日常の価値

終日、部屋で仕事。今日は変な邪魔も入らず、集中して作業できた。昼はラーメンを作り、夜はパスタを茹でる。麺類づくしだが、まあ、別にいいや(笑)。

晩飯の後も作業を続け、どうにか今日のノルマ達成。この調子なら、来週の〆切に間に合いそう。風呂でシャワーを浴びてすっきりしてから、冷蔵庫からサッポロ黒ラベルを一缶取り出し、プシュッ。

すっかり当たり前のように感じてしまいがちだけど、こうして仕事終わりにビールが飲める日常がいかにありがたいものか、としみじみと思う。春には東北の震災があって、夏には父が逝って、無我夢中でラダック取材に挑んで‥‥。

やらなければいけないことが、たくさんある。忘れてはいけないことも、たくさんある。

Aside

前からこのブログをご覧いただいている方はお気づきかもしれないが、少し前から、各エントリーのフッタにTwitterやFacebookなどのシェアボタンなどが表示される仕様にしている。これは、Jetpack by WordPress.comという、WordPressの開発元Automattic社が提供するプラグインによるもの。

このプラグインは現時点で8つほどの機能がセットになっていて、サイトの統計情報やTwitter対応ウィジェットなどの他、Sharedaddyというシェアボタン表示機能が用意されている。利用するにはWordPress.comに登録してアカウントを取得する必要があるが、たいした手間ではない。ミクシィやはてブといった日本ローカルなサービスにはデフォルトでは対応していないが、僕的にはTwitterとFacebookで十分。設定などの使い勝手も悪くない。

何の苦もなくこういう機能が実装できるのが、WordPressのいいところだよなあ、と思う。

敵と味方と

昼、仕事に取りかかろうと思ったら、一通のメール。先週電話口で口論になった取引先の人からの原稿の大幅な書き直し依頼だったのだが、何度読み直しても、何を指示しているのかさっぱり理解できない。仕方なく先方の上司の方に話を振ったら、「ほとんど問題ないですね」と、結局2項目だけの書き直しで決着。何だったんだいったい(苦笑)。

自分のようにフリーランスで世の中を渡り歩いていると、時には、自分の立場と仕事を守るため、怒りたくもないのに怒らざるを得ないことがある。怒ってみせなければ、その時に強いられた不合理が後々までまかり通ってしまうから。僕自身がもっと大物になれれば何の問題もないのかもしれないが(苦笑)、とりあえず今はまだ、望まない戦いをしなければならないことがしばしばある。

僕はもともと丸い性格ではないから、そういう仕事絡みの諍いで敵に回してしまった人も少なからずいると思う。今回口論になった相手からも、藁人形に五寸釘を打ち込みたいくらいには恨まれてるかもしれない(苦笑)。でも僕は、仕事絡みで敵になってしまった人がいたとしても、その人を憎んだりはしたくない。そういうことにエネルギーと時間を費やすのは疲れるし、もったいないから。ただ、もう二度と俺に近づくな、と念じるばかりだ。

敵もいれば、味方もいる。結局、長続きする仕事は、互いに信頼できる相手とのものだから。

「明りを灯す人」

美しい自然に恵まれた中央アジアの小国、キルギスのイシク・クル湖畔を舞台にした映画で、主人公は小さな村で「明り屋さん」と呼ばれる電気工、ときたら、きっと、ほのぼのと心穏やかになれる映画に違いない。先週観た「息もできない」が重いテーマの作品だったので、バランスを取りたいなと思ってこの「明りを灯す人」を選んだのだが、どっこい、ある意味、先週以上に重く、悲しい映画だった。

主人公の「明り屋さん」は、料金を払えない貧しい家の電気メーターを細工してタダで使えるようにするなど、困った人を見過ごせない、純朴で優しい男。彼の夢は、村の対岸の峡谷に発電用の風車をたくさん建てて、村に電気をもたらすこと。妻も幼い娘たちも、村人たちも、そんな彼を愛していた。だが、キルギスという国の政治は混迷の度を増し、ロシアや中国といった大国から押し寄せる激しい変化の波は、彼らの小さな村にも押し寄せる。貧しいながらもキルギス人としての誇りを持ち続ける「明り屋さん」の行末は——。

実際、終盤にさしかかる直前までは、本当にのどかでほのぼのとしたテンポで(途中に凶兆は差し込まれるのだが)話が進むので、物語の結末との落差には、多くの人が唖然とするに違いない。でも、主人公の「明り屋さん」が、キルギスという国と人々そのものを体現している存在と考えれば、この結末になるのも納得できる。それだけ、現在のキルギスを取り巻く状況は苛酷なのだ。国内政治は混乱を極め、2010年の民族紛争では多くの血が流れ、ロシアや中国の資本に思うように蹂躙され‥‥。それでも、風車が鎖を引きちぎって再び回り、ささやかな明りが灯される日が、きっと来る。自身で主演を務めたアクタン・アリム・クバト監督は、そんなメッセージを込めたかったのに違いない。

僕が好きなシーンは、村の男の子が高い木によじ登って降りられなくなったのを、「明り屋さん」がロープを肩に助けに行く場面だ。自らの危険も省みずに、男の子が枝にしがみついている場所にまで登った「明り屋さん」は尋ねる。「どうして、こんなところにまで登ったんだ?」

男の子は答える。「見たかったんだ。山の向こうを」

六月のような十月

午後、映画を観に渋谷方面に出かける。何だか蒸し暑い。十月なのに、まるで六月頃のような天気だ。

途中、表参道にある店に寄って、前から目をつけていたジーンズを購入。ジーンズを買ったのは本当にひさしぶりだったのだが、ウエストが30インチでぴったりだったので、ひと安心。太ってなかった(笑)。

その後に観た映画は——たぶん明日レビューを書くけど——先週観た映画が結構重い内容だったので、今週はほのぼのした牧歌的な映画を選んだつもりが、ある意味、先週以上に重かった(苦笑)。どよーん、とした気分を晴らすべく、新宿に移動し、アカシアでピルスナービールとビーフシチューのプチ贅沢。蒸し暑かったので、ビールがうまい。

まあ、映画はいい映画だったし、ジーンズは買えたし、おいしいものも食べられたしで、いい休日だったかな。