音楽と牡蠣の夕べ、再び

昨日は、のんびりした休日だった。

昼、前から気になってた中目黒のファイブスターカフェという店に行き、マレー風ブラックカレーのおひる。その向かいにトラベラーズノートの路面店を見つけてぶらついたり、そのまま代官山まで歩いていって、旅行書コンシェルジュの森本さんにご挨拶したり。そこから恵比寿までの道の途中、お気に入りの喫茶店ヴェルデに寄ってコーヒーを飲み、家飲み用に深煎り豆も購入した。

夕方からは、品川グローリア・チャペルで開催された羊毛とおはなのライブへ。教会という会場にふさわしく、ストリングスも加わったバンドでの素晴らしい演奏に聴き惚れた。三年ほど前、恵比寿ガーデンプレイスでのフリーライブで彼らの歌を初めて生で聴いた時のことを、なぜかまざまざと思い出した。

ライブの後は、品川駅のグランドセントラル・オイスターバーで牡蠣三昧。たぶん今季は、これで最後だろうな。牡蠣の季節が終われば、もう春だ。

いい本だけど、売れない?

自分自身が作ってきた本も含めて、の話なのだけれど。

同業者と話をしていると、「あれ、いい本だと思うんだけど、売れないんだよねえ」といった話を時々聞く。僕自身、そんなことを口にした経験は何度もある。でも、あらためて考えてみると、それってどうなんだろう? と思わなくもない。「いい本だけど、売れない」のは、読者がそのよさを理解できないからではなく、企画から発売までの段階で、作り手が何かを読み違えたからではないだろうか?

「いい本で、しかも売れる」ための答えがはっきりわかっていれば、誰も何の苦労もしないのだが、もちろんそんなことはなく、結局、売れるかどうかは出してみなければわからない。ただ、ある程度経験のある編集者が関われば、その本の企画なら、全国的におよそどのくらい読者になりうる人がいて、どのくらいの数を刷ればその人たちに届くのか、いくらかは読めるようになる。たとえたいした冊数でなくても、そうして想定した数の読者にしっかりと届くように本を販売できたのであれば、僕はその本は役割を果たしたと思うし、「ちゃんと売れた、いい本」だと思う。ただ、そこからさらに読者が広がるかどうかは、ほんと、神のみぞ知る、だ(苦笑)。

付け加えるなら、個人的に「いい本」の条件だと感じているのは、「耐久力」だと思う。刊行から年月を経れば、細かい掲載情報が古びていくのは当然なのだが、それでも本質的な部分が劣化することのない本は、確かにある。ひっそりと、でも確実に読み継がれていく本。僕も、そういう本を作ることを目指したいと思う。

気合を抜く日

昨日の夜は、取材先から家に帰り、風呂に入ってほっとした途端、どっと疲れが噴き出した。身体の背中側の筋肉が、ゴリゴリと音を立てて軋むような感じ。取材で気合が入ってる間は持ちこたえていたが、だいぶ疲れが溜まっていたのだろう。もう若くないな(苦笑)。

今日は朝から、何もせず。おひるにうどんを作り、先週ディモンシュで買ったキューバ産の豆でコーヒーを淹れ、夜は寸胴に白菜の酒蒸しをたっぷり作った。〆切もあるので、原稿を少し進めようかな、とも思ったが、やっぱり今日は、すっかり気合を抜いて休養して、心身ともに切り替えた方がいい気がする。

やるべきことはいろいろあるけど、明日から、明日から。

戦いすんで日が暮れて

午後、吉祥寺で取材。月曜から連日続いていた怒濤の取材ウィークも、ようやく一段落。もちろん、これから原稿(17本‥‥!)を書かなければならないのだが、まずは、どうにか無難に取材を終えることができて、ほっとした。

戦いすんで日が暮れて、帰りに旅人の木でラーメンを食べようと思ったら、お店の様子が変。見ると、つい先日、閉店したのだという‥‥。がーん。正確には、杉並あたりの別の場所に移転する予定とのこと。昔からずっと好きな店だったし、吉祥寺から家に帰る途中のちょうどいい場所にあったので、重宝していたのだが‥‥。あれだけ最寄り駅から遠いと、やっぱり集客が厳しかったのかな。それでも九年間続いたというのだから、たいしたものだと思うが。

自分が好きなお店には、足繁く通って応援しなきゃな。あらためてそう思った。寂しいなあ。

小さな仕事

午後、吉祥寺で取材。今日は三件と少し少なめだったが、それでも、これだけ連日立て続けとなると、さすがに疲れが溜まる。家までの帰り道が、いつもより遠く感じた。

今回依頼されたのは、けっして華々しい仕事ではない。僕の名前が表立ってクレジットされたりはしないし、取材する人数は多いけれど、一件々々の報酬は正直そんなに多くはない。自分のキャリアとして残ることもない小さな仕事だ。

でも、たとえ小さな仕事でも、手は抜かない。依頼された内容と〆切を守って、きっちり仕上げる。小さな仕事を一つひとつ積み重ねていくこともまた、フリーライターの役割であり、責任であり、誇りでもあると僕は思う。それが誰かの役に立つなら、そこに意味はあるはずだ。

というわけで、あとひとふんばり。