ただいま、おかえり

昨日の夜は、吉祥寺のアムリタ食堂で行われた、羊毛とおはなのライブに行った。

店内はぎっしり満席。漂うエスニックな香りに、おはなさんは「うまそうな匂いだなあ」と笑いつつ、新譜「LIVE IN LIVING’13」からの曲を中心にたくさん歌ってくれた。羊毛さんの指がギターの弦を弾く動きまでよーく見えるほどの至近距離。こういう小さなハコで聴く彼らの歌は本当に心地よい。

アンコールでは、お客さんからのリクエスト、というか、おはなさんが「今歌える曲」の楽譜を何枚か抜き出して、伏せた状態でお客さんにひいてもらった曲を歌うことになった。選ばれたのは、「ただいま、おかえり」。

ただいま、おかえり。ごらん街は君の帰りをいつも待ってる
さよなら、またね。と旅立つ君の背中押してくれる
帰る場所はあるからね、と。

僕がこの曲を好きなのは、日本という故郷だけでなく、ラダックという「帰る場所」も思い起こさせてくれるからなのかもしれない。それは本当に個人的な思い入れなのだけれど、あの空の向こうに、自分を待ってくれている場所があると感じられるのは、たぶん、とても幸せなことなのだろう。

がんばらなきゃな、と思った。

どうにか乗り切る

午前中、東小金井で取材を一件。これで、今月の取材ラッシュはどうにか乗り切った。昼過ぎに三鷹まで戻り、ひさしぶりに文蔵に寄る。

行ったことのない場所で、初対面の人に、限られた時間内で、自分たちの記事を作る都合に合わせて、根掘り葉掘り話を聞く。相手側にしてみれば、取材というのはそれだけで十分不躾な行為なのだと僕は思っている。だから事前の準備は欠かせないし、遅刻は厳禁。取材中も相手の話や場の空気を読みつつ、必要な質問をしながら流れをコントロールしなければならない。少なくとも、ただICレコーダーを持って相手に会いに行けば済むような仕事ではない。

取材が一本終わるたび、どっと疲れが噴き出して、それがくりかえされると澱のように身体にたまっていく。僕にはむしろ、取材後に原稿を書く作業の方がはるかにラクだと感じる。

一カ月で25本分の原稿の取材を終えた後にすすりこむ文蔵のラーメンは、たまらなくうまかった。

やむなく早寝

昨日は神奈川の伊勢原近辺で、今日は板橋の西台近辺で、それぞれ取材。どちらも朝イチからで、家に帰り着いたのは夜。メールでの連絡業務、取材データのバックアップ、次の取材の準備などしていると、あっという間にこんな時間。

明日は、今日よりさらに早い時間から、途中に移動を挟みつつ、さらに遅い時間まで取材。おまけに天気予報は雨。木曜も取材がある。取材をしたら当然、その原稿も書かねばならない。ほんと、気の休まる暇がない。

とにかく、この間のように身体がへばってしまうとどうにもならないので、少しでも体力を温存・回復させるために、できるだけ寝る時間を多く確保している。この夜型人間が、やむなく早寝に追い込まれているというわけだ(苦笑)。それでも、効果はまあ知れてると思うが。

とりあえず、目の前のことを一つひとつ、捌いていくしかない。やらねば。

立ち止まりたくなる

今月は文字通り「忙殺」という状態。とりあえず、これまでにやった取材の原稿は今日であらかた片付いた。でも明日からは、三日連続で取材に出なければならない。連日朝イチからで、本数も多い上、取材場所も遠い。拘束時間が長い分、気力も体力も消耗しそうだ。こんな風にわざわざ僕を指名して取材を依頼していただいているのは、ありがたいことではあるのだが。

それでも、たまには立ち止まりたくなる。ソファに寝転んでゆっくりと本を読み耽ったり、カメラの入ったかばんを肩にかけて散歩に出かけたり。立ち止まって、何もしない時間。足元を確かめ、周囲を見回し、再び前に進んでいくための時間。そういう時間が、そろそろ必要なのだろう。僕にとって、そうやって立ち止まることの延長線上にあるのが、旅なのかもしれない。

そんなことをぼんやり考えながら、目覚まし時計を明日の朝六時にセットする。

独りよがりの境界線

読み手のことを何も考えずに、独りよがりに書きたいことを書き連ねた文章というのは、往々にして鼻持ちならないものになる、といったことは世間でよく言われる。読み手の目線をイメージして、みんなが読みたいと思うことを書きましょう、みたいに。

まあ、それが明らかに間違ってるとは思わないのだが、例外は多々あるというか。というのも、世の中で名作と賞賛されている本は、独りよがりに書かれたものがとてつもない形で昇華された結果だったりするから。

文章を書きたい、本を作りたいという最初の動機は、往々にして、マグマのようにドロドロと熱い、独りよがりがこじれにこじれた思いだったりする。要は、そのこじれにこじれた独りよがりを、全員とは言わないまでも、ある程度の人に受け入れてもらえるだけのクオリティの作品にまで高められるかどうか、なのだろう。

独りよがりが、単なる独りよがりでなくなるかどうかの境界線。うまく言えないけど、自分もそれを越える術を身につける努力はしなければならないなと思う。