次の次、そのまた次

少し前から、次に書こうとしている本の企画書作りに取り組んでいる。

この本に関しては、アイデア自体は以前からあって、「まったく新しいもの」というよりは、「すでにあるものをよりよい形に置き換えるもの」だ。アイデアさえ固まれば、原稿はすぐにでも書き始められるのだが、最終的に本として仕上げるには現地取材が必要なので、完成はまだだいぶ先になりそうだ。でも、頭の中で、ああしようかな、こうしようかな、とアイデアを練るのは、やっぱり楽しい。

この本の次に作ろうかなと考えている本も、実はうっすらとイメージはある。これは、最初からかなりがっつりと現地取材をして、その上で方向性を見定めていくことになりそうで、本として書けるかどうか、今はあまり自信がない。まあ、『冬の旅』の時も、旅の途中までは本にできる自信はまったくなかったから、この企画も実際にやってみないとわからないけれど。

で、そのまた次に作りたいと考えている本も、あるにはあるのだが、これはさらにイメージが茫洋としていて、どこから手をつけていいのかもまだはっきりわからない。ただ、いつまでも足踏みを続けているわけにもいかないので、動けるようになったら積極的に動いていきたい、とは思っている。

そんなこんなで、アイデアは、たくさんある。あとは、いつ海外に普通に行けるようになるか、だな。

フヅクエで本を読む

最近は、仕事がそれほど忙しくないのもあって、週に一度くらいのペースで、フヅクエ西荻窪店に行っている。

フヅクエは、「快適に本を読む」ための環境を提供することに特化したお店だ。その決まりごとについてはお店のサイトを見てもらうのが手っ取り早いが、会話やおしゃべりは禁止、パソコンやタブレットでの作業も禁止、ノートを開いての勉強なども禁止。基本的に、お店の提供する飲み物や軽食をいただきつつ、自分で持ち込んだ本かお店に置いてある本を読むことだけが推奨されている。これまでは初台と下北沢にお店があったのだが、二カ月ほど前に西荻窪店もオープンした。

こう書くと、規則でがんじがらめの窮屈なお店と思われるかもしれないが、まったくの逆。「一人で静かにゆっくり本を読み耽りたい」という人には、これ以上ないくらい居心地のいい場所だ。店内はゆったり落ち着いた雰囲気で、照明の加減も、椅子の座り心地も、本を読むのにうってつけ。軽食も飲み物もおいしい。他のお客さんも互いに気を遣いながら、静かに自分の本に集中している。その気になれば、3時間でも4時間でも本を読み耽っていられる。店内は混み合っているわけでもなく、そもそも誰も声を発しないので、今みたいなコロナ禍の状況下でもかなり安心して過ごせる。

僕の場合、昼過ぎから予約を入れて、初めに軽食と飲み物をいただいた後、ただただひたすら本を読み、途中で飲み物の追加注文を入れたりして、3時間ほどでお店を出る、というパターンにしている。今はカーソン・マッカラーズの『心は孤独な狩人』を熟読中。贅沢な時間だ。本を読むことの愉しさ、豊かさを、あらためてしみじみ実感している。

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アーシュラ・K・ル=グウィン『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』読了。稀代のストーリーテラー、ル=グウィンによる小説執筆のための手引き。英語と日本語の性質の違いはもちろんあるが、僕のようなノンフィクションの書き手にも参考になる部分が多かった。今までの経験値で何となく身につけていたつもりの文体や技法を、あらためて整理して見直すきっかけにできそう。それにしても、ル=グウィン先生のコメント、どれもめっちゃ直球で、グサグサ刺さる(笑)、いい意味で。

フローズン・ショルダー

春頃から患っている、右肩痛。いわゆる四十肩、五十肩なのだが、最近になってようやく少しずつ、症状が和らいできた。

痛みが引いてきたのはいいものの、右肩から右肘にかけてが思うように動かせなくなっている状態はまだ続いている。肩周りの筋肉のいくつかがこわばってしまっていて、間接の可動域がすっかり狭まってしまっているのだ。右手を右腰に当てたり、背中でエプロンの紐を結んだりといった、何気ない作業がまともにできない。やれやれである。

四十肩の症状は、急性期(炎症が起こっていて痛みを伴う)、慢性期(炎症は収まっているが肩が思うように動かせない)、回復期(次第に肩が動かせるようになる)に分かれているそうだ。僕の状態は今、慢性期にあたるのだろう。自分でも笑えるくらい、肩の可動範囲が狭い。四十肩が英語で「フローズン・ショルダー」と呼ばれているらしいのも、納得である。

なので最近は、肩周りを少しずつ無理のない範囲で動かしたり、ストレッチをしたりして、リハビリに取り組んでいる。慢性期の段階でリハビリをおろそかにしていると、回復期に入っても以前のような可動域が復活しない場合もあるそうなので。

今は自宅での自重トレーニングも思うようにできていないから、早く完治させて、以前のように身体を動かせるようになりたいな、と思っている。まあ、焦りは禁物だけれど。

一年ぶりのラジオ

昨日の午後は、J-WAVEの「GOOD NEIGHBORS」という番組に出演した。ラジオ番組への出演は、昨年春に出たbayfmの「THE FLINTSTONE」以来、約一年ぶり。J-WAVEでの出演となると、2012年以来、九年ぶりということになる。

昨年の出演時はGoogle Meetを使ってのリモート収録だったのだが、今回はリモートでの生出演。スタジオとの映像中継はパソコンのZoomで(Zoomの音声はオフ)、音声はiPhoneのFaceTimeアプリ(FaceTimeの画面はオフで音声のみ)でマイク付きイヤフォンを使って、という方式だった。聴いてくれた方々がみな「リモートなのに、話し声が意外にクリアでびっくりした」という感想を伝えてくれた。実際、FaceTimeで音声を取ると、Zoomなどよりも音質がかなりよくなるらしいのだ。かれこれ一年以上もの間、リモートでのゲストの出演や収録を数多く強いられているラジオ局側の工夫なのだと思う。

トークの内容自体は、平日午後に放送される穏やかな雰囲気の番組ということもあって、聴く人の大半をおいてけぼりにするようなマニアックな話は、もちろんしなかった(笑)。ただ、それまで僕やラダックのことをまったく知らなかったような人が、今回の放送を聴いて「へー、ラダックって、どんなところなんだろう」と心の隅にでも付箋を貼っておくように気に留めてもらえていたら、それだけで僕はとても嬉しい。

次にJ-WAVEからお呼びがかかるのは、いつなんだろう。また、九年か、十年後くらいかな(笑)。

そして十年が過ぎて

父が他界して、今日でちょうど、十年になる。

父について – The Wind Knows My Name

上の文章は、当時、父の葬儀を終えた後、インドにとんぼ返りしてザンスカールで取材をしていた時、日記としてノートに書き留めていた文章をもとにしたものだ。それから歳月が過ぎて、新しい本に当時のザンスカールでの話を書くと決めた時、当時のノートをほぼそのまま引き写す形でこの文章を収録するのは、僕にとってはごく自然な成り行きだった。僕にとってのラダックという土地とそこで暮らす人々の位置付けについて考える時、この話は、あった方がいいと思ったのだ。

岡山の実家で暮らす母は、十年後の今も息災だ。彼らの孫はあれから一人増えた。僕自身は、まあ、どうにかこうにか、かろうじて、同じ業界で生き残っている。父が期待していた(かもしれない)レベルの人間になれたとは、あまり思えないが。

普段の生活の時間の中で、父のことを思い出す回数はそれほど多くないけれど、夢の中には、今でも時折、父が出てくる。寒い日の朝、車のエンジンを暖機運転させながら、車庫の前で古ぼけたバットを素振りしている姿とか。夢の中でも、あいかわらず飄々としていて、つかみどころのない人に思える。

地球は二十四時間で一回転し、一年で太陽の周りを一周する。時は刻々と過ぎていく。その中で僕たちは、一日、一日を、できる範囲で精一杯、生きていく。