準備万端

朝起きて、出発前の最後の洗濯。ベッドシーツなどを一気に洗うが、外はあいにくの雨。仕方ないので、近所のコインランドリーの乾燥機に頼る。

午後は、持って行く荷物をリストを見ながらもう一度チェックし直そうと思っていたのだが、タイ取材についてのメール打ち合わせに思った以上に時間を取られ、なかなか取りかかれず。とはいえ、やらないわけにはいかないので、打ち合わせ後にあたふたと荷物をダッフルバッグから出してチェックしてまた詰め直し、撮影機材も防湿庫から取り出して、カメラバッグに慎重に詰めていく。よし。どうにか、準備万端整った。

夜はリトスタで、最後の晩餐。鶏の唐揚げなどを心おきなくぱくつき、デザートにブルーベリーパウンドケーキを食べていて、はたと気づいた。アラスカでは、見渡すかぎりブルーベリーの灌木が生い茂るツンドラで、キャンプを張ることになるのだった。

さて、どんな旅になるのかな。わからないからこそ、それが愉しい。いってきます。

人と人をつなぐ

編集者という仕事に求められるいくつかの役割のうち、たぶん一番大切なのは、人と人とをつなぐ役割なのではないかと思う。

たとえば、一人の作家が小説を書いたとすると、編集者は彼を、デザイナーやイラストレーター、校閲担当者、印刷担当者、書店員、そして読者と、彼自身の作品を通じてさまざまな人とつなげていくための役割を担う。著者が複数名の場合や、雑誌などの編集者の場合は、もっと多くの人々とのつながりを担うことになる。

しばらく前のことになるが、何人かの友達と飲んでいた時、そのうちの一人に「ヤマタカさんがいなかったら、僕らがこうして会って飲んだりするようにもならなかったんですよね」と言われた。確かに、その時の彼らと僕は、それぞれ取材を通じて知り合って友達になり、それで彼ら同士もつながっていったのだった。僕自身は、普段はまったく社交的ではなくて、どちらかというと一人でふらふら旅でもしてるのが性に合う方なんだけど。

先日上梓した「撮り・旅! 地球を撮り歩く旅人たち」の制作で、僕は一人の編集者として、その人と人とをつなぐという役割を、文字通りめいっぱい要求されることになった。何しろ、大半の写真家の方々は、名前は知っていても会ったことはなく、用意できる謝礼も相場よりずっと少ない。僕にできたのは、すべての事情をありのままに伝えて、自分自身の暑苦しいくらいの思いを真正面から届けることでしかなかった。

でも、たぶんそれは、正しかったのだと思う。たくさんの人のつながりから生まれてきた、一冊の本。それは、きっと幸せな本だと思う。

留守の準備

旅の支度は、荷造りだけではない。留守にする家の方でも、割と計画的に、いろいろ準備しておく必要がある。ある程度の長旅になれば、なおさら。

まず、家にある保存食以外の食料を減らす。米や、野菜など冷蔵庫にあるもの。生ゴミは絶対残らないように回収日をぬかりなくチェック。洗濯物やベッドシーツも汚れたものができるだけ残らないように、天気予報を睨みつつ、洗って干すタイミングを図る。要は、いろんなものができるだけ残らないようにしておくということか。

それでも、家に残しておいた方がいいのは‥‥ビールを一缶か二缶、かな。旅を終えて、空港から家まで疲れ切って帰ってくると、途中でビールを買って帰るのを結構忘れてしまう。へろへろの状態でまたコンビニまで出かけるのもしんどいし。今回も、ばっちり残るように計算済み。

大荷物

今度の金曜日には、成田からアラスカに出発する。そろそろ荷造りを始めなければならない。

今回は、テントやマットレス、厳寒期用の寝袋(以前チャダルで使ったもの)、それなりの防寒着などに加え、約9日間分の食糧にクッカーやカトラリーなども加わるので、いつもラダックに行く時に使っている古いミレーのバックパックでは到底容量が足りない。そこで、グレゴリーの容量95リットルのダッフルバッグ(バックパックのように背負うこともできる)を調達したのだが、試しに一通り詰めてみると、フリーズドライ中心の食糧が無駄にかさばって、どうしても全部収まらない。食糧は折り畳み式のトートバッグに別途まとめることにした。

メインのダッフルバッグ、食糧のトートバッグ、そしてカメラや望遠レンズなどを収めたショルダーバッグ。試しに全部背負ってみると、ずしっ、と両脚に重みを感じた。まるで重力が何倍かになったみたいだ。山小屋にビールやジュースのケースを担いで登る強力さんたちの苦労が、ほんのちょっとだけわかる気がした。

こんな、夜逃げするみたいな大荷物を担いで、僕はいったい、何をやらかそうっていうんだろうね(苦笑)。

道を訊かれる

午後、目黒で打ち合わせ。来月下旬から始まるタイ取材について。約四週間、再びあの暑い暑い日々が始まるわけだ。僕の夏はいつになったら終わるのだろう。

打ち合わせの後、用事で恵比寿から代官山に向かって歩いていると、前方から歩いてきた白いシャツの爽やかな青年に「すみません、代官山駅まではどう行けばいいですか?」と訊かれた。「逆方向ですよ。あっち行って、そこ曲がって、さらに曲がったところ」と言うと、「ありがとうございます!」と颯爽と歩き去っていった。

たぶん僕は、普通の人よりも街の中で道を訊かれたりする回数が多い方だと思う。家の近所を歩いていても、都心を歩いていても、時には自分自身もよくわからない異国の町を歩いていても。ラダックのレーにいた時とか、地方から出てきたラダック人にまで道を訊かれたし(苦笑)。

「こいつは与し易し」みたいな敷居の低い感じのオーラが出てるのかな。まあ別にいいけど。