もの忘れ、甚だし

昨日のエントリーで、自分が年を取ること自体は別に気にしてないと書いたが、現時点でとりあえず困ってるのは、もの忘れ。記憶力の低下がほんとに甚だしい。

何かの作業をやりかけていて、途中で何か別のこと(メールが届いたとか、ラジオで何か気になることを聞いたとか)が意識に挟まると、途端にそれまでやりかけていたことを忘れてしまう。ネットで調べものをしようとしてブラウザを立ち上げ、検索窓にキーワードを入力する前に別の何かに少し気が逸れると、何を調べようとしたのかも忘れてしまう。誰かとしばらく会ってないと、顔と名前が一致しなくなる。たまにテレビで見かける芸能人の名前がさっぱり思い出せない。

……という自分のもの忘れについて、このブログで2年くらい前に書いたこともすっかり忘れてたし、前にも書いたネタだったことを忘れて同じネタを書こうとすることがよくある、と割と最近書いたことすら忘れてた。僕の脳細胞、かなり終わってる。

年を取ること

先日取材でお会いした方が、外見や雰囲気は僕より10歳くらい年下に見えたのに、実際は5歳も年上だったので、びっくりした。体調管理や体型の維持、身だしなみや服の選び方など、かなり周到に取り組まれているらしい。

僕自身も、周囲から年相応に見えないと言われることが割と多いけど、それはどっちかというと威厳とか落ち着きとかがまるでない、ガキっぽい挙動をしてるからだと自覚している(苦笑)。印象が軽いんだよな、実際、僕は……。この間パスポートを切り替えた時、新旧のパスポートの個人情報欄を見比べて、10年前の写真とあまりにも変わり映えしないガキっぽさだったので、自分であきれて笑ってしまった。

個人的には、年を取ることに関して、さほど気にしていないし、怖れてもいない。40代も半ばになれば白髪はそれなりに増えるし、しわもしみも増えるし、体力も落ちてくる。でも、それをうわべで取り繕おうとは思わない。不摂生でだらしないことにはなりたくないけど、普通に生きてて普通に年を取っていくなら、それでいいじゃん、と思う。

カッコイイじいちゃんになりたいな。たぶん、ガキっぽい、軽〜いじいちゃんになるんだろうけど(笑)。

これからの十年

昼、新宿で取材。今年もいよいよ始まった、大学案件シリーズ。今月はまだ序の口だが、来月下旬あたりから確実に、死ぬほど忙しくなる。毎年のことながら、体力勝負の春になりそうだ。

取材を終えた後、すぐ歩いていける距離だったので、先週切り替えを申請しておいた新しいパスポートの受け取りへ。窓口は空いていて、あっという間に受け取ることができた。窓口で自分の名前と生年月日を口にするように言われ、何だか新鮮だった(笑)。

新しいパスポートはぴかぴかで、しわもよれもなく、ページをめくるとぱりぱりと音がする。それだけで、何だかとても気分がいい。まあ、そう遠くないうちに、いろんなスタンプを乱暴に押されたり、ビザのステッカーを適当に貼り付けられたり、入管で雑に扱われたりで、どんどんよれていくのだろうけど。

これからの十年、僕はこのパスポートで、どんな旅をするのだろう。ラダックか、アラスカか、それともまだ見ぬ地に行くのか。わからない。だから楽しい。まっさらなページに、これからの僕の旅が刻み込まれていく。

「地球の歩き方 タイ 2016〜2017」

地球の歩き方タイ一昨年と昨年に引き続き、撮影とデータ取材の一部を担当させていただいた「地球の歩き方 タイ 2016〜2017」が2月8日(月)頃から発売になります。今回の改訂版では、巻頭のカラーグラビアで、タイ北部の街めぐり(チェンマイ、ラムパーン、プレー)で6ページ、タイ国内の世界遺産の紹介(主な内容は昨年と同じですが、写真の大半は撮り下ろしを含めた別カットを使用)で5ページの写真を提供しています。その他には、本全体の巻頭トビラとタイ中部の章トビラの写真、カンチャナブリーの項にある泰緬鉄道の見開き写真なども。書店で見かけたらお手に取ってご覧になっていただけるとうれしいです。

仕事と重圧

終日、部屋で仕事。疲れからか、なかなか身体がしゃんとせず、仕事机に向かっても、あちこちからの連絡に対応したり、細々したことに手こずったりで、やろうと思っていた作業がなかなかはかどらない。気持ばかりが焦って、手が止まり、さらに気持がもやもやする。

いろいろ考えなきゃならないことが、目の前にたくさんありすぎるのだ。

途方にくれた気分になって、メガネを外し、しばらくの間、机に突っ伏す。でも、当然のことながら、何一つ解決しない。起き上がり、メガネをかけ、のろのろとマウスを動かし、再びキーボードを叩く。

単に仕事量が多すぎるだけなら、こんな重圧を感じたりはしない。その中のいくつかの仕事が、自分にとって本当に大切にしなければならない、ほかの人には肩代わりできない仕事だから、こんな風にきつく感じるのだと思う。

でも、それってもしかすると、幸せなことなのかな。そういう重圧に押しつぶされそうになるほど大切に思える仕事に携われるというのは。