おでんを作る

よく晴れた日。空気は冷え冷えとしてて、かなり寒い。

今日の晩飯は、ひさしぶりにおでんを作ることにした。近所のスーパーに行くと、いろんなおでん種がつゆの素とセットになったパックが売られている。便利になったものだ。先に大根を寸胴で茹で、つゆの素を投入し、だししょうゆで少し味を調整。しばらく経ってからおでん種を投入し、弱火で30分ほど煮る。パックされてた時はちっこかったおでん種たちが、むくむくと肥大していく様が面白い。大根もちょうどいい塩梅に煮えたし、おいしくいただいた。

Twitterを見ると、知り合いで今夜おでんだった人、多数(笑)。

プレゼント

今度の年末年始は、岡山の実家に帰省する。そこで待ち構えているのは、姪っ子と甥っ子。

姪っ子は来年中学生になるので、遅めのクリスマス兼ちょっと早めの進学祝いに、iPod nanoをプレゼントすることにした。正直、iPod shuffleでもいいんじゃね?と思ったが、彼女曰く「指でこう、しゅっとやりたいんじゃ」とのことなので(苦笑)。

で、そうなると黙っていないのが甥っ子。五歳という物欲に目覚めまくりの年頃の彼は、電話のたびに「プレゼント何くれるん?」と単刀直入にねだってくる(苦笑)。とはいえ、戦隊モノや仮面ライダー系のおもちゃは個人的に買い与えたくないので、考えた末、講談社のDVD付き昆虫図鑑にした。さて、吉と出るか凶と出るか。

これだけで終わらないのが恐ろしいところで、お年玉というやっかいな慣習もある。姪っ子にはiTunes Card、甥っ子には図書カード‥‥はー。あれこれひっくるめて、諭吉さんが二枚飛んでいった。やれやれ。

安心のための選択

夕方、かなり大きな地震。うちはマンションの一階だし、さほど揺れはしなかったが、揺れ続けた時間の長さに不安がよぎる。東北地方に津波警報。場所によっては、1メートルくらいの津波が観測されたらしい。大事には至らなくて、ほっとする。

東日本大震災の記憶が薄らぎかけている人もいる中での、この余震。来週末の選挙の結果にも、かなり影響するような気がする。少なくとも僕は、原発の維持を唱える政党には投票したくないし、その辺をむにゃむにゃ言ってごまかしたり、言ってることがコロコロ変わったりする政党にも投票したくない。まあ、反原発を唱えている政党でも、具体的なビジョンや方策を何も持たないまま、票集めのためだけにそう言いふらしてる輩も少なくないのが、頭の痛いところではあるが‥‥。

結局、安心できるかどうか、なのだと思う。安心して暮らしていくための選択をする機会は、今度の選挙を逃したらしばらくは訪れない。国民投票ができない以上、この際、原発について、イエス・ノーの意思表示をするための選挙と割り切ってもいいような気がしている。僕はそのつもりで、投票所に行く。

頼みづらい仕事?

以前、仕事の依頼をしてくれた初対面の方と打ち合わせをしていた時、「こんな仕事をお願いするのは申し訳ないんですが‥‥」と頭を下げられ、ちょっとびっくりしたことがある。確かに自分の個性を発揮するような類のものではないにしろ、ちゃんとした内容の仕事だったのだけれど。

その人曰く、僕のように執筆から撮影、編集まで一人でやって本を作っている人間には、頼みづらい仕事だなあ‥‥と思っていたそうだ。他にもそう思ってる人がいるとすると、僕は結構な機会損失を被ってることになる(苦笑)。

実際のところ、僕がやってる仕事は、自分の名前が表に出るようなものばかりではなく、名前も出さずにひっそり取り組んでる案件も相当多い。少なくとも、自分の名前だけで食っていけるほど突き抜けられてはいない。その一方で、そういう機会損失が生じてる可能性があるとなると‥‥いかんなこりゃ。ジリ貧だ(苦笑)。

ただ、身の丈に合わない無謀なことをやらかすつもりはないし、守勢に回って自分で自分のレベルを下げるつもりもない。周囲がどうあれ、その時その時の自分のベストを、一つずつ積み重ねていくしかない、と思っている。一気には突き抜けられないかもしれないけれど、積み重ねていけば、いつかは届く。

費やした時間

昼、買い物などのため、都心へ。途中で六本木に寄り、今日が最終日だった星野道夫さんの写真展「アラスカ 悠久の時を旅する」を見る。

星野さんのアラスカでの取材の足跡を追う形で展示されていた写真の数々は、写真集で見慣れたものもあれば、未公開のものもあったが、どれも富士フイルム謹製の美しい大型パネルにされていて、見応えがあった。カリブーの大群、雪上を彷徨う狼、夜空を紅に染めるオーロラ。見ていて頭をよぎったのは、星野さんがこの一枚々々の写真を撮るのに費やした、膨大な時間のことだった。

たとえば、ムースの交尾の場面の写真には「これを撮るために五年待ち続けた」といったキャプションがさらりと添えられていた。他の写真も、ちょこっと出かけてささっと撮ってこれたようなものは、一枚もない。執念‥‥というのとは、ちょっと違うと思う。あの、とてつもない広がりを持つアラスカの自然と向き合うには、そんな風にしてじっくり時間をかけていくのが、一番いいやり方なのだ、きっと。

僕もいつか戻りたいな、あの高い空の下に。