、あともう1カ月経てば、灼熱のタイ取材が回ってくるんだけど。

タイ取材が終わったら、もう年の瀬に向けてまっしぐらなんだろうな。いろいろ早すぎて、考えただけでちょっとくらくらする。

夜更けのジントニック

先週の土曜日、九品仏のD&DEPARTMENTで、新しいグラスを買った。背高で縁の薄い、ビールとかを飲むのによさそうなタンブラーだ。もちろんビールを飲む時にも使おうと思っているが、うちでの主な用途は、ジントニック。先々月に手に入れたアイル・オブ・ハリスジンがたいそう気に入ったので、よりおいしく飲めそうなグラスを探していたという次第。

アイル・オブ・ハリスジンは、スコットランドのハリス島にある蒸溜所で造られているジンで、ボタニカルの一つにシュガーケルプという昆布を使っている。飲んでみると、味がするのだ、昆布の。氷を入れた背高グラスにハリスジンを注ぎ、その2、3倍の量の炭酸水を注ぐ。口に含むと、爽やかなのに、ほのかな甘みと旨みがある。グラスの形や縁の薄さも、ずいぶん味や気分を左右するものだなと思う。

夜更けに背高グラスで飲む、ジントニック。ささやかな愉しみが、一つ増えた。

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ブルース・チャトウィン「ソングライン」(新訳版)読了。いつか文庫化されたら買って旅先で読もう、と思い続けていたのだが、なかなか文庫化されないのでハードカバーを買った。紀行本というより、旅の時間、過去の記憶、古今東西の文献に記された言葉など、無数の断片を虚実ない交ぜに繋ぎ合わせて、人はなぜ旅をするのか、その理由を追い求めた、彼の思索の書だと思う。個人的には、以前読んだ「パタゴニア」の方が、より破天荒で自由自在な印象があって、好みかも。いつの日か「ソングライン」が文庫化されたら買い足して、旅先で暇を持て余した時に、またゆっくり読み耽りたい。