力を出せる場所

先月下旬に発売された「ラダック ザンスカール トラベルガイド インドの中の小さなチベット」が、まずまずの売れ行きを示しているらしい。もちろん、インドの山奥のマイナーな地方についてのガイドブックだから、何万部も飛ぶようにというわけにはいかないけど、その割にはまずまず、というところらしい。

僕はこれまで、いろんな雑誌の編集者やライターを務めてきた。だから、著作のラインナップに関しても、マルチというか雑食というか、言うなれば節操がない感じなのだが(苦笑)、他のテーマの本と比較すると、ラダックについて書いた本は、僕のところまで寄せられる反響の数が桁違いに多い。それ以外のテーマで出版社から執筆や編集を依頼された本でも手を抜いたりはしないが、やっぱり、自分が本来の力を一番出せる場所というのはあると思うし、また、それをこそ待ってくれている読者の方々もいるのだと思う。

吹けば飛ぶよなフリーランサーが日々の糧を得ていくには、ヨロズ屋稼業にならざるを得ない時期ももちろんある。でも、自分が一番力を出せる場所はどこか、読者が一番待ち望んでいるのは何かということは、常に考えていなければならない。特に最近は、自分本来のありようをもっとわがままに追求していってもいいのではないかと感じている。

今年の夏、再び彼の地を訪れて、誰もが呆れるようなことをやらかそうとしてるのには、そういう理由もある。

歴史的邂逅

チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ法王14世と、ミャンマーの最大野党、国民民主連盟(NLD)のアウン・サン・スー・チー女史が、6月19日、訪問先のロンドンで会談。ともにノーベル平和賞の受賞者であり、それぞれ想像を絶する苦難の道を歩んできた二人。このツーショットを目の当たりにする日が来ようとは‥‥。

奇跡とか、希望とか、そういうものをあらためて信じられるような気がする出来事だった。

六月の台風

午後半ば頃から雨が落ちはじめ、夕刻から夜になると、激しい嵐になった。台風四号が上陸したらしい。まだ六月なのに、台風とは。

この台風四号、別名を「グチョル」というらしい。なんじゃらほいと思ってググってみると、ミクロネシア語で「ウコン」の意味だとか。環太平洋地域の各国の政府間組織が、各国から持ち寄られた名称を順番につけていってるらしい。ウコン‥‥なぜ‥‥。

今も窓の外では、颶風が唸りを上げている。土砂崩れなどで大きな被害が出ないといいのだが。明日は晴れるのかな。

「写真のプロ」ではない?

一昨日の夕方、一冊の本が送られてきた。去年の秋に僕が書いた取材原稿が含まれている、フォトグラファーになりたい人向けのハウツー本の見本誌だ。

この本で、僕は一人のフォトグラファーを取材したほかに、僕自身もフォトグラファーの一人として取材を受けた。ラダック関係の著書や写真とともに、4ページほどの記事で紹介されている。僕を取材したのはこの本の担当編集者だったのだが、最初に上がってきた原稿は、ちょっと調べればわかる範囲の事実誤認やミスのオンパレード。インタビューとしても、いったい何が訊きたかったのかわからないほどまとまりがない、メタメタなものだった。あまりにひどい出来だったので、結局、その4ページ分の原稿は僕自身がすべて書き直さざるを得なかったのだ。インタビューをされた本人が、である。

年が明けて少し経てば発売されるはずだったその本は、件の担当編集者のスケジュール調整の不手際で、制作がずるずると延期。ようやく発売日が決まって、去年の秋に書いた原稿のギャラが振り込まれることになったのは、執筆からなんと9カ月後というていたらくだった。

これまでの経緯だけでもつくづくうんざりしていた僕は、送られてきた見本誌を見て、またしても頭の痛い思いをすることになった。僕のインタビューページの前に、前置きのような形で僕の紹介が1ページ載っていたのだが(そういうページを載せるという話を僕はまったく聞いておらず、当然ゲラチェックもさせてもらってなかった)、その紹介文の冒頭で、次のような言葉が使われていたのだ。

山本氏は、写真のプロではない。ライターであり、編集者でもある。‥‥

フォトグラファーを紹介する文章として、これほど失礼なものもちょっと思いつかない。そもそも、何を根拠に「写真のプロではない」と言い切ってるのかわからない。別に自分の技量に自惚れてるわけではないが、僕は仕事として写真を撮り、写真を使った複数の著書を持ち、各社の媒体にも写真を提供して報酬を得ている。それで「写真のプロ」とは言えないのだろうか。これを書いた件の編集者は、フォトグラファーとしての僕を貶めようとしているのか、それとも何も考えてないヌケサクなのだろうか。

このページでは他にも多数の事実誤認があったほか、本編の4ページ分の記事内での作品紹介用に用意していた写真も無断で転用されていた。自分の立場を守るためにも、こればかりは看過できない。結局、件の編集者の上司の方に連絡して、出荷前のすべての本に訂正文を印刷した別紙を挟んでもらうことになった。まあ、それでも、そのページがみっともない有様であることには変わりないのだが。

ここで、その本のタイトルや出版社名を挙げるつもりはないし、本自体の出来をどうこう言うつもりもない。ただ、少なくとも僕が登場しているページに関しては、そういう何もわかってない編集者が作った、熱意も何も籠ってない記事だということだけは書いておきたい。この編集者とは、もう二度と仕事をすることはないだろう。

「ル・アーヴルの靴みがき」

奇才という言葉がこれほど似合う人はいないであろう映画監督、アキ・カウリスマキの五年ぶりの新作「ル・アーヴルの靴みがき」を観に行った。フランス北部の港町ル・アーヴルで、靴磨きをして生計を立てる初老の男マルセルと、妻のアルレッティ、犬のライカ。つつましい暮らしを送る彼らの前に、アフリカから来た不法移民の少年イドリッサが現れる。マルセルが次第にイドリッサに深く関わるのと時を同じくして、アルレッティは病に倒れて入院し、医師から余命いくばくもないと告げられる‥‥。

徹底的に決め込まれたカメラの構図やライティング、抑えた表情の俳優たち、独特の間合いでぽつぽつとやりとりされる台詞。リアリティからかけ離れた、どこか異世界に迷い込んだかのようなカウリスマキ節はこの作品でも健在で、いつのまにかどっぷり引き込まれてしまう。全編にわたってうらぶれた哀愁が漂う中、登場人物たちはとても穏やかで、時に滑稽で、そして温かい。イドリッサをめぐる騒動の渦中で、マルセルと周囲の人々が惜しみなく善意を差し出していくさまも、こちらには何の嫌味もなくスッと受け止められる。特に、モネ警視‥‥カッコよすぎる!(笑)

ラストシーンについて書くのは野暮なことだが、誰もが「ええ〜っ!」と驚く展開なのは間違いない。思うに、ストーリーとしてそういう結末になったこと自体には、さしたる意味はないのかもしれない。何というか‥‥「世界は、こうあるべきだ! あなたも、そう思うでしょう?」と、最後の最後で突然、カウリスマキ監督がスクリーンからこちらに身を乗り出したかのような、そんな印象を受けた。

観終わった後、意外にも(笑)すっきりと気分の晴れる、いい映画だった。