バックパッカーとは何か

二十代の頃から、僕はあっちこっちの国をふらふらと旅してきた。そういう話を人にした時、「あ、じゃあヤマタカさんは、バックパッカーなんですね!」と言われたりすると、ちょっともじもじした気分になる。

そもそも僕は、自分はバックパッカーなのだと意識したことがほとんどない。バックパッカーって、何なのだろう? 世の中には、それが何か特別な存在であるかのように定義する人もいる。でも、僕からしてみれば、バックパッカーというのは「荷物をバックパックに詰めて、主に海外を旅している人」というくらいにしか思えない。強いて付け加えるなら、「パッケージツアーを利用せず、主に自分自身の力で手配をして旅している人」くらいだろうか。

バックパッカーになって旅をすること自体は、別に特別でも何でもない。それで誰かを助けたり、何かを生み出したりしているわけではないのだから。旅を通じて得た経験を、誰かのために役立てることができるかどうかは、その後のその人の生き方次第。すっかり無駄にしている人も、もしかしたらいるのかもしれない。僕自身、その経験を今に活かせているかどうか、自信はないけど。

だから僕は、「ヤマタカさんって、バックパッカーなんですね!」と言われたら、否定してしまうわけにもいかないので、「あ、そんな大層なもんじゃないんで、ほんとすみません」と謝ることにしている(苦笑)。

虹の向こうへ

朝から、みぞれ混じりの雪が降り続く。部屋でラーメンを作り、コーヒーを淹れ、今書いている本の次章のレイアウトラフを描く。夕方、雪が止んだ頃に身支度を整え(ヒートテック上下着用)、出かける。青山のスパイラルで開催される、畠山美由紀のトークイベント&ミニライブへ。

店舗内に椅子を並べた小さな会場に、たぶん100人以上の人が集まって、立見の人も大勢いた。トークイベントでは、畠山さんと、先日出たアルバムのアートワークを描かれた奥原しんこさんと、「SWITCH」編集部の川口さんが登場。畠山さんと奥原さんはともに気仙沼の出身。震災の頃のそれぞれの様子と、その後の被災地での取り組みの話を聞く。状況は未だに難しいことを忘れず、少しずつでもできることをしていかなければな、とあらためて思う。

その後のミニライブでは、笹子重治さんのギターにのせて、畠山さんがのびやかに歌う、歌う。特に、「わが美しき故郷よ」の詩の朗読から歌へとつながる流れでは、泣けて仕方なかった。演奏が終わった後も、なかなか鳴り止まない拍手。最後はボサノヴァ調の軽やかなアレンジで「Over the Rainbow」。短いけれど、素晴らしい時間だった。

越えていこう、虹の向こうへ。

アナログな作業

冷えるなあ。今夜は雪になるのだろうか。

今日は終日、部屋で仕事。昨日の打ち合わせの内容を受けて、地図の制作を依頼するために必要な素材の準備をする。紙の地図を苦労してコピーしたり、グーグルマップの画像をプリントしたりしたものに、掲載したい地名や建物名を、赤ボールペンでちまちまと書き込んでいく。なんというアナログな作業(笑)。

でも、編集の仕事というのは、今でもこうしたアナログな作業に支えられている部分がすごく多い。で、僕個人としては、そういうアナログな作業で処理した方がはるかに効率がいい場面がたくさんある。レイアウトラフ然り、文字校正然り。パソコンだけじゃできないことって、未だにたくさんあるものなのだ。少なくとも、本づくりの世界では。

だから、自分の手を動かしてこういう作業をするのが好きという人は、編集者の素質があるんじゃないかな、と思う。

うかうかしてると

午後、外苑前で打ち合わせ。今書いているラダックのガイドブックについて、デザインフォーマットを検討して細部を詰めたり、収録する地図や、表紙のデザイン案などについて話し合う。

いつもながら思うのは、本づくりは、一人ではできないものなのだな、ということ。各方面のプロの方々の意見を聞いていると、自分だけでは思いもよらなかったアイデアや考え方を提案してもらえる。いい感じで化学反応が起きている手応えを感じた。

このガイドブック、順調に行けば五月頃には発売される見通しなのだが、打ち合わせでゴールデンウイークの頃の進行について話をしていると、何だか気が遠くなった‥‥。ついこの間、2012年が始まったばかりだと思ってたのに、もう半年くらい過ぎちゃった気分(苦笑)。

うかうかしてると、時間を無駄にしてしまう。気合いを入れ直して、がんばらねば。

卒業論文

今の時期、大学四年生の人はそろそろ卒論を提出する頃なのだろうか。自分が卒論を提出した時のことを、今でも時々思い出す。

大学時代、僕は本当に不真面目な学生で、授業もろくすっぽ出ず、評価も「可」に相当する「C」や「D」ばかり。スレスレで単位を取っているような状態だった。西洋史専攻だったので、卒論も何か歴史に関すること(当たり前だ)を書かなければならなかったのだが、思案した挙句、選んだテーマは「グラフ・ジャーナリズムの歴史的展開」。20世紀初頭、新聞や雑誌に写真が使われはじめた頃からの流れを、フォトジャーナリストたちの人生とともにまとめるという目論見だった。歴史といえば歴史だが‥‥(苦笑)。

とりあえず、書かなければ絶対卒業できないということで、資料をあれこれ突き合わせながら、どうにかこうにか3万字ほど書き上げ、年末の〆切までに提出。で、その少し後に、卒論の担当教授との面接審査が行われることになり、僕はなぜか、いの一番に呼び出された。問題児は最初に呼ばれるということか‥‥と、僕はすっかり観念して、研究室のドアをノックした。

ところが、担当教授は思いのほか上機嫌だった。

「山本君、これ、面白かったよ! 特にこの章のこの部分の表現が、洒落てていいね! それからここも‥‥」

え? これ、卒論の審査じゃ‥‥?

「でもね、面白かったんだけど、これにいい評価はあげられないなあ。これは論文というより‥‥読み物だよね!」

僕は椅子からずり落ちそうになった。そっか、論文じゃないのか‥‥(苦笑)。

「まあでも、読み物としては面白かったから、この論文は返却せずに研究室にキープさせてもらうよ。いいかね?」

そんなわけで、僕の「読み物」は無事に単位をもらって、研究室に保管されることになったのだった。今でも、あそこにあるのかな?