原稿執筆ぼっち合宿 in 安曇野


三泊四日で、一人で安曇野に行ってきた。滞在の目的は、割と重要でまとまった量の原稿を書くため。レジャー要素完全排除の、原稿執筆ぼっち合宿。

二年前に『インドの奥のヒマラヤへ ラダックを旅した十年間』を書いていた時は、湯河原の温泉旅館の原稿執筆パックを利用したが、今回は安曇野にある両親が建てた小さな家での滞在。車の免許を持ってない僕でも何日か過ごせるように、今年の春、ネット通販で買った自転車を安曇野の家に届けてもらっておいたので、それを活用する形にした。

食糧は、西荻の自宅からレトルトのカレーとパックのごはんを二食分持参したほかは、現地のコンビニ(地味に遠い)まで自転車で行って調達。ほとんどインスタント食品になってしまったが、それはそれで普段とは違う非日常な感じで、ちょっと愉しかった。とはいえ、主目的は原稿の執筆。普段の生活で衣食住に割いている時間やリソースを、執筆に全振りして、朝から晩まで机に向かって、うーんうーんと唸りながら原稿に取り組んだ。集中したおかげで、どうにか当初設定していたノルマは達成できたと思う。

とりあえず、今回である程度やれることはわかったので、執筆作業の規模や内容、タイミングによっては、また安曇野でぼっち合宿を張るかもしれない。まあ、真冬とかには無理かもしれないけど。

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カーソン・マッカラーズ『結婚式のメンバー』読了。アメリカ南部の小さな町で暮らす12歳の少女の、ゆらゆらと揺れ動く心の裡が、繊細な筆致で丹念に綴られていく。時に奇天烈で、時に理不尽で、時には触れただけで崩れそうなほど脆くて。それは、思春期特有の心理として安易に一般化できるようなものではなく、もっと根源的な自己と他者の関わりあるいは断絶を探ろうとしていた、マッカラーズ自身の苦悩だったのかもしれない。

平松謙三『黒猫ノロと世界を旅した20年』読了。去年、20歳という天寿を全うして虹の橋を渡ったノロ。彼を子猫の頃から知っていた身としては、何とも言葉にしようのない感慨を覚えた。もし20年前、ノロが拾われていなければ、平松さんの人生は今とは相当違ったものになっていただろうし、僕自身の人生にも、何かしらの影響はあったかもしれない、と。あらためて、ノロ、おつかれさま。

「北インド・ラダック〜デリー1800キロ悪路旅」

小学館のアウトドア雑誌「BE-PAL」のサイトで、「北インド・ラダック〜デリー1800キロ悪路旅」という短期連載を始めました。2022年夏に約1カ月半をかけて取材したインド北部での旅の一部始終を、ユルめの写真紀行の形で紹介していく予定です。

「北インド・ラダック〜デリー1800キロ悪路旅」山本高樹(BE-PAL)

よかったらご一読ください。よろしくお願いします。

「響け! 情熱のムリダンガム」

南インドの伝統的なカルナータカ音楽で用いられる打楽器、ムリダンガム。ジャックフルーツの木をくり抜き、3種類の動物の皮を張った両面太鼓だ。

このムリダンガムを作る職人の息子として生まれた主人公、ピーターは、タミル映画のスター、ヴィジャイの推し活だけに精を出す怠惰な日々を過ごしていた。そんな彼はある日、ひょんなことから、ムリダンガム演奏の巨匠ヴェンブ・アイヤルの演奏を目の当たりにして、衝撃を受ける。ムリダンガム奏者になりたいという夢を抱くようになり、憧れの巨匠に弟子入りを志願するピーター。しかし彼の前には、カーストによる差別や兄弟子の嫌がらせなど、さまざまな壁が立ちはだかる。大きなトラブルに巻き込まれ、師匠から破門されてしまったピーターは、世界に存在する未知のリズムを求め、インド各地を放浪する旅に出る……。

2018年の東京国際映画祭で「世界はリズムで満ちている」という邦題で公開され、今回「響け! 情熱のムリダンガム」という新たなタイトルで劇場公開されることになった、このタミル映画。事前になるべく情報を入れないようにして、公開初日に観に行った。よかった……予想の何倍もよかった……。演奏シーンに不自然なところがまったくないのは、大半を俳優自身が演奏しているからなのだという。言い換えれば、演奏ができる俳優を選んで起用したということだ。主演のG.V.プラカーシュ・クマールは、俳優になる以前からタミル映画界で気鋭の音楽監督だったというから、むべなるかなである。

ピーターが、それまで抱き続けてきたさまざまな思いを秘めながら、一心不乱にムリダンガムを叩き続けるクライマックスの演奏シーンと、その後の師匠との会話は、観ていてグッと胸が熱くなった。あらゆる人におすすめできる良作だと思う。

「ワンペン、ワンチョコレート」について思うこと

以前、「バター茶の味について思い巡らすこと」や「アラスカの無人島で過ごした四日間」などのエッセイを寄稿した金子書房のnoteで、新しいエッセイを書きました。「『ワンペン、ワンチョコレート』について思うこと」という文章です。同社のnoteで展開されている「孤独の理解」という特集のテーマで依頼を受けて、執筆しました。

お時間のある折にでも、読んでみていただけると嬉しいです。よろしくお願いします。

「スーパー30 アーナンド先生の教室」

インドの貧困家庭の若者たちから毎年30人を選抜し、インド工科大学に合格するための教育を無償で1年間提供している私塾、スーパー30。インドでも難関中の難関の大学に、毎年多数の合格者を輩出しているこの私塾の創設者、アーナンド・クマールをモデルにした映画「スーパー30 アーナンド先生の教室」が、日本でも公開されることになった。その初日、新宿ピカデリーへさっそく足を運んでみた。

実在の人物の半生を題材にしているとはいえ、基本は娯楽映画なので、多くの創作や演出が施されていることは、観ていてもわかる。それでも何というか、本当にまっすぐに、胸を衝かれる場面がたくさんあった。天才的な数学の才能を持ち、ケンブリッジ大学への入学許可を得ながら、渡航費用が得られずに夢を諦めざるを得なかったアーナンド。自分のような理不尽な思いを他の若者たちに味あわせないために彼が始めたスーパー30に、各地からそれぞれ必死の思いで集まってきた、貧しい出自の若者たち。知恵と工夫と努力を積み重ね、切り拓いていったその道の先には……。

シンプルに心を揺さぶられる、良い作品だった。

(……しかしリティクは、良い演技はしてたけど、あまりにもすごすぎるガタイのよさや、スーパースターのオーラは、さすがに隠しきれてなかったような……笑)