今は旅に出られなくても

「今年、旅に出られなくて、つらくないですか? 禁断症状、出てないですか?」的なことを最近よく聞かれる。普段は1年のうち3、4カ月を海外で過ごしている身だし、そう思われるのも無理はない。

実のところ、自分でも意外だったのだが、旅に出られなくても、特にしんどくはない。コロナ禍でそれなりに不自由はあるけれど、東京での日々の暮らしを、淡々と過ごせている気がする。

理由はいくつかある。ここ10年ほどの間に、旅の動機が取材やガイド業といった仕事にすっかり移行していて、純粋な気晴らしやレジャー目的で旅に出ることがほぼなくなっていたこと。今の時点で、「冬の旅」の時の取材のように重要な取材の予定は特になかったということ、など。海外に行けないなら、まあ東京にいるしかないよね、しゃーない、と、割とあっさり受け入れているように思う。

取材で海外に行けなかったり、国内での取材仕事にもコロナ禍で影響が出ていたりで、本来あったはずの収入も目減りはしているが、去年の取材仕事の報酬や先日出した本の印税などもささやかながら入ったし、二人暮らしの今は固定費もそこまで嵩まないので、当面はまあ、何とかやっていける。今の状況がさらに長引く可能性もあるので、その場合の対策はしておく必要はあるけれど。

厳寒期のザンスカールやルンナクで過ごした日々を思えば、今の方が、よっぽど楽だ(笑)。いつかまた、旅に出られるようになる時に備えて、今できることを、ゆっくり、あれこれ、準備しておこうと思う。

旅に出るのは、今じゃない

今年の夏は、ずっと東京の自宅で過ごすことになりそうだ。来週の4連休も、お盆休みも、帰省や旅行をする予定はない。東京にコロナ禍の第二波が襲来している今、迂闊に旅行で動き回ると、行く先々で接する人々に思わぬ迷惑をかけかねない。普通に考えれば、ごく当たり前のことだ。

政府が春先から1.7兆円もの巨費を計上してゴリ押ししてきたGo To Travelキャンペーンは、大勢の人々の移動による感染拡大のリスクを伴う明らかな悪手で、愚策以外の何物でもない。僕は一応、添乗員の資格も持っているので、派遣会社とかに登録すれば、日本国内のグループツアーの添乗員の仕事もできるのだが、今は頼まれたとしてもやりたくない。たとえば、ツアーのお客さんに発熱などの体調不良を訴える方が出たら、どう対処すればいいのだろう? その人だけ病院に預ければ済む話ではない。万全の感染防止対策を取りながらツアーを催行するというのは、少なくとも今の段階では、恐ろしく難しいと思う。地方の観光地にしたところで、苦し紛れに観光客を受け入れて、その中に混じっていた無症状の感染者から感染が拡大したら、それによって被るダメージの方がはるかに大きい。連れて行く側も受け入れる側も、今はリスクが高すぎる。

苦境に陥っている旅行業界を支えるのであれば、人の移動という感染拡大のリスクをできるだけ伴わない方策を、最初から検討すべきだった。直接的な給付金であったり、感染収束後に使える宿泊クーポンなどを先払い購入する際の支援など、方法はたくさんあったはずだ。だが、一部の大手企業が甘い汁を吸えるようにという与党の目論見が、すべての判断を誤らせることになってしまった。

旅は、旅をする者が現地で誰にも迷惑をかけずにすむような状況がちゃんと整っていてこそ、楽しめるものだし、価値のあるものだと思う。旅に出るのは、今じゃない。それによって困る業界の人々がいるのなら、感染拡大のリスクを伴わない形で支える方法を、全員で真剣に考えるべきだと思う。

リモート取材

昨日の午後は、自宅からリモート取材。される側でなく、する側の。

Zoomを介してのインタビュー取材、つつがなく完遂できたとは思うが、やっぱり、対面で行うインタビューとはかなり勝手の違うところがあった。画面経由で微妙なタイムラグを挟んでのやりとりだと、相手のちょっとした表情やしぐさ、間合いのようなものが捉えにくく、かなり注意深く画面を見ていなければならない。それはたぶん相手側も同じで、こっちがどんな表情をしながら質問をしているのか、わかりづらかっただろうなと思う。その分、少し大きめのリアクションを心がけたり、たまに軽めの冗談を挟んで場をなごませたり、あれこれやってはみたのだが。

で、結果、かなり疲れた(苦笑)。気疲れだけでなく、眼精疲労もきつかった。分割画面を集中して目で追っていたからだろうか。

リアルな取材の一時的な代替にはなるかもしれないが、主力にはなれないのでは……と思った。もっと慣れれば、変わってくるのかもしれないが。

「カセットテープ・ダイアリーズ」

先週末、六本木の映画館で「カセットテープ・ダイアリーズ」を観た。相方と一緒に観に行ったのだが、相方はこれが2回目の観賞。僕がインド関係のイベントに出展してる時に一人で観に行って、すっかり気に入り、僕も連れてもう一度観に行きたいと思ったのだそうだ。

舞台は1987年の英国の片田舎の町、ルートン。パキスタン系移民の息子ジャベドは、厳格な父親からの締め付けや、移民の存在を快く思わない町の人々からの偏見に悩みながら、その思いを誰にも見せない日記や詩に書き綴る日々を過ごしていた。そんなある日、ジャベドはクラスメイトのループスが貸してくれたブルース・スプリングスティーンのカセットテープを聴いて、衝撃を受ける。自分の鬱屈した思いをすべて歌ってくれているかのような彼の音楽に、夢中になるジャベド。スプリングスティーンが楽曲に込めたメッセージに背中を押されるように、ジャベドの人生も変わりはじめていく……。

この作品は実話を基にしているそうなのだが、苛酷な生い立ちや厳格な父親に抗いながら、自身の才能と努力で人生を切り拓いていくという構図は、サクセスストーリーとしては王道中の王道だ。最近だとインド映画の「シークレット・スーパースター」や「ガリーボーイ」なども同じ構図だが、この2作品では最終的に家庭が瓦解してしまうほど切迫した設定になっている。それらに比べると「カセットテープ・ダイアリーズ」はもう少しマイルドで、家族や地域とのつながりが大きなテーマとなっているように思う。

スプリングスティーンによって心を解き放たれたジャベドは、恋に、友情に、そして将来の夢に、勇気を奮って歩み出していく。その過程の多くは、インド映画のダンスシーンを参考にしたかのようなミュージカルで描かれているのだが、インド映画ほどキメキメではなく、演者の照れや初々しさがそこはかとなく感じられる(笑)。何から何まで全部スプリングスティーンの歌でくるんで一気に突っ走っていくという、不思議な爽快感のある演出だ。

そんなジャベドたちの行手には、格差社会や移民への無理解という、醜悪で頑迷な壁が立ち塞がる。その壁は、2020年の今もなくなるどころか、さらにこじれた形で世界中にはびこっている。それに完全に打ち克つことはとても困難だが、声を上げ続けることをあきらめてしまってはいけない、ともこの作品は語っているように思う。

総じてとても良い作品だったのだが、公式のパンフレットに、ちょっと残念なミスを発見。ジャベドにスプリングスティーンを教えた親友のループスを「ムスリム系の陽気なクラスメイト」と説明しているのだが、劇中で見るかぎり、ループスはパンジャーブ系のスィク教徒という役柄だと思う。

オンラインイベントについて思うこと

昨今のコロナ禍の影響で、Zoomなどを利用してオンラインで開催されるイベントが増えてきた。僕自身、『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』の発売に合わせて予定してた刊行記念トークイベントを延期して、開催時期を模索している立場なので、オンラインイベントにはかなり関心を持っていた。

ただ、実際に自分が出演するトークイベントをオンラインで開催するかどうかとなると、少なくとも現時点では、やらないだろうと思う。これまで何度か自分で開催してきた、リアルな場でのトークイベントの面白さや価値を超えられる自信が、正直言って、持てないのだ。

出演者がそれぞれ別の場所にいて、リモートでやりとりして、それをさらにリモートな場所から不特定多数の観客が見ているという状況は、リアルな場でのトークイベントとはかなり別物の体験になると思う。間延びするテンポ、場の空気のつかみづらさ、そういったものをうまく咀嚼して乗り越えていくトーク力が必要になるはずだ。僕はしゃべりのプロではないし、ルックスも人並み以下のただのおっさんだし(苦笑)、いろいろ難しい要素が揃うオンラインで拙いトークを披露して、お代を頂戴できるような価値のある体験を提供できるとは、思えないのだ。

もし、オンラインでやるからには、リアルな場でのトークと同じかそれ以上に面白く、オンラインでやるからこそ意味のある内容のイベントでなければ、少なくとも自分のような人間は手を出すべきではないのでは……と思っている。ある意味、YouTuber的なトークのスキルがなければ、厳しいのではないかな、と。

もちろん、世の中には、お代を払う価値のある、オンラインでこそ実現できる内容のイベントもたくさんあると思う。それぞれとんでもない遠隔地に住んでいる出演者同士が顔を揃えるイベントとか、遠隔地から何かを実況中継しながら展開するイベントとか。でも今のところ、自分の中にはそういう風にフィットしそうなアイデアはない。別の誰かから、よっぽど良いアイデアのご提案をいただいたなら、話は別かもしれないが……うーん、どうなんだろうなあ……。

まあ、僕には、長年使い慣れているもっともシンプルな武器、文章という手段もあるので、何か言いたいことが出てきたら、テキトーにさらさらっと書いて、こんな風にとりとめもなくブログにアップすることにしようと思う。

本気の文章と写真は、もちろん、本にすべて込める。そこがおろそかになっていては、イベントもへったくれもない。