仕事とマスク

一昨日と昨日は、打ち合わせなどの用事で、日中出歩いていた。ほぼずっとマスクをつけっぱなしで、打ち合わせの時もマスクをつけたまましゃべり続けたので、軽い酸欠になって、夜には頭が痛くなってしまった。標高3500メートルのラダックでも酸欠にならないのに(苦笑)。

長年関わっている大学案件の取材など、国内での取材を伴うライターの仕事は、最近はほとんどリモートでの取材に移行している。だから、マスクをつけて対面で行う取材の機会は減ったのだが、資料を色々引き合わせたりする込み入った打ち合わせとかは、やはり対面で話した方が何かと効率がいいので、その席上ではマスクをしている。自衛というより、仕事でお世話になっている方々を慮って。

日本政府が、「3月13日から、マスク着用は個人の判断」というお触れみたいなものを出した。でもそれは、医学的なデータと知見に基づく判断ではなく、政治家の都合(5月のG7とか)に合わせた雰囲気作りみたいなもの。はいそうですかと従う気には、まったくなれない。少なくとも、仕事の現場で人と会う時には、もうしばらくはマスクの着用を続けようと思う。ウイルスの有無を見切ることなど、人間ごときにできるわけがないのだし。

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栗田哲男『踊る虎 中国辺境の文化を巡る』読了。タイ取材に出発する直前に見本誌を送っていただいていて、帰国後に楽しく読ませていただいた。貴重な記録だと思う。中国語を巧みに操ることのできる取材者としての、栗田さんのひたむきさと謙虚さ、現地の方々へのリスペクトがあればこそ作り得た一冊だ。その語学力とコミュ力を活かして、単一のテーマか地域をじっくり深掘りした作品を次は読んでみたくなった。

歩み去る人々

アーシュラ・K・ル=グウィンの作品を、一冊々々、少しずつ、読み進めている。この間、『風の十二方位』という短篇集を読み終えた。収録されていた17篇の中で、とりわけ強く心に残ったのは、「オメラスから歩み去る人々」という物語だった。

文庫本でほんの十数ページほどのこの掌篇は、オメラスという架空の街にまつわる物語だ。オメラスでは、諍いも何もなく、誰もが幸福に満ち足りた日々を過ごしている。オメラスの人々の幸福は、ある建物の地下の牢獄に幽閉されている、一人の子供の苦悶と引き換えに与えられている。誰かがその子供を救い出そうとしたら、オメラスの幸福は失われてしまう契約になっている。オメラスに住む人々はみな、そのことを知っている。

ほとんどの人が、幽閉されている子供のことを、見て見ぬふりをしたまま、日々を過ごしている。しかし時に、その子供の存在を知った少年や少女、あるいはもっと年老いた人々が、何も言わずにオメラスを離れ、ぽつりぽつりと、何処かへと歩き去る。何処へ向かうのかはわからない。でも彼らは、自分の選んだ行き先がわかっている。

ロシアとウクライナの間で戦争が始まってから、一年が経った。トルコとシリアの地震で、五万人以上もの命が失われた。ミャンマーでは、国軍が無辜の人々を弾圧している。日本は、どうだろうか。今の社会の中にはびこる理不尽なものごとの数々に対して、僕たちはぬるま湯に浸ったまま、見て見ぬふりをしてはいないだろうか。

僕も、見て見ぬふりをしない勇気を持ちたい、と思う。

「エンドロールのつづき」

最近は日本でも、ほぼ毎月のように、インド映画が各地の劇場で上映されるようになった。以前、映画祭や特集上映に何度も足を運んだり、エアインディアの機内で寝る間も惜しんで観まくってた頃に比べると、隔世の感がある。「バーフバリ」や「RRR」などのヒットのおかげもあるが、この点に関しては、良い時代になったものだと思う。

今回観たのは、グジャラート映画「エンドロールのつづき」(英題「Last Film Show」)。グジャラート出身のパン・ナリン監督は、BBCなどやディスカバリーチャンネルのドキュメンタリー番組の制作でキャリアを積んできた方だそうで、この作品は、本年度のアカデミー賞国際長編映画賞のインド代表に選ばれている。

監督自身の少年時代への追憶を基にした物語は、グジャラートののどかな自然の中にぽつんとある、小さな鉄道駅から始まる。駅でしがないチャイ屋を営む父と、寡黙だが料理上手な母に育てられている少年、サマイは、学校のかたわら、父のチャイ屋を手伝いながらも、街の映画館で観た映画への憧れと好奇心を日々抑えきれずにいた。ある日、映画館に忍び込んだものの、つまみ出されてしまったサマイを見かけた映写技師のファザルは、ある提案を持ちかける。サマイの母が作った弁当と引き換えに、サマイに映写室から映画を観させてやる、というのだ。映写室から開けた新しい世界に目覚めたサマイは、やがて……。

持てる者と持たざる者との格差がいまだに苛烈なインドの社会で、持たざる者が夢を見て、それを叶えることは、簡単ではない。サマイと友人たちが、映画への渇望を抑えきれずにあの手この手で工夫をし続けて(してはいけないことまでしてしまって)、結果的に辿り着いたのは、持たざるが故に発見した、映画の原点とも呼べる姿だった。ある意味で映画の本質に触れたサマイは、その後、周囲との別離と旅立ちの時を迎える。

最初から最後まで、映画と映写機とフィルムに対する監督自身の愛着と惜別の思いがたっぷり詰まっていて、光と色彩に溢れた映像も美しい。いつか、グジャラートに行ってみたいな、と思った。

南の国での身体の変化

四週間ほどタイに行っている間に、身体にも、ちょっとした変化があった。

まずは、日焼け。以前よりも三カ月ほど取材時期がずれて、タイの乾季真っ只中での滞在になったので、特に旅の前半のタイ北部では、朝晩は肌寒いくらいに涼しく、日中もそれほど暑くなく、日射しも比較的穏やかだった。まあ、中盤のスコータイのあたりからは徐々に暑くなってきて、アユタヤーやカンチャナブリー、バンコクでは、当たり前のように35℃まで上がっていたので、最終的に黒くなりはしたが。それでも、いつもはすぐにむけてしまう両腕の皮膚も、今回はほとんどむけずじまいだった。

今日の昼、行きつけの理髪店で散髪をしてきたのだが、顔馴染みのスタッフのお姉さんに、「……なんか、今回はそこまで日焼けしてないですね……前はもっと黒焦げだったのに……」と、いささかがっかりした口調で指摘されてしまった(苦笑)。まあどのみち、僕は、日に焼けても、すぐに褪めて白くなるタイプなのだけれど。

もう一つの変化は、体重。帰国直後は、1キロ少々減っていた。鏡を見ても頬が少しこけ気味だったし、ジーンズもベルトもゆるく感じた。タイにいた時は、毎晩、500CCの缶ビールを飲んでいたのだが、それを差し引いて余りあるカロリー消費量だったということだろうか。毎日カメラザックを背負って、えんえん歩き回ったり自転車こいだりしてたから、そんなものなのかもしれない。

帰国して一週間ほど経って、体重は4、500グラムほど戻してきて、頬のこけもなくなってきた。ウエストは引き続きゆるい。これは良い傾向なので、日々のウォーキングや家での自体重トレーニングを再開しつつ、ベストウエートの維持を目指そうと思う。……まあ、ビールは飲むけども。今もまさに、飲んでるけども。

南の国のマッサージ

毎度のことながら、タイでの取材は、身体的にかなりきつい。

約四週間の間、休みはほぼない。移動のない日でも朝7時、移動日は朝5時半か6時には起きなければならない。日中、移動時間以外はほぼずっと取材で、歩き回ってるか、レンタサイクルに乗ってるか。2万5000歩も歩いた日もあった。乾季とはいえ、南の方では、昼の気温は35℃に達する。

そんな毎日だったので、疲労もどんどん蓄積する。朝起きると、背中に鉄板が入ってるような重だるさを感じたし、両足の付け根はごりごりに凝って、あぐらをかいても突っ張るくらい。休んで回復させようにも休めない(苦笑)。本当に、日々体力勝負だった。

でも、帰国した今は、思いのほか元気だ。これはひとえに、帰国直前に時間を見つけて受けた、タイ古式マッサージのおかげといっていい。

僕がマッサージを受けたのは、バンコクの中心部からちょっと東の方にある、オンヌットというBTSの駅の近くにある、バーン・サバーイ・マッサージという店。その一帯には良心的な料金のマッサージ店が何軒も集まっていて、僕が受けたタイ古式マッサージも1時間で250バーツ(加えてチップが50バーツくらい)と格安だった。

今回は特に、マッサージをしてくれたお兄さんの技術が抜群だった。こちらが痛みを感じるかもしれないラインの1ミリ手前で止めてくれているかのような、絶妙の力加減。両脚の内転筋や大臀筋、腰から背中、両肩にかけて、老廃物を押し流しつつ筋肉を綺麗にほぐしてくれて、素晴らしい爽快感だった。店を出た後、背中に羽が生えて、ふわふわ宙に浮かんでるかのように身体が軽かった。

あのお店というか、あのマッサージ師のお兄さんが東京にいたら、毎週でも通うのに……。バンコクでタイ古式マッサージを体験してみたい人、おすすめです。