見本誌出来

朝、宅配便で「撮り・旅!」の見本誌が届いた。

慎重に梱包を解き、本を一冊取り出す。カバーと帯、クラフト紙の表紙、微塗工紙の本文紙、肝心の印刷の具合を確かめながら、1枚ずつページをめくっていく。特に問題はないようだ。よかった。ほっとした。うれしいというより、とにかくほっとした。

ほっとしたら、力が抜けた。それから一日、何もする気が起きず、腑抜けのようになって過ごした。終わった。終わったんだな。

本は本屋さんで

僕は、ネットでものを買うのには割と抵抗がない方だ。何かと物入りな撮影機材は、情報をあれこれ吟味してから価格が下がったタイミングでぽちることが多いし、CDも近所に品揃えのいい店があまりないのでネットを使うことが多い。知り合いへのお祝いなど贈り物に困ったら、「北欧、暮らしの道具店」さんの出番。実際、ネットで買うといろいろ楽なのだ。

では、本はどうかというと‥‥ほとんど街の本屋さんで買っている。アマゾンの履歴を見返してみても、本で買ったのは絶版で入手困難だった本や、異様にでかくて重い海外の写真集くらい。これだけ自分のブログに、自分の本の購入ページへのリンクを張っているにもかかわらず、である(笑)。

別に「街の本屋さんを応援しよう!」と義憤にかられてるわけではない。うまく言えないが‥‥本屋さんで本を選んで買うのが好きなのだ。お店に入り、立ち並ぶ棚の間をぶらつき、ある本を目に留め、手に取り、ページをそっとめくって、どうしようかと迷い、元の位置に戻しかけたり、行きつ戻りつして、結局レジに持っていく。そのふわふわした感じが好きなのだ。

自分自身の本も、どこで買っていただくにしてもとてもありがたいのだけれど、そんな風に、本屋さんの棚の前で行きつ戻りつしながら買われていったら、何だかとてもうれしいなと思うし、そう願っている。

慣れない暑さ

昨日の夜はずっと寝付けなくて、結局、朝の五時頃、外がしらじらと明けてくるまで起きていた。昼の間は家で原稿を書いていたのだが、蒸し暑いのとだるいのとで、どうにも調子が上がらず、途中でクーラーをつけて30分ほど昼寝。何だかなあという感じである。

最近、知り合いに会うと「あれ? この季節に日本にいるって、珍しいよね?」と異口同音に言われる。確かに去年までは、今ぐらいの時期はとっくの昔に、ラダックかスピティだ。あっちは標高3500メートルのヒマラヤの世界、湿気や蒸し暑さとは無縁の場所だ。だから、東京のこの慣れない蒸し暑さは、身体にじわじわこたえる。

去年までの僕は、本当に贅沢すぎるくらい贅沢な避暑をしてたんだなあ、とあらためて思う。しかし暑いな今夜も。

谷根千ぶらり

家の近所で、また税金無駄遣いの道路工事が始まってしまった。仕事どころか、おちおち考えごともできないので、今日は昼の間、外に出かけることにした。

中央線で御茶ノ水まで行き、丸善をちょっとのぞいて、千代田線で根津へ。根津神社に参拝して、今度出る本のヒット祈願(笑)。そこからぶらぶら歩き、往来堂書店へ。「文脈棚」で一躍名を馳せた書店で、丁寧に整えられた個性的な棚は、眺めているだけで時間を忘れるほど楽しかった。ここで本を一冊購入。

そこから西日暮里までてくてく歩き、駅前のドトールでちょっと休憩して、山手線で池袋へ。ひさしぶりにジュンク堂の本店やリブロを回る。それから新宿まで下りて、紀伊国屋書店をのぞき、晩飯にラーメンを食って帰路につく。

それにしても、暑かった。家に着くと、全身汗みどろ。いきなり夏にもほどがある。

日記という習慣

この二日間ほど、出かけたり仕事だったりでばたばたしてて、このブログを書かないでいたのだが、なぜかアクセス数はいつもよりだいぶ増えていた。「ヤマタカが日記を書かないなんて‥‥何かあったのか?」と心配して何度も見にきてくれた人がいたのかもしれない。すみません(苦笑)。

まあでも、それくらい僕にとって、こうしてWeb上で日記めいた駄文を書くことは、すっかり習慣として定着してしまった。最初に自分のサイトを作ったのは、確か‥‥(と、PC内に保存している当時のデータを見てみる)2001年3月10日。旅に出て少し途切れたりしたことはあっても、それ以来ずっと、この習慣を続けてきたことになる。

日記を続けることを目標にしてがんばってきたわけではまったくないし、別にいつでもやめていいとさえ思っている。そんなに大勢の人が読んでくれているわけでもなく、たいしたことを書いてるわけでもなく、これで文章が上達しているわけでもない。なのに、なぜか未だに続けてしまっている。

こうなったら、死の床に伏すまで、えんえんとどうでもいいことばかり書き続けるか。「あいつは最後まで、くだらないことばかり書いてたな‥‥」と言われるように。