旅と目的と余裕

旅には、人それぞれ、いろんな動機や目的がある。列車やバスを乗り継いでアジア横断や南米一周を目指す人。何冊かの本を携えて、静かな海辺でゆっくりしたいという人。服や雑貨、コスメの買い物に明け暮れたいという人。旅に出ずにはいられない切羽詰まった衝動を胸に抱えてる人もいるだろうし、とにかくパーッと能天気に遊んで、日頃のストレスを発散したいという人もいるだろう。どれも正解。法律を犯さないかぎり、どんな楽しみ方だってありうる。

その一方で、仕事が目的という旅もある。世界各地を忙しく飛び回るビジネスマンや、商品の買い付けや視察のために各地を巡るショップ経営者など。かくいう自分も、先日のタイ取材は、完全に仕事として依頼され、みっちり隙間なくスケジューリングされた上での旅だった。

そういう仕事目的の旅では旅を楽しめない、だから旅は仕事にできない、と考える人も多いと思う。確かに、旅の時間を100パーセント好きに使える個人的な旅に比べると、仕事目的の旅の自由度は少ないし、窮屈でせわしない思いもする。でも、その合間にほんのわずかでも余裕を持てる時間が得られるのなら、旅を楽しめる余地はあると僕は思う。

タイ取材で、朝から夕方まで取材に忙殺されていた日も、夜、晩飯に頼んだパッタイと魚のすり身揚げが出てくるの待つ間、テーブルに頬づえをついて外の通りをぼんやり眺めていたひととき、僕はささやかながらもタイという国を楽しめていたように思う。異国に一人で身を置き、その空気や色、ざわめき、匂い‥‥いろんな感触に身を委ねつつ、思いや記憶を巡らせる。旅を楽しめるかどうかというのは、目的云々ではなく、そうしたちょっとした余裕を持てるかどうかなのではないだろうか。

時間を100パーセント自由に使える旅でも、自分が楽しむことにがっつきすぎたり、ネガティブな原因で精神的にへこみすぎたりして、何の余裕も持てないまま旅を終えてしまっている人は結構いると思う。そういう人は、ちょっとした余裕というものをもう一度見直してみるといいんじゃないだろうか。僕も、もし今度またタイに行くことになったら、この間より、もうちょっと余裕を持てるようになりたいと思う(笑)。

仕事の道具

そろそろ、仕事で使っている道具の刷新に迫られている。具体的には、執筆・編集で使うMacBook Proと、撮影で使うカメラやレンズなどだ。

どちらも四年ほど前に買ったもので、最近はだましだまし使ってきたが、性能的には時代遅れ気味。老朽化というほどではないけれど、よりよいクオリティを目指すには切り替えた方がいい時期だ。来年四月には消費税も上がってしまうそうだし、潮時と言える。

MacBook Proは、昨夜発表された最新版の15インチモデルを選べば大丈夫だろう。問題は撮影機材の方で、カメラは実勢価格がだいぶこなれてきたD800にするつもりなのだが、あのカメラの性能を引き出せるレンズは限られているので、熟慮しなければならない。標準ズームはシグマの24-105mm F4 DG OS HSMに期待してるんだけど、どうかな。あとは、揃えようとしたらきりがないので、懐具合に応じてぼちぼちと。

これらに付随して、地味に高くつくのが、メモリーカードとか、バックアップ用の外付ハードディスクとか。もろもろ全部合わせると短期的には大赤字になってしまうような出費で、正直きついけど、致し方ないか。腹を括るべ。

通常運転

昨日から、本格的に仕事を再開。タイで取材してきた情報や素材をまとめて、依頼元に引き渡すための作業を進める。

朝起きて、おひるにうどんやラーメンを作り、コーヒーを淹れ、ラジオを聴きながらメールチェック。午後の間は作業に集中し、夕方から夕飯の支度。昨日はラタトゥイユ、今日は豚汁を作った。食事を終えて、風呂に入ってから、作業の続き。きりのいいところで打ち止めにして、お疲れさまのビールを一人でぷしゅっ。

こんな感じで、すっかり通常運転に戻った。人の指示や都合に合わせるのではなく、自分で自分を仕切る方が、何倍も気楽だなあと思う。まあ、かれこれ十年以上、フリーランスとして一人で働いているのだから、当然か。ないんすよ、からっきし、協調性が(笑)。

そんなわけで、ぼちぼちやっていくことにする。

十年という月日

昨日は、天王洲アイルの銀河劇場で開催された、羊毛とおはなの結成十周年記念ライブを観に行った。何というか、ものすごくいろんな意味で、いいライブだった。サウンドも演出も、これまでの積み重ねを基にとことん考え抜かれ、作り込まれていて、観客も含めて関わる人々すべての愛情が、じんわりにじみ出ていたように思えた。僕自身、「LIVE IN LIVING ’07」で彼らの音楽に初めて接して以来、折に触れずっと聴いてきたから、昨日のような節目のライブに立ち会えたのは、本当によかった。

十年という月日。ふりかえってみて、自分はどうだったかな、と思う。十年前は‥‥フリーランスのエディトリアル・ライターとして、雑誌を主戦場とした仕事がようやく軌道に乗ってきた頃だった。おかげさまでたくさん仕事をもらえて、毎月かなり忙しくしていたものの、これじゃないんだよな、という思いも漠然と抱えていた。だからといって、十年後、自分が今のような状況になっているとは、まったく想像すらしていなかったけれど。

十年前と今とで、自分はどれだけ変わっただろうか。仕事や生き方の経験値は、少しはたまってきてるかもしれない。自炊も普通にするようになったし(笑)。一番違うと感じるのは‥‥十年前は、自分が伝えたいことは何なのか、見えていなかった。今は、おぼろげながら、見えてきている。しょっちゅう迷ったり、見失いかけたりするけれど。

十年後、僕はどうなっているだろう? その頃はもういい年だから、体調もいいとは限らないだろうし、出版不況が極まったあげく、仕事にあぶれてるかもしれない。そんな先のことは、正直わからない。不安もなくはない。でも、自分が伝えたいことを十年後も見失っていなければ、たぶん、何とかなってるんじゃないかと思う。その時その時、自分にできること、自分がやるべきことを、一つひとつ、積み上げていくしかないのだから。

昨夜のライブの帰り、電車に揺られながら、そんなことを考えていた。

タイ 旅の断片(2)

ラムプーンのチャーム・テーウィー像

チェンマイから南下し、ラムプーンという小さな町へ。かつて、ハリプーンチャイ王国の都だった場所。町の広場に立つ王国初期の女王チャーム・テーウィーの銅像には、たくさんの花が飾られ、夕刻になっても大勢の人々が祈りを捧げていた。ちなみにこの日の夜、たまたま泊まったホテルのオーナーのご夫妻は、この王族の末裔にあたる方々だというので、かなりびっくりした。