ナロとの再会

午後、自転車に乗って、小金井方面へ。たかしまてつをさんと中村文さんのお宅に伺う。

こっちに引っ越されてからお宅にお邪魔するのは初めて。一軒家の二階はアトリエになっていて、何というかもう、夢のような空間。壁から窓辺から襖に至るまで、たかしまさんの絵でぎっしり埋め尽くされている。個展の会場かと思うほど。いいなあ。

中村さんとの仕事の打ち合わせの後、一階の縁側にいたナロにご挨拶。会うのは二年半ぶり、三度目くらいかな。前の時はほんの子猫の頃だったが、今はすらりとした妙齢のお嬢さんに成長していた。そして相変わらず、筋金入りのビビリ(笑)。僕のことも訝しそうな目で見ていたが、そんなにダメでもなかったらしく、用心深く、くんかくんかしてきた。緊張してうずくまってこっちを見てるうちに、寝落ちしそうになったりして(笑)。めんこいのう。

何だかすっかりいい気分で、僕はペダルを踏んで家路についたのだった。

アラバマとキューバ

昼から午後にかけて、ひとしきり編集作業や連絡業務。それも夕方には片付いて、部屋でCDを聴いたりして、しばしのんびり。

最近よく聴いてるのは、アラバマ・シェイクスの「Boys & Girls」。サザン・ロックやソウルを主にやっているバンドで、とにかくパワフル、でもあったかい。ずどーん、ぎゅわーん、ぼわーん、と聴いてて実にキモチイイ。何か変な擬音だが(笑)、ほんとそんな感じなんだもの。

もう一枚、この間買ったのが、マテオ・ストーンマンという人の「Mi Linda Havana」(マイ・ビューティフル・ハバナ)。畠山美由紀さんがブログで激賞されてたのだが、これは名盤。キューバをこよなく愛する彼が何年もの時間をかけて作り上げたアルバムだそうで、か細いと言っていいほどの(だがそれがいい)繊細なヴォーカルと、たゆたうようなピアノとギターがたまらない。いかん、心地よすぎて、これを聴くと眠気が‥‥。

アラバマだったり、キューバだったり、部屋の中で脳内プチトリップ。行ってみたいな。

そば湯

夕方、ひさしぶりに「きびや」へ。三鷹南口にある、そばの名店。以前は割とよく行っていたが、こちらが引っ越して距離が離れたのと、人気が上がって常に混み合うようになってから、しばらく足が遠のいていた。

注文したのは、玉子焼き、揚げだし豆腐、つけ鴨そば。あと、焼酎のそば湯割り。そばはきりっと角が立っていて美しいし、鴨の肉は柔らかいし、料理もどれもうまかった。ひと通りたいらげてから、鴨の旨味が溶けたつけ汁をそば湯で割って飲む。

そばを食べた後にすするそば湯は、おいしいものを堪能した後の穏やかなフィナーレみたいな感じで、とても好きだ。だいたい、焼酎があれば必ずそば湯割りにして注文するくらいだし。ある意味、茹でる時の副産物でしかないのに、偉大な存在だなあ、と思う。

反省した。これからは、もっとそばを食べよう。

前後不覚

昨日の夜は、たぶん2時か3時くらいに寝床に入ったと思うのだが、今日起きてみたら、思いっきり昼を過ぎて、2時頃になっていた。12時間くらい寝た計算になる。

実はその前まで、なかなか寝付けない日が数日続いていたのだが、昨日大きなプレゼンを終えてほっとした解放感で、前後不覚に眠りこけてしまったのだろう。やっぱり疲れがたまっていたのかな。

とりあえず、今はものすごく急ぎの仕事が入ってるわけでもないので、今週末は人並みに休養するつもり。とはいえ、新企画のブラッシュアップなどをチョコチョコやってしまってはいるが‥‥。嗚呼ワーカホリック。

残された時間

午後、八丁堀で2件の打ち合わせ。編集プロダクションの方との顔合わせと、僕が提案した新企画のプレゼン。後半のプレゼンは、先方の出版事業本部長の方と、今回の件を段取りしてくれたラダックガイド本の担当編集のTさんとを前にさせてもらった。

話の途中、「仕様を決めるなら、この本が参考になるかも」と部長さんが挙げた本があった。それは、Tさんが外部の女性編集者の方と作った、アジアンファッションをテーマにした本だった。華やかで感じのいい写真がふんだんに使われているだけでなく、編集もすごく凝っていて、何というか‥‥女の子がこれを読んだら、自然と口元が緩んでくるような、そんな楽しげな本。最初に出したのが好評だったので、翌年、第二弾も出したのだという。

プレゼンの後、Tさんと二人で会議室に残って今後の方向性を話し合っていた時、このアジアンファッションの本の尋常でない編集のこだわりっぷりを、版元側の編集担当でもあったTさんは熱心に説明してくれた。

「すごいですね、ほんと。第三弾は出さないんですか?」

すると、Tさんはちょっと唇をかんで、こう言った。

「出せないんです。亡くなったんですよ、この方。第二弾を出した半年後に。ガンだったそうです」

思いがけない返答に、正直、僕は面食らった。

「最初の本を作っていた時、彼女は自分の病気のことを知っていたそうですよ」

僕は視線を落として、手元にある本を、もう一度ぱらぱらとめくった。1ページ1ページに、笑顔が溢れている。自分に残された時間がわずかであることを知りながら、彼女はありったけの愛情を込めて、この美しい本を作ったのだ。そして彼女が立ち去った後も、本はこの世界に残り続け、人々の手に取られ、読まれている。

たかが本、なのかもしれない。所詮はただの紙の束、なのかもしれない。でも、僕たちのやってることは‥‥この本づくりという仕事は、きっと無駄じゃない。

胸の奥の方が、くっ、と熱くなった。がんばろう、と思った。