本が出てからの仕事

四月の後半は、文字通り、目が回りそうなほど忙しかった。

遠方での対面インタビューを含むかなりヘヴィな取材が何件か入っていたのに加えて、新刊『雪豹の大地』の発売に合わせてのあれやこれやが、立て続けに。サイン本の量産、ラジオ番組の収録、書店での写真パネルの設営、書店に滞在しての対応、そしてトークイベントが、二週連続。二週目のトークイベントが終わった翌日の日曜は、精も魂も尽き果ててしまって、昼の間ずっと、ベッドから動けなかった。

本が出てからも、書いた本人がなすべき仕事は、たくさんある。書店を微力ながら支え、読者にほんの少しでも喜んでもらうための。そういった、本が出てからの仕事を通じて、はじめて自身に還元されてくるもの、気付かされることも、たくさんあると僕は思う。

しかしまあ、疲れた(苦笑)。

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ロバート・バイロン『オクシアーナへの道』読了。ブルース・チャトウィンが15歳の頃から「聖典」と呼んで愛読し、自身がアフガニスタンを旅するきっかけにもなった本。彼が『パタゴニア』を書いた時などには、バイロンのこの本の影響が少なからずあったであろうことが窺える。

1933年から34年にかけて、イランとアフガニスタンを旅した日々を日記体で綴った紀行文。バイロンの主な目的はイスラーム建築の探訪であったので、各地の建築物の様子は偏執的なまでに仔細に描写されていて、独特の美的感覚に基づく歯に衣着せぬ批評とともに綴られている(バーミヤンの大仏に対してもかなり手厳しい)。ただ個人的には、そうした事細かな建築の描写や批評より、何気ない車窓からの風景に彼の心がふと揺れ動いた時の様子や、行く先々でありとあらゆる種類の災難に見舞われて右往左往させられる様子が(気の毒ではあるけれど)面白かった。ともあれ、今となっては貴重な記録であることは間違いない。

「バーラ先生の特別授業」

通常の仕事に加えて新刊発売関連のあれやこれやで疲労困憊のさなか、無理やり時間を捻出して、新ピカにタミル映画「バーラ先生の特別授業」を観に行った。主演はダヌシュ。個人的にも特に好きなタミル人俳優の一人だ。監督はヴェンキー・アトゥルーリ。

1990年代のインドでは、私立の学校や予備校が大勢の生徒を集める一方で、公立の学校は衰退の一途を辿り、高い授業料を払えない貧しい出自の若者たちは、学ぶに学べない状況に追いやられていた。そんな中、とある事情でチョーラワラム村の公立学校に赴任してきた数学教師、バーラ。貧困や差別、悪徳私立学校の経営者らと戦いながら、バーラは45人、いや46人の生徒たちに、学び続けることの素晴らしさを説いていく……。

観に行ってよかった。良い作品だった。シンプルでわかりやすいストーリーながら、中盤での絶体絶命の窮地に立ち向かう際の巧みな伏線回収が、「おお!」と膝を叩きたくなるほど見事。要所要所でダヌシュが発する台詞の数々も熱が籠っていて、胸にぐっとくる。ダヌシュは先生役が似合うと思う。もちろんアクションシーンでは完全無双(笑)。

何だか、観ているうちにぐんぐんアドレナリンが分泌されてくるような映画だった。僕もがんばろ。

山上の桜


今日は平日休みにして、陣馬山から高尾山までの縦走に出かけた。もともと、三月のうちに行こうと思ってたのだが、急に雪が降った関係で順延となり、ここ最近も変わりやすい空模様が続いているので、比較的天気が安定してそうな今日に、山行の予定をねじ込んだ次第。


山歩きは、二月下旬に高水三山を歩いて以来。あの頃に比べると、ずいぶん暖かくなった。陣馬山の山頂に着いた後、上着を脱いで長袖Tシャツだけになったのだが、高尾山から下りに入るまで、それでちょうどよいくらいだった。


春霞のせいで、そこまでくっきりとは見えなかったが、富士山も。見えると、やっぱりちょっとだけ気分がアガる。


城山から高尾山にかけての尾根筋のところどころで、桜が咲いていた。平地の公園とかで見かける桜と少し違って、どことなく野生味のある桜。考えてみたら、桜の季節に高尾山に来たのは、初めてだったかもしれない。思いがけない僥倖。

約一カ月半ぶりの山行だったが、身体はそれほどなまってもおらず、すいすい楽に歩けた。真夏の暑い時期とかは無理だけど、今後も月イチペースくらいで日帰り山歩きに行くようにすれば、足腰のコンディションも維持しやすくなるのかな、と思う。次はどこにするかな。ひさしぶりに、丹沢表尾根縦走に行ってみるか。

柴田元幸先生の朗読会

昨日は、梅屋敷の書店、葉々社さんの主催による、翻訳家の柴田元幸先生の朗読会に参加してきた。

柴田先生が登壇されるイベントに参加するのは、これが初めて。一年前に亡くなったポール・オースターの作品の中から、先生が訳出中の『バウムガートナー』や『燃える若者 スティーヴン・クレイン評伝』で印象的な部分の朗読があり、初期作品の『ガラスの街』『幽霊たち』『ムーン・パレス』からの朗読もあった。時に手をふりかざしながら朗々と読み上げる先生の声が、本当に素晴らしくて。先生の手がけた訳文が、それだけ吟味され、磨き込まれていることの証明でもあると感じた。

最後に、『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』を朗読していただけたのも、嬉しかった。僕は映画『スモーク』を映画館で観たのをきっかけに、オースターの本を一冊また一冊と読み耽るようになった人間だったから、なおさら。良い時間だった……。有難うございました。

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アルド・レオポルド『野生のうたが聞こえる』読了。米国ウィスコンシン州を中心とした四季折々の自然と動物について綴った美しいエッセイと、土地倫理という考え方に基づく自然との関わり方の提唱とで構成されている。80年近く前に出版された本だが、少しも色褪せておらず、今の時代にも通じる理念を学べる、名著だと思う。

一冊去って、また一冊

去年から作り続けていた『雪豹の大地 スピティ、冬に生きる』が、今週、無事に校了。『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』と同じ制作チームだったこともあって、編集作業自体はかつてないほどスムーズだったが、想定外のミスを見落としてしまいそうになった場面もあるにはあったので、うまく切り抜けられて、ほっとした。また一冊、愉しい本づくりの時間が終わってしまったのは、少し寂しくもあるけれど。

そんな余韻に浸る間もなく、秋頃に出す次の本の編集作業が、すでに始まっている。時間の猶予は、あまりない。来週明けには、ある程度の素材を揃えて提出せねば……。一冊去って、また一冊。

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ニコラス・シェイクスピア『ブルース・チャトウィン』読了。今年に入って、『4321』の次に就寝前の読書時間に少しずつ読んでいた、888ページの鈍器本。早逝によって半ば伝説と化している紀行作家チャトウィンの生涯が、膨大な量の証言と資料を基に克明に綴られている。美化もせず、貶めもせず、徹底して客観的な視点でチャトウィンの実像を詳らかにしていく、その一切の妥協のなさは、チャトウィン本人が少々気の毒に思えるほどだ。僕が死んだ後、伝記だけは勘弁してほしいと思った(苦笑)。とはいえ、この伝記を読んだ後に、あらためて『パタゴニア』『ソングライン』を読むと、また違った発見や面白さを感じられそうな気がする。