マグナム・フォト

今日は夜に銀座で打ち合わせがあったので、少し早めに家を出る。いくつか用事を片付けた後、銀座のRING CUBEで開催されているマグナム・フォトの写真展「50の情熱」を見る。

マグナム・フォトは、第二次世界大戦後にロバート・キャパらが中心になって創設したフォトグラファー集団だ。それまであやふやだった写真の著作権というものが確立されたのは、彼らの功績によるところが大きい。今回の写真展は、マグナム・フォト所属の正会員50名の作品を集めた写真展だ。

RING CUBEは個人的にも好きなギャラリー(いつか自分もここで写真展をやってみたい‥‥)なのだが、世界最高峰のドキュメンタリー・フォトグラファー50名の作品がずらっと並んだ様は、さすがに壮観だった。時にはそっと、時には鋭く、対象を切り取るまなざし。いろいろと勉強になるというか、自分の青二才ぶりを思い知らされる(苦笑)。

現在はマグナム・フォトを離れてしまっているセバスチャン・サルガドとヨゼフ・クーデルカの作品が見られなかったのは、ちょっと寂しかった。この二人には、本当に大きな影響を受けたから‥‥。

フェアーグラウンド・アトラクション「Kawasaki Live in Japan」

冬になると、フェアーグラウンド・アトラクションが無性に聴きたくなる。

彼らが活動していたのは、もう二十年以上も前だ。最初のシングルとアルバムがともに全英チャートで一位を獲得し、とてつもないバンドが出てきたと思ったら、二年後には解散してしまった。エリオット・アーウィットが撮影した有名な写真をジャケットにあしらった「The First of a Million Kisses」は、僕も学生の頃によく聴いていた。当時、学生寮で一緒だった先輩や友達や後輩たちが、入れ替わり立ち替わりやってきては、「これ、ダビングしたいから借りていい?」と言ってたっけ。

2003年になって突如発売されたこの「Kawasaki Live in Japan」は、1989年にクラブチッタ川崎で行われたライブを収録したものだ。このアルバムは本当に奇跡のような出来で、エディ・リーダーの歌声も、ギターやギタロン、ドラムの演奏も、何もかもが神がかっている。こんな凄いバンドがたった二年で解散してしまったなんて、本当に惜しいと今でも思わずにいられない。

寒い日の午後、彼らの「Allelujah」を聴くと、自分もふと、遠い昔のあの頃に引き戻されるような気がする。

徹夜をせずに〆切を守る

夕方、歯医者へ。来週以降もまだしばらく通院が続くことになった。憂鬱だ‥‥。

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昨日のエントリーでレビューを書いた上阪徹さんの「書いて生きていく プロ文章論」を読んでいて、ワークスタイルのポリシーで同じだなと思ったことがある。それは「〆切は必ず守る。でも仕事のための徹夜はしない」という点だ。

雑誌の編集者として出版社に勤めていた頃の僕は、よく入稿日前に会社に泊まり込んで、徹夜で原稿を書いたりしていた。そうそう、「地獄のミサワ」に出てくるような感じ(笑)。あの頃は、そうでもしないと絶対〆切に間に合わないと思い込んでいたのだ。

フリーランスになってから、僕はさらに無茶なハードワークを重ねて仕事をさばいていたが、案の定、ほどなく体調を崩してしまった。完全に復調するまで、半年から一年くらいかかっただろうか。労災も何もないフリーランスの身で、薬漬けでフラフラの状態になりながら、それでもどうにか仕事を途切れさせずに続けられたのは、今思うと、単に運がよかっただけかもしれない。

それからの僕は、よほどのことがないかぎり、仕事のための徹夜はしなくなった。その一方で、〆切をきっちり守っていくために、早め早めに手を打っていくスケジューリングを心がけるようになった。徹夜をせずに〆切を守る。やってみると、意外とできるものだ。そして、その方が仕事でもミスの少ない、いい結果が残せることがわかった。

仕事でいい結果を残していくには、時にはハードワークが必要になる。でも、恒常的に過剰なハードワークが続いてしまっているような状況は、必ずどこかで無理が生じる。身体を壊してしまったり、致命的なミスを犯してしまったりする。無理が生じないような仕事環境を作るのはとても大切だ。もし、それが変えられないというのであれば、その仕事を続けていくための体制が根本的に間違っているのだと思う。

というわけで、苛酷な年末進行で喘いでいる同業者のみなさん、あまりご無理はなさらぬように。

上阪徹「書いて生きていく プロ文章論」

このブログでも何度か書いたが、僕は最近、ある地方自治体から依頼された、文章術の講師のような仕事を担当している。その地方自治体のプログラムに参加している一般の方々が地元のNPOや市民団体を取材して書いたレポートを添削し、どこをどう直せばよりよい文章になるか、ミーティングの場で相談に乗るというものだ。

文章の書き方なんて、誰かに教わったこともなければ、教えたこともない。依頼を引き受けた時は、正直どうしたものやらと途方に暮れていたのだが、ミーティングで自分なりの取材の仕方、文章の書き方について話をすると、参加者の方々は「へぇ〜」「ほぉ〜」といった感じで、かなり興味を示してくれた。自分では日頃からごく当たり前にやっていることなのだが、ライターがどんな風に仕事をしているのかということは、世間ではあまり知られていないようだ。

そんな経験もあって、これを機に自分自身の仕事を振り返ってみようと思って手にしたのが、この「書いて生きていく プロ文章論」という本だった。

この本は「文章論」と銘打たれてはいるが、著者の上阪徹さんが冒頭で言及しているように、文章の「技術論」ではなく、「文章を書く上での心得」について書かれている。上阪さんは、経営や金融、ベンチャーなどの分野で活躍されている辣腕のライターで、知名度や実績では僕は足元にも及ばないが(笑)、ほぼ同年代で、同じようにインタビューの仕事を中心に手がけてきたこともあって、共感できる「心得」もずいぶん多かった。読者をしっかりとイメージすること、何を伝えたいのかを突き詰めていくこと、文章術と同じかそれ以上にインタビュー術が重要だということ‥‥。僕にとっては、新たな「発見」というより、自分の仕事の仕方を「再確認」させてもらった一冊。自分に足りない部分があるとすれば、それはこうした「心得」の一つひとつを、ちゃんと徹底しきれていない時があることだろう。同業者の方々も、読み進めていくうちに「うっ!」と思わされるくだりが少なからずあるのではないだろうか。

この本のあとがきで上阪さんは「考えてみれば、本書は〝自分の考え〟を〝自分の言葉〟で構成した初めての本です。もしかすると、初めての本当の自分の本、といえるのかもしれません」と書いている。すでにベストセラーを含めて何十冊もの本を出している方だけど、そんな風に「初めての本当の自分の本」と思える一冊を書けたというのは、喜びもひとしおだったのではないかと思う。自分が心の底から大切にしていることを伝えるために、ありったけの思いをこめて、文章を書く。それはこの仕事で一番、愉しくて、難しくて、やりがいのあることだから。

酔っぱらいのルール

夕方、三鷹の駅前にあるわざやというパスタ専門店へ。ここは昔からちょくちょく行っている店で、単価はちょっと高めだけど、ちゃんとした味のパスタを食べさせてくれる。大盛りが無料なのも、食べ盛りにはありがたい(笑)。今の季節は、牡蠣を使ったパスタがあるはずなので、それを目当てに。

ところが今日は、店に入ってみると、何だか様子がおかしい。見ると、細長い店内の奥の席で、四人くらいのおっちゃんとおばちゃんが、ものすごい大声でゲラゲラ笑いながらくっちゃべっている。テーブルの上には、空のボトルと、飲みかけのワイン。どうやら、すっかり酔っぱらっているようだ。最初は彼らの隣の席に案内されたのだが、こっちの声が全然聞こえないほどうるさいので、入口近くの離れた席に移動させてもらった。

それにしても、パスタ専門店であれだけ派手に酔っぱらう人たちも珍しい。店の人たちは困惑しているし、ほかのお客さんたちも食べ終えるとすぐ逃げるように店を出て行くありさま。たぶんあの人たちは昼のうちからどこかで飲んで、すっかりできあがってからなだれ込んできたのだろう。どうせなら、すぐ近くにある和民か白木屋にでも行けばよかったのに。

酔っぱらいは、酔っぱらうことを許されている店で、酔っぱらってくれたまえ。