人の価値

それぞれの人の価値というのは、結局のところ、誰かに何かをしてあげられているかどうか、なのかもしれない。

一曲の歌で世界中の人々を感動させられる人。オリンピックでメダルを取って国民を熱狂させられる人。何世代にもわたって読み継がれるベストセラー小説を書ける人。何万人もの社員を養う大企業を創業した人。そういう人たちはすごいんだろうというのは、まあ、わかりやすい。

でも、自分の子供を日々大切に守り育てる父親や母親、地味でも社会を支えるのに欠かせない仕事に黙々と取り組む人も、わかりやすく華々しい活躍をする人と同じか、それ以上にすごいと、僕は思う。病の床に臥している人でも、生きることそのものが、その人を大切に思う人たちの心の支えになっているはずだ。

価値のない人というのは、自分自身のことしか眼中になくて、他人を欺いたり傷つけたりすることに何の痛みも感じないような人。そういうろくでもない人以外、たいていの真っ当に生きている人たちの人生には、すべからく価値があるのだと、僕は思う。

だから、日々を当たり前に、真っ当に、心のどこかで誰かを思いながら、生きていけばいい。

安上がりな幸せ

酒が好きか嫌いかと聞かれれば、好きな方だと思うし、酒に強いか弱いかと聞かれれば、それなりに強い方だと思う。二十代の頃に比べれば酒量は減ったけど、淡々と飲み続けるだけなら、5時間でも6時間でも飲める。

じゃあ、酔っ払うのは好きかというと、正直、それはあんまり好きじゃない。

もともと、飲んでもほとんどテンションも性格も変わらないたち(だから学生の頃の飲み会では主に介抱役)というのもあるが、酔っ払ってストレスを発散するという飲み方は、どうも苦手なのだ。飲むなら、おいしいお酒をおいしくいただきたいなあと。だから、飲んだ翌日に二日酔いになったという記憶は、ここ数年まったくない。

毎日、風呂上りに350mlのサッポロ黒ラベルをひと缶、ぷしゅっとやれれば、僕は幸せだ。安上がりな幸せ(笑)。

空の向こうの悲しみに

暗い空の下、強い風が吹き荒れる不穏な天気。まだ5月だというのに、台風が近づいているらしい。

幸い、今日は特に外に出かける用事もなかったので、丸一日部屋に閉じこもって、地味に過ごす。昼にかまたまうどんを作り、コーヒーをいれ、夕方は実家から送られてきたそばを茹で、青梗菜のおひたしを作った。冷蔵庫にはまだ一本ビールがあるし、このまま引きこもって嵐をやり過ごせそうだ。

台風から温帯低気圧に崩れた嵐は、ぬるい感触の雨を窓に叩きつけている。ネパールでは今日、大きな余震が発生して、またたくさんの死傷者が出てしまったという。雨音を聞きながら、遠い空の向こうの悲しみに、思いを巡らす。何か、できることはあるだろうか。

いきなり工事現場

今朝は別に早起きする必要もなかったのだが、8時過ぎ頃、どんがらどんがら、がしゃんがしゃん、というけたたましい金属音で目が覚めた。

今日あたりから、うちのマンション(3階建て)の屋根の防水工事をやり直すという話は聞いていたのだが、なぜ1階にある僕の部屋のすぐ外でこんな大きな音がしてるのだろう。しばらくして外に出てみると、僕の寝室の外側に、地上から屋根の高さまで、外壁に沿って鉄パイプの細長いやぐらが組まれている。頂上にはウインチが据えられていて、工事に必要な材料を上に運び上げるためのものらしい。刺激臭のするコーティング剤か何かの缶が、浴室の換気窓の外に山積みされている。どうりで部屋がシンナー臭いと思った。

屋根の工事だから関係ないやと思ってたら、実は結構ダイレクトに影響を受けることになってしまった。これからしばらく、寝室のすぐ外が毎朝こんな感じなのか。何だか落ち着かないなあ‥‥。

薄着の人々

ラダック ザンスカール トラベルガイド」と「撮り・旅!」は同じ出版社から出ていて、出版社側の担当編集者さんも同じ人なのだが、彼は一年の大半を半袖ポロシャツで過ごす。それにはちゃんと理由があるのだという。

その編集者さんは、子供の頃は身体が弱かったそうで、親御さんは心配して常に厚着をさせていたのだが、しょっちゅう風邪をひいていたのだという。で、もしかすると、厚着をすることで余計な汗をかいたり身体の抵抗力が落ちたりしてるのではと、逆転の発想で常に薄着で過ごすようになると、ぴたりと風邪をひかなくなり、今では編集の激務にも耐えられる身体になったのだそうだ。今では、初対面の人との打ち合わせなどの時にも、彼の半袖ポロシャツエピソードは鉄板のつかみネタになってるし、いいことずくめである。

そういえば、短パンとサンダルをこよなく愛する知人のデザイナーさんもいるし、僕の周囲には薄着の人が多いようだ。というわけで、初夏ですね。