「Sui Dhaaga – Made in India」

タイ取材の行き帰りに機内で観た2本目のインド映画は「Sui Dhaaga – Made in India」。主演はヴァルン・ダワンとアヌシュカー・シャルマー。前から観たいと思っていた作品だったので、願ったり叶ったり。

舞台は北インドのとある地方都市。ミシン店の店員として働くマウジーは、父親譲りの仕立職人としての腕を活かすこともないまま、店でこき使われる日々を送っていた。ある時、店の経営者の親族の結婚式で、マウジーは犬のモノマネをさせられる。その姿を目にしてしまい、悲しみにくれる妻のマムター。マウジーは妻の言葉を聞いて店を辞め、路上での仕立屋稼業を始めるが……。

まず驚いたのが、いい意味で、主演の二人からボリウッドのトップ俳優のオーラをまったく感じなかったこと。ヴァルンはお人好しゆえにうだつの上がらない平凡な男を、アヌシュカーは無口で常に一歩下がった位置にいる控えめな妻を、それぞれ見事に演じている。そんな主人公の二人が、それぞれの秘めた才能——服の仕立とデザインの才能を少しずつ発揮して、いろんなトラブルに直面しながらも、家族や周囲の人々を巻き込んで、「Sui Dhaaga」(針と糸)としての独立開業を目指す。そのプロセスが、本当にほんわかと温かくて、時にはらはらさせられながらも、和んだ気分にさせてくれる。

サブタイトルの「Made in India」は、ある意味、この作品そのものにもあてはまる。インドだからこそ、作ることのできた映画だと思う。

「Gold」

今年のタイ取材で乗ったタイ国際航空の機内で、インド映画を2本観た。1つは「Gold」。フィールド・ホッケーのインド代表チームが、1948年のロンドン・オリンピックで金メダルを獲得するまでの実話に基づく物語だ。監督は「ガリーボーイ」で脚本を担当したリーマ・カーグティー。

ホッケーのインド代表チームは、第二次世界大戦前にも3大会連続で金メダルを獲るほどの強豪だったのだが、その3大会はすべて「英領インド」としての出場。独立国としてのインドが優勝したのは、1948年のロンドン・オリンピックが最初だった。

だが、この金メダル獲得に到るまでの道のりは、けっして平坦なものではなかった。特に、独立時にインドとパキスタンが分裂したことは、当時の社会のみならず、ホッケーのインド代表チームをも、バラバラに引き裂いてしまったのだ。アクシャイ・クマール演じるチームマネージャー、タパン・ダース(これは架空の人物であるらしい)は文字通り東奔西走し、時に私財を投げ打ってまで、代表チームの再建に取り組むのだが……。

手に汗握るスポーツものの映画としては、正直、競技のシーンにそこまでのダイナミズムはなく、演出と編集にもうちょっと頑張ってほしかったとは思う。ただ個人的には、インドとパキスタンに引き裂かれたチームメートたちが、ロンドン・オリンピックで再会するまでの道のりにぐっときた。国の威信と期待を背負わざるをえない代表選手たちが、かつてのチームメートとの友情を持ち続けていたことに。

カシミールをめぐる軋轢で、インドとパキスタンとの間では、再び緊張が高まっている。難しいことは承知の上だが、どうにかして互いに落としどころを見つけて、無辜の民が悲しみを背負わずにすむようになることを願っている。

スマートな旅

約三週間半のタイ取材を終え、今朝、東京に戻ってきた。

今年のタイの旅は、トラブルらしいトラブルもほとんどなく、スムーズに終えることができた。毎年ほぼ同じ地域を定点観測的に回っているので、土地勘もあるし、注意すべきポイントも頭に入っているから、当然と言えば当然なのかもしれない。あと、言わずもがなだが、テクノロジーの進化に助けられてる面も大きいと思う。

インターネットとスマートフォンによって、旅は格段に便利でスマートになった。その日泊まる宿をネットで事前予約しておくのは当たり前で、飛び込みで訪ねたら逆に訝しがられる。道に迷ったら地図アプリ(オフラインでもGPSで現在位置がわかるアプリもある)を見れば、目的地まで最短距離で移動できる。僕はまだ使ってないけど、タクシーも、今やGrabやUberなどのアプリでピンポイントで呼ぶ時代だ。

その一方で、昔からある安宿街は小綺麗なドミトリー主体のホステルに取って代わられ、トゥクトゥクやソンテオはGrabに客をすっかり奪われて、暇を持て余している。そういう時代の流れにはもはや逆らえないのかもしれないし、ノスタルジーに浸るつもりもないのだが……何だろう。何もかもが効率よくスマートに手配できてしまえることに、ちょっと拍子抜けというか、物足りないものを感じてしまう。

自分が二十代の頃からくりかえしてきた旅をふりかえってみても、記憶に強烈に焼き付いているのは、トラブルにさんざん振り回されて苦労した時の旅だ。自分自身で決断し、周囲の人々にも助けてもらいながら、どうにかして苦境を切り抜ける。そういう経験でしか味わえない旅の本質というのは、確かにあると思う。

自ら好き好んでトラブルに飛び込んでいくのは愚かだけど、あらゆるトラブルをスマートにかわしながら効率よく旅をすることに慣れすぎるのも、どうなのかな、と思った。

七年目のおつとめ

明日から約三週間半のタイ取材が始まる。「地球の歩き方タイ」の改訂のための取材なのだが、何だかんだでこの時期にタイに赴くのも、今年で七年目。我ながらよく続いてるなあ、と思う。

取材の回数を重ねるうちに、だいぶ要領もわかってきて、効率化されてきてはいると思うが、それでも突発的な事情で現地であたふたさせられることは、今年もしょっちゅうあるだろう。まあ、そういう時に柔軟に対応することも含めての取材なので、それなりに覚悟はしている。

今年のタイは、どんな感じだろうか。取材しながらも心穏やかに過ごせたら、それが一番いいけれど。

というわけで、七年目のおつとめのため、しばらく留守にします。帰国は10月24日の予定です。では。

語り部として

毎日、本の原稿を書き続けていると、いろんな発見がある。

フリーランスでライターの仕事を始めて、かれこれ20年にもなるけれど、未だにこれだけ気付かされることがあるのかと、自分でも驚いている。普段の書き仕事では、長くても数千字程度の原稿を書くことがほとんどだが、今取り組んでいるのは、10万字を超える長さの原稿。それも、事実に則したノンフィクションではあるけれど、ある種の「物語」でもある原稿。その違いは大きい。

それは簡単には説明しづらいのだが、「流れ」とか、「間」とか、「緩急」といった、文章術のセオリーには収まりきらないようなことだ。わかりやすく読みやすい文章を書く「物書き」としての技術というより、物語をよどみなく語る「語り部」としての、阿吽の呼吸のようなものだろうか。1行どころか、ほんの1文字で、がらりと変わる。改行や句読点の打ちどころでも変わる。一見無駄に見える何気ないひとことが作り出す流れもあれば、あえてばっさり省くことで生まれるリズムもある。

20年も物書きをやってきたのに、自分は何にもわかっていなかったのだなあ、と、今さらながら、思い知らされている。だから今、書いていて、すごく愉しい。苦しいけれど、最高に、面白い。そうして少しでも、「語り部」に近づいていけたら、と思う。