直に響く

しばらく前から続けられている、うちのマンションの屋上の防水工事。いよいよ佳境にさしかかったらしく、今日は朝から夕方まで、かなり大きな音がしていた。

電動のドリルかネジ回しの、ガガガガガ、ゴゴゴゴゴ、という音が、振動とともに響いてくる。壁や天井のコンクリを伝って部屋まで直に響いてくるので、単にやかましいというレベル以上に気になって、どうにも落ち着かない。いつぞやの近所の道路工事以来の困った事態になった。明日も音がするらしいので、日中はどこかに避難するかな‥‥。

それでも、工事そのものに対して嫌な気分にならないのは、施工業者さんが作業の予定をチラシや貼り紙でこまめに伝えてくれるから。最初に工事開始のチラシを一枚放り込んだだけで、その後何カ月もの間、たいして必要でもない道路工事をえんえん続けさせた武蔵野市に比べれば、全然ましだ。

旅との向き合い方

今年に入ってから、トークイベントに出演する機会がやけに多かったのだが、この週末はひさしぶりに観客の立場で、他の方のトークイベントを続けざまに観に行くことになった。金曜の夜は、代官山蔦屋書店での竹沢うるまさんのイベント。そして今日の昼は、4カ月のインドの旅を終えた三井昌志さんのイベントだった。

竹沢さんも三井さんも、「撮り・旅!」での仕事を通じてその人となりはある程度知っているつもりだったが、あらためてこういう機会に話を聞くと、旅との向き合い方、自分自身との向き合い方、写真や文章との向き合い方、本当にそれぞれ個性があって違うのだなと感じた。誰が正しいとか間違っているとかではなく、それぞれが身を以て積み重ねてきた経験を通じて、自らの手で選び取ったものなのだ、と。

僕自身の旅や自分との向き合い方も、竹沢さんや三井さんとはたぶんかなり違う。僕にとってのそれは、心の底から大切だと思える場所を探し続けること。遠く離れていても、大切な人たちを忘れずに思い続けること。もしかするとそれは、もはや旅でも自分云々でもないのかもしれないけれど、僕にとって譲れないものがあるとすれば、それなのだと思う。

‥‥いい年こいて、青臭いこと書いてるなあ(苦笑)。まあいいや。

記憶と言葉

昨日は池袋に出かけて打ち合わせ。夏に発売される予定のムック本に、ザンスカールのチャダルについての写真と文章を寄稿することになった。考えてみると、ラダックやザンスカールについての写真と文章を媒体で発表するのは、結構ひさしぶりだ。ここ最近はスピティが多かったし。

で、昨日今日で写真をセレクトし、レイアウトラフを作り、原稿を書きはじめてみたのだが‥‥いやあ、書けるね。いくらでも書ける(笑)。ずいぶん前の出来事だけど、自分の中で圧倒的に鮮烈に焼きついている記憶があるから、それを必要に応じて言葉に置き換えていけばいい。「ラダックの風息」を作った時も、この時期のことを書くのは本当に愉しかった。

やっぱり、書かれるべき出来事には、しぜんと記憶と言葉が宿っていくのだと思う。

自分で決める

先日の下北沢でのトークイベントに来てくれた方の一人が、Facebookに感想を書いてくれていた。あのイベントでは、僕や関さんが学生時代に経験した大きな挫折がきっかけになって、結果的に今の道に至ったという話をしたのだが、その人は「ああいう生き方は、そこで一歩を踏み出せるからできる生き方だ。自分には踏み出せない」と書いていた。

今の道から踏み出したら、何かを失うかもしれない。でも、踏み出さなかったら、手に入るはずだったものも永久に失われてしまうかもしれない。そういう決断は、時としてとても難しい。あえて踏み出さないことで守れる大切なものがあるのなら、そう決めることも一つの勇気だと思うし。

大切なのは、踏み出すか、踏み出さないか、自分自身できちんと決めることなのだと思う。どちらを選ぶか決めないまま、ずるずる生きてしまったら、結局、後悔しか残らない。自分で決めて選んだ道なら、たとえその先で失敗したとしても、「自分で選んだんだから、ま、しゃーない」と納得できるだろうから。

長すぎる夏

東京は、昨日、今日と真夏日。急に、むしっ、と暑くなった。今年の夏はいささか気が早いのかもしれない。

個人的には、夏にはもうちょっと遠慮しといてもらいたいというのが、正直なところ。だって今年は、6月末からインドに2カ月。帰ってきたら日本は残暑まっさかりだろうし、それが終わらないうちに、9月末からは例によってタイに1カ月。いつまでたっても夏が終わらない(苦笑)。

長い長い、長すぎる夏。夏が似合う男なわけではまったくないんだけどな‥‥。