





僕は普段からスーツを着るような職業ではないので、クリーニング店を利用するのは、年に一度、今くらいの時期に冬物のコートやセーターを持っていく時くらいだ。近所には何軒かクリーニング店があるけど、持っていく店はここ数年決まっている。
その店では新規会員になると、一年間有効の会員証をくれて、特典としてその初回のクリーニングを半額にしてくれる。で、一年後に会員証の有効期限が過ぎると、また一年間有効の会員証をくれて、特典の半額サービスをしてくれる。つまり僕の場合、年に一度、会員証の有効期限が過ぎた直後に冬物をクリーニングに出すようにすると、毎年常に半額で利用できる。これは僕が気付いたわけではなく、お店の人がわざわざ「そうした方がいいですよ」と入れ知恵してくれたのだが。
このシステム、ありがたいといえばありがたいけど、油断してると冬物をクリーニングに出すのがどんどん後にずれていくので、うっかり夏にならないように(苦笑)、気をつけねば。
それぞれの人の価値というのは、結局のところ、誰かに何かをしてあげられているかどうか、なのかもしれない。
一曲の歌で世界中の人々を感動させられる人。オリンピックでメダルを取って国民を熱狂させられる人。何世代にもわたって読み継がれるベストセラー小説を書ける人。何万人もの社員を養う大企業を創業した人。そういう人たちはすごいんだろうというのは、まあ、わかりやすい。
でも、自分の子供を日々大切に守り育てる父親や母親、地味でも社会を支えるのに欠かせない仕事に黙々と取り組む人も、わかりやすく華々しい活躍をする人と同じか、それ以上にすごいと、僕は思う。病の床に臥している人でも、生きることそのものが、その人を大切に思う人たちの心の支えになっているはずだ。
価値のない人というのは、自分自身のことしか眼中になくて、他人を欺いたり傷つけたりすることに何の痛みも感じないような人。そういうろくでもない人以外、たいていの真っ当に生きている人たちの人生には、すべからく価値があるのだと、僕は思う。
だから、日々を当たり前に、真っ当に、心のどこかで誰かを思いながら、生きていけばいい。
酒が好きか嫌いかと聞かれれば、好きな方だと思うし、酒に強いか弱いかと聞かれれば、それなりに強い方だと思う。二十代の頃に比べれば酒量は減ったけど、淡々と飲み続けるだけなら、5時間でも6時間でも飲める。
じゃあ、酔っ払うのは好きかというと、正直、それはあんまり好きじゃない。
もともと、飲んでもほとんどテンションも性格も変わらないたち(だから学生の頃の飲み会では主に介抱役)というのもあるが、酔っ払ってストレスを発散するという飲み方は、どうも苦手なのだ。飲むなら、おいしいお酒をおいしくいただきたいなあと。だから、飲んだ翌日に二日酔いになったという記憶は、ここ数年まったくない。
毎日、風呂上りに350mlのサッポロ黒ラベルをひと缶、ぷしゅっとやれれば、僕は幸せだ。安上がりな幸せ(笑)。
暗い空の下、強い風が吹き荒れる不穏な天気。まだ5月だというのに、台風が近づいているらしい。
幸い、今日は特に外に出かける用事もなかったので、丸一日部屋に閉じこもって、地味に過ごす。昼にかまたまうどんを作り、コーヒーをいれ、夕方は実家から送られてきたそばを茹で、青梗菜のおひたしを作った。冷蔵庫にはまだ一本ビールがあるし、このまま引きこもって嵐をやり過ごせそうだ。
台風から温帯低気圧に崩れた嵐は、ぬるい感触の雨を窓に叩きつけている。ネパールでは今日、大きな余震が発生して、またたくさんの死傷者が出てしまったという。雨音を聞きながら、遠い空の向こうの悲しみに、思いを巡らす。何か、できることはあるだろうか。