三分の一

昨日で、2015年の三分の一が過ぎ去ってしまった。ついこの間、年が明けたばかりと思っていたのに。

世間的には連休ムードなのに、僕はむしろ普段以上に忙しい。目の前に積み重なってる原稿はもちろん、今月下旬に決まったイベントの準備や、それと連動した夏の企画の告知の準備も。前からずっと続いてる懸案事項もそろそろメドをつけねばだし、新企画も進めなきゃだし、夏のインド取材のもろもろの準備もせねばだし。秋のタイ取材も、来年以降のたくらみも‥‥。

そうこうしてるうちに、次の三分の一も、あっという間に過ぎ去ってしまいそうだ。子供の頃はもっと、時間の過ぎるのがゆっくり感じられたのに。まあ、人生も残り三分の一くらいかもしれないしな。

明けによろしく

今日は取材のため、茨城県の水戸へ。午前中に家を出て、中央線で東京まで行き、そこから特急に乗り換え。水戸駅からは機材を積んだカメラマンさんの車に同乗して目的地へ。なかなかの遠出である。

世間的にはすっかりゴールデンウイークに突入したと思われる、うららかな春の日に、こんなことになろうとは。東京駅の地下で買ったイベリコ豚重弁当を車内で食べて、ほんのちょっぴり、行楽気分を味わう。

「いや、今日は平日だから、取材が入ったって暦通りでしょ」と思う人もいるかもしれない。それは確かにそうなのだが‥‥ライターという仕事は、取材したら、原稿を書かなきゃならないのである。いつ書くか? 連休中だよね、そうだよね、進行とか考えると、「明けによろしく」って感じだもんね。

あー。仕方ない。これも仕事だ。

Traversal from Mt. Jinba to Mt. Takao 2015

自然と人と

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この間、ほんの気まぐれに、Facebookのカバー写真を上の写真に変えた。すると、結構いろんな人からこんな風に聞かれた。

「これ、クマですよね。どうやって撮ったんですか?」
「いや、たまたまこういう場面に居合わせて、普通にそのまま」
「だって‥‥めっちゃ近くないですか、これ?」

この写真を撮った、アラスカのカトマイ国立公園のブルックス・ロッジは、アラスカの他の場所と比べても格段に近い距離で野生のブラウンベアの様子を観察できる場所として知られている。ロッジの敷地や川沿いに設けられている観察用のデッキまでの道などには、トランシーバーを持ったレンジャーが常駐して、人が不用意に近過ぎる距離でクマに遭遇しないように目を光らせている。ロッジを訪れる客も、まず最初にクマに関するレクチャーを受けなければならない。

そうはいっても、ロッジのすぐ近くの湖畔をぶらぶらしてるクマに、こんな風に結構な至近距離で行き合わせる可能性はある。そんな時に感じるのは、自分という存在の脆さ。このクマがほんのちょっと気まぐれを起こせば、僕なんて、簡単にぺしゃんこにされてしまうのだから。

人は、時に傲慢に自然を踏みにじり、取り返しのつかない仕打ちをする。軍の基地のために珊瑚の海を埋め立てるとか。でも、そうして人がこしらえたものは、往々にして長続きはしない。自然の側も、時に台風や地震や津波のように途方もない力で、人に災厄をもたらす。人は自然に対して、どんな風にして向き合っていくべきなのだろう。自然の中で、人は人として生きることを許された存在なのだろうか。

しばらく前から、そんなことを、ぼんやりと考え続けている。

ネパールで地震

今日も穏やかな日和。ほんのちょっと仕事をした後、何をするでもなく部屋でまったり過ごしてたら、ネパールで大きな地震が起こったとの知らせ。歴史的建築物を含む多数の建物が倒壊し、大勢の死者が出ているらしい。エベレストなどの山に入っている登山隊にも雪崩で死者が出ているようだ。

チベットやブータン、ラダックと同じ文化圏にあるヒマラヤの国ということで、僕の知り合いにもネパールに縁のある人が多いのだが、その人たちの心情を考えると、何とも言えない気持になる。自分にとってかけがえのない土地が痛めつけられ、大切な人々が苦しむというのは、つらい。僕も、2010年のラダックの土石流災害の時に同じような思いを味わったから、その気持は痛いほどわかる。

今はただ、救助活動やその後のサポートが少しでもうまくいくように祈りつつ、自分たちにできることを探すしかない。