この週末の三連休は、完全に「食い倒れ連休」だった。
土曜日は、春先以来ひさしぶりに、荻窪の潮州へ。ブリの黒豆ソース蒸しや和牛の煮込み、エビチリやレタスチャーハンなど、腹が張り裂けそうなくらい食った。で、一日おいて今日は、リトスタで恒例のクリスマスディナー。カボチャとさつまいもの入ったミニグラタンや白身魚のフリットが美味で、またしても腹が張り裂けそうに。どちらもたいへんおいしゅうございました。
で、その結果、明らかに身体が重い(笑)。絶対に太ったな、こりゃ。まあいいか。
この週末の三連休は、完全に「食い倒れ連休」だった。
土曜日は、春先以来ひさしぶりに、荻窪の潮州へ。ブリの黒豆ソース蒸しや和牛の煮込み、エビチリやレタスチャーハンなど、腹が張り裂けそうなくらい食った。で、一日おいて今日は、リトスタで恒例のクリスマスディナー。カボチャとさつまいもの入ったミニグラタンや白身魚のフリットが美味で、またしても腹が張り裂けそうに。どちらもたいへんおいしゅうございました。
で、その結果、明らかに身体が重い(笑)。絶対に太ったな、こりゃ。まあいいか。
自分で普通にコーヒーを淹れるようになってから、たぶん七年くらいにはなると思う。そのための道具は当初からずっと変わってなくて、ザッセンハウスのミル、月兎印の琺瑯ポット、コーノ式のドリッパーという取り合わせだった。
だが最近、ザッセンハウスの手挽きミルがそろそろ寿命に近づいてきた。ハンドルや臼歯などのメカ部分を本体の木部に取りつけている木ネジが、緩んで外れてしまうようになったのだ。そこで次は、電動ミルを導入することにした。確かに手挽きミルは風情があっていいのだけど、正直、手を動かすのが億劫になる時もあった。コーヒーは、飲みたい時にさくっと淹れて、くいっと飲みたいから。あと、電動ミルの方が手挽きよりも均一に挽けるので味が安定するという話にも興味が湧いた。
コーヒー用の電動ミルは安いものなら2000円程度で手に入るが、高速回転するカッターで砕く方式のものは、均一に挽けないし、熱が伝わって香りが飛んでしまう。カリタのナイスカットミルやフジローヤルのみるっこDX
は、コーヒー好きなら誰もが憧れる高性能な家庭用電動ミルだが、少々お高いのと、かなり大きいので置き場所に困る。
で、大きさ的にも、性能的にも、よさそうなものとして目をつけたのが、カリタのセラミックミルC-90。その筋では定番のロングセラーモデルだそうだ。ファインセラミック製の臼歯が低速回転する方式なので、余計な熱が伝わらずに均一な粉が挽けるのだという。大きさもそこそこで、使わない時は戸棚にしまっておける。
いつも飲んでるまほろば珈琲店の豆を挽いてコーヒーを淹れてみたのだが、正直、びっくりした。冷凍庫(コーヒー豆は冷凍するとある程度保つ)から出して少し経っていた豆なのに、お湯を注ぐとよく膨らむし、飲んでみても、香りも味も上々。ミルを変えただけでこんなに差が出るとは思わなかった。今まで使っていた手挽きミルがイマイチ思い通りの粗さに挽けていなかったのだが、C-90は9段階に挽き分けられる。ホッパーや粉受に静電気で微粉がくっつくのはまあ仕方ないが、それを差し引いても有り余るラクさ。
何だかすっかりうれしくなって、コーヒー熱、再燃(笑)。
前々から、うすぼんやりと思っていたことなのだけれど。
外のお店で定食などを注文すると、ごはんが左、味噌汁が右、という配置で配膳される。これには由来がいくつかあるらしいが、遠い昔から食卓の作法として定まっていた配置なのだそうだ。
でも個人的には、この配置、何となく食べづらい。僕の場合、飯椀はたいてい左手で持ちながら食べ続けるし、右に汁碗があると、右手を主菜に伸ばす時に微妙に干渉しそうで。逆の方がよくない?とついつい思ってしまう。
似たような配膳の疑問は、ラーメン屋でつけめんを食べる時にも感じる。つけめんが出される時はたいてい、つけ汁が左、麺が入った器が右に置かれる。これがやっぱり、自分としては食べづらい。麺が左にあった方が、つけ汁に麺を浸して口に運ぶ時、右手が麺の器に干渉しないのでは?と思うのだ。なので毎回、自分で左右入れ替えている。
‥‥何だろう。ものすごくどうでもいいことを書いている気がする(笑)。
昨日は誕生日だった。といっても何か特別なことをするでもなく、いつも以上に地味に過ごした一日だったけど。
次の一年は‥‥仕事の面で、もっとしっかりやらなければ、と思う。単純に生計をもっと安定させる必要もあるし、自分が好きな仕事‥‥旅にまつわる仕事をもっとスムーズに、コンスタントに続けていくための地盤づくりもしなければならないと思っている。その先のステップに歩を進めるために。
次のステップで、ぼんやりと、やってみたいと思っている場所がある。でも今は、正直言って、どうやったらそれにうまく取り組めるのか、そこで何をものにできるのか、見当すらつかない。ただ、やらなきゃいけない、やらずにはいられないという、駆り立てられるような気持だけは、確かにある。かつて、ラダックを初めて訪れた時のように。
文章や写真に関して、自分は卓越したセンスや能力を持ち合わせている人間じゃないことは、わかりすぎるほどわかっている。でも、自分がいつかやろうとしていることで大事なのは、できるかどうか、ではない。やるか、やらないか、最後までやりきれるか。それがすべて。
その時のために、しっかり準備をして、力を蓄えようと思う。
昨日は夕方に都心で打ち合わせをした後、綱島にあるPOINTWEATHERへ。旅音の林さんと落ち合い、ごはんを食べつつ打ち合わせをする。来年の今頃くらいに出せたらいいな、という本の話。まだ、予算も何もついていない、まっさらな企画なのだが。
打ち合わせのような旅のような話は、お店のオーナーの寺本さんも巻き込んで大いに盛り上がり、気がつけば、あっという間に夜の11時。楽しかったな。何の気兼ねもなく、話したいことを話せたような気がする。
一冊の本の企画を思いついて作りはじめると、いつも、次から次へといろんな人の期待や思いを巻き込んでいく。それを受け止め、背負っていくのは、時にとても重たく感じられるのだが、それでもしっかり前を向いて進んでいかなければ、と思う。何も背負わないで作った本は、少なくとも僕にとっては意味がないから。