「無職の大卒」

インディアン・ムービー・ウイーク2020で観た3本目の作品は、ダヌシュ主演のタミル映画「無職の大卒」。彼にとって25本目の出演作で、自身でプロデュースも手がけたらしい。

大学で建築を学んだものの、意中の就職先がなかなか見つからないラグヴァランは、何かにつけて先に就職した弟と比べられ、肩身の狭い毎日。隣の家に越してきたシャーリニに好意を抱くが、歯科医で高収入の彼女にも引け目を感じている。そんな中、思いがけない出来事がいくつも起き、彼は、スラムの人々が暮らすための公共住宅の建設の仕事に関わることになるのだが……。

この作品、ダヌシュ演じる主人公ラグヴァランの(がんばってるんだけど)ダメっぷりが描かれる前半と、敵役との対決が繰り広げられる後半とで、別の作品と言っても通用するくらい趣が異なる。とはいえ、物語全体はシンプルでわかりやすかったし、後半のラグヴァランの危機に「無職の大卒たち」が集うシーンは胸熱だった。ダヌシュ自身の演技も、ダメ男っぷりも、キメる時はキメる男っぷりも、どちらも彼らしくぴたっとハマっていた。ただ、個人的には、ラグヴァランが無職の身からステップアップしていく過程が「それってタナボタじゃね?」的なパターンの連続だったので、もうちょい彼自身の奮闘が目に見える形で報われるような展開だともっとよかったのに、と思った。

物語の最後は、あの人はどうなるんだろとか、あれはどうなったんだろとか、結構いろんなポイントが放置されたまま終わってしまったので、ちょっとびっくりしたのだが、この「無職の大卒」、続編がインドではすでに公開されていた。続編の敵役は、カージョル! かなり観てみたくなった。

十月の東京

気がつけば、今日からもう、十月。

考えてみると、東京で十月を過ごすというのは、ものすごくひさしぶりだ。確か、2012年以来、7年ぶり。この時期は毎年、「地球の歩き方タイ」の取材で4週間ほどタイに滞在するのが常だったのだが、コロナ禍の影響で取材も無期延期になっているので、はからずもひさびさに十月の東京を体感できている、という次第。

まず、当たり前の感想なのだけれど、十月って、涼しいんだなと(笑)。いや、取材でタイに行くと、日本の夏の延長戦みたいな酷暑の日々がずっと続いて、全身黒焦げに日焼けして帰国するような状態だったから。この時期、東京ではどんな服を着ればいいのかなとか、寝具を秋冬に切り替えるタイミングはいつがいいのかなとか、割と新鮮な課題に直面している(笑)。

まあでも、とりあえずは、もうちょっと世の中が落ち着いてくれたらなあ、というところか。いろいろ制限されている中で、自分にできる範囲の仕事に淡々と取り組んではいるけれど、やっぱり、自由気ままにどこにでも行けるようになるに越したことはない。まあ、気長に待ちますか。

もぬけの殻

午前中のうちに近所のスーパーで買い物をすませ、昼少し前から、都心に出かける。散歩をしながら考えごと(原稿の次のパートのプロットの整理)をしたかったので。

新宿まで電車で出て、紀伊國屋書店に寄った後、そこからてくてく歩いて、代々木、原宿、渋谷、代官山、恵比寿まで。今日はとても天気がよくて、日なたは少し暑いくらいだったけど、初秋らしい爽やかな風が吹いていて、歩いていても気持ちよかった。最後にひさしぶりに寄った恵比寿のヴェルデで飲んだ深煎りブレンドのうまかったこと。

それにしても今日、都心を歩いていてひしひしと感じたのは、閉店してもぬけの殻になったままの店の、異様な多さ。ほんと、唖然とするくらい。いつも何十人も行列ができていたタピオカミルクティーの店とか、十年以上前から営業していた人気ラーメン店とか、角の一等地にあった大きなショーウインドーのアパレルショップとか。どこもかしこもつぶれてるような印象だった。

渋谷界隈では今もあちこちで大規模な再開発工事が続けられているけど、既存のテナントがこの惨状なのに、今から新しいハコモノを作ったところで、どれくらいの企業が出店できる余力を残しているだろうか。直近のコロナ禍の状況を考え合わせると、あと半年ほど経って年度末にさしかかる頃には、もっとひどいことになっているかもしれない。

今の与党の政治家たちに、世間のこの状況は、どのくらい見えているのだろう。たぶん、何も見えてないのだろうな。

それは果たして趣味なのか

僕には、いわゆる趣味というものがない。もし今、何かの必要にかられて、昔ながらの履歴書用紙で自分の履歴書を作れと言われたら、「趣味・特技」の欄で、はたと行き詰まってしまうだろう。

でも、よくよく考えてみると、世の中年男性が趣味としてハマりそうなことは、かなりの数、僕もやってしまっていることに気づく。たとえば、ハンドドリップでいれるコーヒーとか。自分で作るスパイスカレーとか。自重トレーニングとか。カメラとか。あと、旅行とか。

ただ、それらが自分にとっての趣味なのか、と言われると、明らかに違う気がする。コーヒーやカレーは日常の家事の一部と化していて、特に趣味的にお金や時間を投じているわけではないし。自重トレーニングは、重い撮影機材を担ぐ海外取材に耐えられる身体を維持するためだし。カメラと旅行は言うまでもなく、僕の仕事の一部だし。

なので、ほかの人にとっては趣味になりそうなことでも、僕の場合は日常の家事や習慣、あるいは仕事という属性になってしまっている。それでもまあ、コーヒーもカレーも自重トレもカメラも旅も、やってる時はどれもそれなりに面白いし、楽しい。なので、趣味というわけではないけれど、日常と人生の一部分としては、僕にとって大切で、必要な存在なのだと思う。

オチも何もないけれど、まあ、そんなことをつらつらと考えた次第。

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小林真樹著『食べ歩くインド 北・東編/南・西編』読了。インド全土及びその周辺国の食文化を、現地を旅して食べ歩いて得た膨大な経験をもとに2冊にまとめた労作。読み進めていくと、各地域の風習や宗教にもとづく食の特徴と、ほかの地域の食との相関関係がしぜんと見えてくる。各地の有名レストランや知る人ぞ知る穴場などを紹介するガイドブックとしての側面もあるが、僕は文化人類学的な食文化考察の本としての面白さを感じた。同じく小林さんの書かれた『日本の中のインド亜大陸食紀行』と併せて読めば、意外と身近にある日本とインド亜大陸各国の食文化を通じた関わりについても理解が深まると思う。

食パンと男の子

少し前の週末、近所のパン屋さんへ、食パンを買いに行った時のこと。

そこは週末の3日間だけ営業するスタイルのお店で、開店時間の正午から、店の外には7、8人の行列ができていた。僕の前には、お父さんとお母さんと男の子と女の子の4人家族が並んでいた。たぶん、家でのおひるごはんに、惣菜パンや菓子パンを何個か買って帰るつもりだったのだろう。

「ねえ、何のパンにするの?」と、お母さんが男の子に訊く。

「えーっとね、食パン」
「……食パン?」
「ぼく、食パンがいい。食パンが食べたい」

見るからに困惑してるお母さんを残し、お父さんは男の子と女の子を連れて、近所のコンビニにジュースを買いに行った。で、そのうちそのお母さんの番が来て、いくつか惣菜パンと菓子パンを注文して、エコバッグに受け取っている時、コンビニから3人が戻ってきた。

「ねえママ、食パンは? 食パン買ってくれた? 食パン入ってる? ぼく、食パン食べたいんだー!」

生返事をしながら、店の前を離れるお母さん。まあ、そりゃそうだ。その子一人のためだけに、食パン1斤買い足すわけにはいかないだろうし。

しかしまあ、何であんなに食パンが好きになったんだろう。きっと将来、オトコマエになるね(笑)。