はじめてのポテサラ

生まれて初めて、ポテトサラダ、ポテサラを、自分で作ってみた。

ポテサラの作り方には、人それぞれいろんなやり方があると思うが、ちゃんと作ろうとすると、割と手間がかかる。まず、じゃがいもを皮付きのまま、弱火で1時間ほどゆでる。別の鍋でゆで卵を作って、殻を剥く。ゆでたじゃがいもは、熱いうちに手で皮を剥き、ボウルでざっくりつぶす。マヨネーズと粒マスタードを入れて混ぜ、荒く崩したゆで卵と、刻んだクレソンを入れてざっと混ぜ、塩胡椒で味を整える。手際よくやっても、何だかんだで1時間半くらいかかってしまう。

ポテサラは、子供の頃から当たり前のように実家の食卓に上っていた食べ物だったし、今もコンビニやスーパーに行けばほぼ必ず置いてある。だから、自分で作るとこんなに手間のかかる料理だとは、正直、実感できていなかった。当たり前のように手に入るものは、実は当たり前でも何でもないのかもしれない。ポテサラに限らず、どんなものでも。

ともあれ、今回作ってみたポテサラのレシピ、Webで見つけた高山なおみさん作のレシピだったのだが、とても良い感じで作れたので、気に入った。熱々のじゃがいもの皮を剥くときに指をアチチとさせながら、また作ってみようと思う。

いのちだいじに

ドラクエの何バージョン目からだったか忘れたけど、主人公の味方たちのグループがモンスターに遭遇した時、プレイヤーが味方のAIに指定できる「さくせん」がある。「ガンガンいこうぜ」とすれば、防御を気にせず、MP(マジックポイント)が大量に必要な強力な呪文を使いまくる。「バッチリがんばれ」(昔は「みんながんばれ」だったかな)は、攻守のバランスを取ったオーソドックスな指示、といった具合。

コロナ禍に苛まれている今の日本に必要な「さくせん」があるとしたら、「いのちだいじに」の一択だろう。とにかく主人公も仲間も死なないように、弱ってる者は防御重視で、まめに回復呪文や薬草を使うようにして。でも、自粛や休業の「要請」はする一方で、それによって発生した損失の「補償」は一切しようとしない今の日本政府の「さくせん」は、「MPつかうな」のようなものだ。どんなに味方が瀕死の状態でも、回復魔法を使わない。今すぐ回復が必要なのは、健康だけでなく、一人ひとりの日々の生活も同じなのに。補償や給付の代わりに配られるのが、一世帯2枚の布マスクだけでは、冗談にもならない。

愚劣な為政者は、人気歌手が一般向けにシェアしていた弾き語りの動画に、自宅の居間のソファでわざとらしく犬を撫でている動画を付け足して、勝手に悦に入っている。本人も側近も、おつむにメダパニでも食らったのだろう。正気の沙汰とは思えない。

「こんらん」してる阿呆はあてにせず、とにかく、みんな、「いのちだいじに」。

旅の終わり、旅の始まり

冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』、本日校了。デザイナーさんと編集者さん、印刷会社の担当者さんが、最後の最後までこだわって、データ一式を仕上げてくれた。この後、印刷、製本、配送を経て、4月末には、書店の店頭やネット書店で発売されることになる。

長い旅だったなあ、と思う。去年の1月上旬に渡印して、約4週間、真冬のザンスカールを旅して。3月に帰国して、国内の仕事に復帰してからも、ずっと心ここにあらずという感じで、あの冬の旅についてどんな風にして言葉を刻んでいくか、そのことばかりを考えていた。原稿を書き続けていた日々も、編集作業に没頭していた日々も、僕にとってはずっと、あの冬の旅の続きだった。

その旅も、ようやく、終わった。これからは、完成した一冊々々の本が、一人ひとりの読者の元に届いて、それぞれの旅を始める。どんな風に受け取られるのか、緊張するし、怖くもあるけれど、でもやっぱり、楽しみで仕方がない。

緊急事態宣言なるものが発令され、各地の書店でも短縮営業や臨時休業が相次いでいる現状は、本の売上にもマイナスに作用するだろう。ただ、実のところ、僕はあまり悲観も心配もしていない。『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』は、これから20年、30年経ってからでもしっかり読んでもらえるような、持続性と耐久力のある内容にしている。たぶん、僕の残りの寿命よりも、ずっと長生きするだろう。だから、届くべき人の元には、いつか必ず届いて、それぞれの旅を紐解いてくれる。そう信じている。

『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』

冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ
文・写真:山本高樹
価格:本体1800円+税
発行:雷鳥社
A5変形判288ページ(カラー77ページ)
ISBN978-4-8441-3765-8
配本:2020年4月下旬

書き下ろしの旅行記としては約11年ぶりに、新刊を上梓します。インド北部、ヒマラヤの西外れに位置するチベット文化圏、ザンスカール地方を、真冬に旅した時の記録です。

凍結した川の上に現れる幻の道チャダルを辿り、雪崩の頻発する豪雪地帯ルンナク渓谷を抜け、最深部にある僧院、プクタル・ゴンパで真冬に催されるグストル祭を取材しました。約4週間に及ぶ旅の中で、起こった出来事、出会った人々、一つひとつのエピソードを克明に綴っています。

この本に書き記した内容は、もしかすると、あと10年もしないうちに、ザンスカールからすっかり失われてしまうかもしれません。それでも、いや、だからこそ、この本を作っておきたい、と僕は強く思いました。この本が、一人でも多くの読者の方のもとに届くことを願っています。

蟄居の日々

先週末は、相方と二人、ほぼ家に閉じこもって過ごした。出歩いたのは、日曜の昼に近所に食パンを買いに行った時くらい。

土曜は魯肉飯と煮卵と大根スープを作り、日曜は二日前に仕込んでおいた塩豚を根菜と一緒にコトコト煮て、味噌とバターと牛乳で味付けしたスープを作った。近所の焼き菓子屋さんで買っておいたショートブレッドをコーヒーと一緒にいただいたり、これも近所で買ったレバーペーストやチーズを肴にウイスキーをちびちび飲んだりした。こういう時、ささやかにでも、食事とかで気分をアゲていくのは、心の平安を保つために大事だと思っている。

家の外、というか世界は、いろいろ大変なことになっている。ただ、今の時点で僕たち一人ひとりが実践できる最善の選択は、可能な限り家の中にいて、外を出歩かないことだ。一人ひとりがセルフ・アイソレーション(自主隔離)を徹底する以外、新型コロナウイルスの脅威を克服する方法はない。

それにしても、感染拡大を食い止めるために奮闘を続ける医療従事者の方々や、各地方自治体の担当の方々、ライフラインや交通の維持に携わる方々、配送業者の方々、スーパーやドラッグストアの販売員の方々……そういう方々がいなければ、今の社会は完全に壊れてしまう。本当に、感謝してもしきれない。

そして、政府からの「自粛を要請」、つまり「責任も取らないし補償もしないけどお前ら空気読めよな」という理不尽な要求によって、厳しい状況に追い込まれている個人経営のお店やレストランの方々のことも、とても気にかかる。どうにかして支援したいが、なかなか良い手立てがないのが今回の事態の困ったところだ。他の国々では当たり前のように金銭による補償がなされているのに、日本政府はどうしてこうも冷淡なのだろう。

とにもかくにも、今は、自分にできる最善の選択、蟄居を継続するほかない。サバイブしよう。