虚脱感

昼、赤坂で打ち合わせ。連休中にチェックを終えたラダックのガイドブックの色校を、編集者さんに渡す。これで、僕がこの本の制作で関わる作業はすべて終わり。明日には編集者さんのところでも校了して、週末には下版。その後は印刷工程に入る。

いよいよ、というか。やっとここまで来た、というか。もうこれ以上、何も作業しなくていい、というか。もうこれ以上、あの本を作り続けることはできないのか、というか。

正直言って、達成感や充実感よりも、今は虚脱感の方が強いような気がする。それくらいこの本は、僕にとって大きな仕事だった。準備段階から費やしてきた時間も、取材や執筆に注ぎ込んだ労力も、あらんかぎり振り絞った自分の能力も。ふりかえってみても、これに匹敵する大きな仕事は、「ラダックの風息」くらいしかない。それだけに、制作が終わってしまったことに、ちょっと寂しさを感じる。

まあ、来週末に見本誌が届いたら、達成感や充実感のようなものが湧いてくるのかもしれないな。自分の子供が生まれてくる時のように。

嵐の記憶

昼頃までは日も射して暑いくらいだったが、急に空が暗くなったと思ったら、風、雨、雷。激しい嵐になった。

こういう嵐に出くわすと、いつも、あの夜のことを思い出す。2010年の夏、トレッキングで分け入っていたラダックの標高五千メートルの山の中で、真夜中に激しい嵐に見舞われた時。テントが吹き飛ばされそうになるほどの風と、叩きつける雹混じりの雨と、空を覆う凄まじい稲妻。あの嵐の数時間の間に感じた恐怖は、たぶん一生忘れられないだろう。同じ時、ラダック各地で起こった土石流災害の死者・行方不明者は、600人以上に達した。

あの時の僕は、神様の気まぐれで、たまたま生き残っただけなのだ。いつ、どんな形になるかわからないけど、いつかは必ず、自分の番が来る。だからこそ、その順番が来るまで、自分にできること、やるべきことを、精一杯やっていかなければならない。嵐の記憶は、僕にそんなことを思い起こさせる。

ひさしぶりの自転車

いい天気。今日を逃すと当分チャンスがなさそうだし、自転車に乗ることにした。紫外線が凄そうなので、念のために日焼け止めを塗って、いざ出発。Tシャツとクロップドパンツでも暑いくらいだ。

選んだのはおなじみの、野川公園から野川、二子玉川、多摩川と回るコース。本当は、先月の桜の時期にこのコースを回りたかったのだが、忙しくて時間が作れなかった。でも、今日は今日で、野川沿いの景色は新緑で眩しいくらいに綺麗だった。魚採り網を手に、川に入ってはしゃいでる子供たち。川べりの遊歩道をぶらぶら歩いてる老人たち。僕と同じように自転車に乗ってる人も多い。やたら長いレンズと三脚をつけたカメラを持ち歩いてる人も多いな(笑)。

二子玉川から多摩川にかかる橋を渡ると、「‥‥何のフェスだ?」と訝りたくなるほど、ものすごい数の人たちが河川敷でバーベキューをしていた。肉の焼ける匂いと煙でむせかえるほど(苦笑)。休みの日の多摩サイは、ふらふらと危なっかしげに歩く人が多い一方で、シャカリキにロードレーサーを飛ばす人もいて、危なくて気が抜けない。

登戸茶屋でコーラを飲んで休憩。登戸から鶴川街道までは、左岸の車道を走ってみることにした。ある意味、こっちの方が多摩サイより安全かも。ギヤをトップに入れてしばらく走ってみたが、帰りの深大寺あたりの上り坂で、あっさりと脚が動かなくなってしまった。なまってるなあ、身体‥‥。去年の夏にラダックで増殖したヘモグロビンも、普通の人並みに戻ってしまったようだ。

ガイドブックが校了すれば、しばらくはそんなに忙しくならなさそうだし、自転車とか、登山とか、ちょっとがんばってみるか。

進行管理という仕事

本や雑誌の編集者というと、企画を練ったり、著者やデザイナーと打ち合わせをしたり、実際の編集作業で手を動かしたり‥‥と、ものづくり的な仕事というイメージを持っている人が多いと思う。でも、編集者には、そういった作業と同じくらい大切な仕事がある。それは、進行管理。企画のスタートから下版して印刷工程に入るまで、各工程のスタッフのスケジュールを管理して、制作が破綻なく進むようにする仕事だ。

この進行管理が甘いと、作業が遅れて後へ後へとしわよせが来て、スタッフが想定外のタイミングで無茶な量の作業を強いられることになる。その結果、印刷した本や雑誌に大きなミスが残ってしまったり、ひどい場合は本自体の刊行が遅れてしまったりする。いつ出してもいいという本なら構わないが、ほとんどの場合、販売などの関係でそういうわけにはいかない。

進行が遅れる原因はいろいろある。作業のスタートそのものが遅すぎたり、作業量に比べて各工程に設定した作業時間の見込みが甘すぎたり、どこかの工程の作業が何らかの理由で大幅に長引いたり。こうしたことが起こると、とたんに全体の進行が滞ってしまう。進行の遅れを防ぐには、遅れている工程のスタッフにびしびし催促したり(あまりやりたくない)する前に、まず最初にスケジュールを設定する時に、各工程が無理なく回るようにスタッフ全員としっかり打ち合わせをして、制作途中でもちょくちょく確認しながら微調整をしていくことが大事だ。

大変な作業をしなければならないのなら、その分スタートを前倒しすることを考えるべきだし、前倒しする時間がないなら、臨時にでも人手を増やすことを考えるべき。時間も人手もないのなら、そもそもその体制でその企画をやるべきなのかというところから考える必要がある。

進行管理をしっかりやって、多少でもゆとりのあるスケジュールで制作を進められれば、掲載内容の急な差し替えや、スタッフの急病など、不測の事態が起こったとしても、それほど慌てずに対処できる。でも、進行管理とは、そういう安全面への配慮のためだけのものではない。ぎりぎりまで細部を煮詰め、ミスを減らし、品質を向上させるための作業に使う「余裕」を各工程が持てることが、進行管理の一番の目的だと思う。

猛烈に忙しくて進行が破綻してしまった‥‥と嘆く同業者が時々いるが、お気の毒と思う反面、もったいないなあ、とも思う。それだけ忙しいなら優秀な編集者なのだろうし、きっといい本や雑誌も作っているのだろうけど、その人が進行管理をきっちりできる状況にあれば、そこで生まれる「余裕」を使って、もっといい本や雑誌を作れたに違いないからだ。ほんと、もったいないと思う。

時代を先取るセンスとか、天才的な企画のヒラメキとか、読者の心をつかむ文才とか、そういった才能はあるに越したことはない。でも、進行管理をきっちりやるための几帳面さと誠実さは、すべての編集者にとって必要な能力だ。そしてその二つは、そんなに努力しなくても身につけられる能力でもある。きらめくような才能がなくても、その時々にやるべきことをコツコツと積み上げていけば、いい本を作ることはできる、と僕は思う。

30秒前の攻防

僕は麺類が好きで、家ではパスタやラーメンをよく作る。工夫らしい工夫は何もしてないけど、茹で時間には妙なこだわりがある。

たとえば、茹で時間11分のパスタなら、キッチンタイマーを11分にセットして寸胴で茹ではじめ、10分30秒になったら火を止め、湯を捨てる。ラーメンも同じで、茹で時間が3分なら、キッチンタイマーを3分にセットして茹ではじめ、2分30秒になったら火を止める。というのも、指定通りの時間で茹でたら、火を止めてコンロから鍋を移動させたりしてるうちに麺に余熱が通り過ぎてしまうんじゃないか、という疑問がずっとあって、ならば火を止めてからの余熱の時間も見越して早めに火を止めよう、と考えた次第。

だったら、最初から10分30秒とか2分30秒とかにタイマーをセットすればいいのに、と思う人もいるだろうが、僕としては、それでは意味がない。セットした時間の30秒前に作業を始め、麺を湯切りして器によそい終わるかどうかというタイミングで、チャララ〜♪とタイマーが鳴り響く。これが大変気持いいのだ(笑)。

‥‥何だろう。自分で書いてて、すげーバカっぽい(笑)。