リモート取材

昨日の午後は、自宅からリモート取材。される側でなく、する側の。

Zoomを介してのインタビュー取材、つつがなく完遂できたとは思うが、やっぱり、対面で行うインタビューとはかなり勝手の違うところがあった。画面経由で微妙なタイムラグを挟んでのやりとりだと、相手のちょっとした表情やしぐさ、間合いのようなものが捉えにくく、かなり注意深く画面を見ていなければならない。それはたぶん相手側も同じで、こっちがどんな表情をしながら質問をしているのか、わかりづらかっただろうなと思う。その分、少し大きめのリアクションを心がけたり、たまに軽めの冗談を挟んで場をなごませたり、あれこれやってはみたのだが。

で、結果、かなり疲れた(苦笑)。気疲れだけでなく、眼精疲労もきつかった。分割画面を集中して目で追っていたからだろうか。

リアルな取材の一時的な代替にはなるかもしれないが、主力にはなれないのでは……と思った。もっと慣れれば、変わってくるのかもしれないが。

「カセットテープ・ダイアリーズ」

先週末、六本木の映画館で「カセットテープ・ダイアリーズ」を観た。相方と一緒に観に行ったのだが、相方はこれが2回目の観賞。僕がインド関係のイベントに出展してる時に一人で観に行って、すっかり気に入り、僕も連れてもう一度観に行きたいと思ったのだそうだ。

舞台は1987年の英国の片田舎の町、ルートン。パキスタン系移民の息子ジャベドは、厳格な父親からの締め付けや、移民の存在を快く思わない町の人々からの偏見に悩みながら、その思いを誰にも見せない日記や詩に書き綴る日々を過ごしていた。そんなある日、ジャベドはクラスメイトのループスが貸してくれたブルース・スプリングスティーンのカセットテープを聴いて、衝撃を受ける。自分の鬱屈した思いをすべて歌ってくれているかのような彼の音楽に、夢中になるジャベド。スプリングスティーンが楽曲に込めたメッセージに背中を押されるように、ジャベドの人生も変わりはじめていく……。

この作品は実話を基にしているそうなのだが、苛酷な生い立ちや厳格な父親に抗いながら、自身の才能と努力で人生を切り拓いていくという構図は、サクセスストーリーとしては王道中の王道だ。最近だとインド映画の「シークレット・スーパースター」や「ガリーボーイ」なども同じ構図だが、この2作品では最終的に家庭が瓦解してしまうほど切迫した設定になっている。それらに比べると「カセットテープ・ダイアリーズ」はもう少しマイルドで、家族や地域とのつながりが大きなテーマとなっているように思う。

スプリングスティーンによって心を解き放たれたジャベドは、恋に、友情に、そして将来の夢に、勇気を奮って歩み出していく。その過程の多くは、インド映画のダンスシーンを参考にしたかのようなミュージカルで描かれているのだが、インド映画ほどキメキメではなく、演者の照れや初々しさがそこはかとなく感じられる(笑)。何から何まで全部スプリングスティーンの歌でくるんで一気に突っ走っていくという、不思議な爽快感のある演出だ。

そんなジャベドたちの行手には、格差社会や移民への無理解という、醜悪で頑迷な壁が立ち塞がる。その壁は、2020年の今もなくなるどころか、さらにこじれた形で世界中にはびこっている。それに完全に打ち克つことはとても困難だが、声を上げ続けることをあきらめてしまってはいけない、ともこの作品は語っているように思う。

総じてとても良い作品だったのだが、公式のパンフレットに、ちょっと残念なミスを発見。ジャベドにスプリングスティーンを教えた親友のループスを「ムスリム系の陽気なクラスメイト」と説明しているのだが、劇中で見るかぎり、ループスはパンジャーブ系のスィク教徒という役柄だと思う。

オンラインイベントについて思うこと

昨今のコロナ禍の影響で、Zoomなどを利用してオンラインで開催されるイベントが増えてきた。僕自身、『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』の発売に合わせて予定してた刊行記念トークイベントを延期して、開催時期を模索している立場なので、オンラインイベントにはかなり関心を持っていた。

ただ、実際に自分が出演するトークイベントをオンラインで開催するかどうかとなると、少なくとも現時点では、やらないだろうと思う。これまで何度か自分で開催してきた、リアルな場でのトークイベントの面白さや価値を超えられる自信が、正直言って、持てないのだ。

出演者がそれぞれ別の場所にいて、リモートでやりとりして、それをさらにリモートな場所から不特定多数の観客が見ているという状況は、リアルな場でのトークイベントとはかなり別物の体験になると思う。間延びするテンポ、場の空気のつかみづらさ、そういったものをうまく咀嚼して乗り越えていくトーク力が必要になるはずだ。僕はしゃべりのプロではないし、ルックスも人並み以下のただのおっさんだし(苦笑)、いろいろ難しい要素が揃うオンラインで拙いトークを披露して、お代を頂戴できるような価値のある体験を提供できるとは、思えないのだ。

もし、オンラインでやるからには、リアルな場でのトークと同じかそれ以上に面白く、オンラインでやるからこそ意味のある内容のイベントでなければ、少なくとも自分のような人間は手を出すべきではないのでは……と思っている。ある意味、YouTuber的なトークのスキルがなければ、厳しいのではないかな、と。

もちろん、世の中には、お代を払う価値のある、オンラインでこそ実現できる内容のイベントもたくさんあると思う。それぞれとんでもない遠隔地に住んでいる出演者同士が顔を揃えるイベントとか、遠隔地から何かを実況中継しながら展開するイベントとか。でも今のところ、自分の中にはそういう風にフィットしそうなアイデアはない。別の誰かから、よっぽど良いアイデアのご提案をいただいたなら、話は別かもしれないが……うーん、どうなんだろうなあ……。

まあ、僕には、長年使い慣れているもっともシンプルな武器、文章という手段もあるので、何か言いたいことが出てきたら、テキトーにさらさらっと書いて、こんな風にとりとめもなくブログにアップすることにしようと思う。

本気の文章と写真は、もちろん、本にすべて込める。そこがおろそかになっていては、イベントもへったくれもない。

新しい眼鏡


1週間前に注文しておいた新しい眼鏡を、さっき受け取ってきた。

ここ何年かの間、眼鏡はいくつか作っていたのだが、家にいる時にかける用のとか、海外に行く時にかける用のとかを、5000円くらいで作ったものばかりだった。レンズ込みで数万円する眼鏡を作ったのは、たぶん10年ぶりくらいになる。

冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』を作っていた頃から「この本が完成したら眼鏡を新調しよう」と決めていた。その後、昨今の社会情勢もあって少し迷ったのだが、どのみちいつかは買うものだし、いろいろ合わせた割引もあるし、と思い直した次第。

今回は初めて、金子眼鏡店で作ってみることにした。選んだのは、金子眼鏡店で昔からの定番だという、太めのセルロイド製フレーム。ウェリントンと呼ばれるタイプに近いが、やや縦幅が狭めで、古風と言ってもいいくらいオーソドックスなデザイン。今回はずれ落ち防止に、鼻当ての部分を少し高く加工してもらった。

レンズを入れて完成した眼鏡を受け取り、鏡の前でかけてみると、自分でもびっくりするくらい、違和感がない。20年前から持ってた眼鏡みたいに馴染んでいる。以前は、もっとシャープなデザインのものとか、洒落っ気のあるデザインのものを選びがちだったのだが、今みたいにおっさんになると、こういう古風な眼鏡の方が馴染むようだ。

ともあれ、すっかり、気に入った。新しい眼鏡、大事に使っていこう。

軋む世界

気がつけば、今日から7月。2020年の半分が終わってしまった。すっかり失われてしまった、という感触に近い。

米国やブラジル、インドなど、いまだに多くの国々が、コロナ禍に喘いでいる。日本というか、東京もそうだ。都知事選の投票日を過ぎたとたん、東京の1日の感染者数が3桁に増えてもまったく驚かない。旅行者が普通に海外と行き来できるようになるのは、来年以降になるだろう。東京五輪? そんなの、無理に決まっている。

米国では、Black Lives Matterの怒りの炎が燃え盛っている。ラダックでは、中国軍とインド軍が針金を巻いた鉄パイプで殴り合っていて、どちらがトリガーを引いてもおかしくはない。香港は、国家安全法によって完全に押し潰されようとしている。

自分の身の回りでも、遠く離れた国々でも、世界が、ぎしぎしと軋みを上げ、ひび割れ、砕けそうになっているのを感じる。人間の冷静さと良心で、それらをつなぎ止めることはできるのだろうか。たとえできなくても、やれることを、やるしかないのだろうけど。

嵐が過ぎ去るまで、ただ耐えるだけでは、ダメなのかもしれない、と思う。

———

ジョン・マクフィー『アラスカ原野行』読了。だいぶ前に買っていたものを、ようやく読み終えた。本文2段組、450ページの大著で、1970年代のアラスカとそこで生きる人々の横顔が、雄大な自然の描写とともに丁寧に書き綴られている。環境保護と開発、先住民と白人の移住者、原野での生活を希求する者たちの葛藤。きれいごとだけでは描ききれない、当時のアラスカのリアルが詰まった、貴重な記録。