レッドネック

僕はもともと色白なたちだが、しばらく日に当たっていればそれなりに日焼けする。普通の人とちょっと違うのは、一年のうちで一番日焼けしているのが、今、11月初旬の時期ということだ。げにおそろしきは10月のタイ取材である。

もちろん、夏の間にインドやラダックにいる時も、強烈な日差しでそれなりに日焼けはする。特にトレッキングに行くとてきめんだが、それでも手足は長袖の服を着ているので、そこまで焼けない。しかし、タイではほぼ1カ月、Tシャツと短パン。夏休みが終わって2学期の始業式に来た小学生並みに日焼けする。足先にはサンダルのストラップの模様がくっきりと残ってしまうほどだ。

元が色白なだけに色が白く戻るのも早いのだが、それでもしつこく残るというか、年中日焼けで黒いままの部分がある。それは首筋、後頭部。ここはもう、日焼け止めやら何やら塗ったとしても、防ぎようがない。

ところで、米国の大統領選関連のニュースを見ていて最近知ったのだが、米国では、強烈な日差しの野外で肉体労働をしていて首筋が赤く日焼けした労働者階級の貧しい白人の人たちを、「レッドネック」という侮蔑的な呼称で呼ぶ層がいるのだそうだ。僕自身も世間的には見下されている部類に入るとは思うが(苦笑)、米国のそういうところは、やっぱり好きになれない。しかしまあ、大統領選、どうなるんだろ。

目指せツアコン

来月上旬、資格取得のための講習と試験を受けることになった。目的は、「総合旅程管理主任者」という資格の取得。要するに、ツアーコンダクターである。

ガイドと違うのは、ツアコンは飛行機やホテルのチェックイン、食事や宿泊など、旅程に関わる要素を管理する仕事という点だ。僕自身はそうした添乗業務をメインで担っているわけではないのだが、それでもこの資格を取る必要に迫られている理由は……インド(やっぱり)。インドのビジネスビザをスムーズに取得するためには、この「総合旅程管理主任者」の資格が必要になってしまったのだ。

インドへの渡航回数の多さや滞在期間の長さ、微妙な場所にもちょこちょこ行くことを考えると、ここらで、今後長きにわたってスムーズかつ磐石にビジネスビザを取得し続けられる体制にしておきたい。そのための布石である。

講習は3日間。1日の講習の最後にはその履修範囲の試験がある。……落ちたらどうしよう(汗)。がんばらねば。

似た者同士

ひさしぶりに、腕時計を買った。

僕は昔から、外出時に腕時計をほぼ必ずつけるたちで、以前はスウォッチやG-SHOCK、ここしばらくは高度計のついたプロトレックを愛用している。今回買ったのは、そういう安くて実用性重視のものではなく、もちろん宝飾品みたいに高価なブランド品でもない(そんなのつけてたら、それだけで気疲れする)。かといって、Apple Watchみたいに今風で多機能なものでもない。時刻と日付だけ表示する、機械式、自動巻きの腕時計だ。

ハミルトンというメーカーのラインナップにあるこの腕時計は、長い上に表記がまちまちで、正式名称がよくわからない名前を持っている。パッと見はとても地味で普通なのだが、よくよく見ると、ケースが左右非対称で、右側のふくらみに竜頭が二つ埋まっている。そのうちの一つは、内側にあるベゼルの目盛りを回転させるための竜頭という、誰がいつ何に使うのかもよくわからない機能。1970年代の英国空軍で使われていた時計が原型らしい。機構のシンプルなクオーツと違って、機械式の腕時計は、高級ブランドでなくてもそれなりの値段がする。この時計も、定価だとちょっと躊躇するような値段だったのだが、ネットで検索すると6割くらいの値段で手に入ることがわかったので、思い切って買うことにした。

今になって機械式の腕時計を初めて買ったのには、いくつか理由がある。フォーマルとまでいかなくても、ある程度きちんとした服装でも、リラックスした服装でも、どちらでもつけられるような時計が一つあると便利だということ。しばらく前からデジタル表示の時計ばかり使っていたので、長針と短針と秒針が回る時計を懐かしく、かつ新鮮に感じていたこと。あとは……自分を取り巻く時間の早い流れに左右されないようなものが、何か一つ、ほしかったのかもしれない。

その腕時計は、昨日の夜、宅配便で届いた。黒の革ベルトを腕に巻いて留めてみると、あつらえたように、ぴたりとはまった。小刻みに震えながら回る秒針。耳を近づけると、ほんのかすかに、チチチチチ、と歯車たちが回る音が聞こえる。

僕は、すっかりこの時計が気に入ってしまった。愛着というより、親近感という感情に近い。何だか似た者同士だな、と思ってしまったのだ。

ぱっと見フツーで、でも実はヘンなところもあって、ブランド品みたいな価値はなく、かといって高性能でも多機能でもなく、ぜんまいを巻かないとすぐ止まってしまうヘナチョコさ。ただ愚直に、不器用に、時刻と日付を示し続けるだけの存在。まるで自分みたいだなあ、と。

似た者同士、これからも、末長く、よろしく。

寒暖の差

タイでの取材旅行の終盤、首都バンコクまで辿り着いた時に、鼻風邪をひいてしまった。

それまでの休みなしの取材漬けの日々による疲労の蓄積も影響したとは思うが、一番の要因は、バンコクでは至るところで冷房が効き過ぎていたからだと思う。BTSやMRTなどの車内はまるで冷蔵庫のような寒さで、駅で降りるたびに眼鏡が曇ってしまうほどだった。そうした寒暖の差に、身体がついていけなかったのだろう。

寒暖の差といえば、今のバンコクと東京の気温差も相当なものだ。向こうは30℃以上、こっちは15、6℃。ほぼ倍。全身の汗腺がすっかり開ききって、体脂肪もこそげ落ちてしまっている今の自分には、なかなかつらい。まずはしっかり休養して疲労を抜きつつ、体調を整えようと思う。それにしても、際限なく眠い。

電車の中で

バンコクから深夜便で羽田空港まで戻ってきて、モノレールと電車を乗り継いで、家に向かっていた時の出来事。

浜松町でモノレールを降り、東京駅から中央線に乗り換えるため、京浜東北線に乗った。土曜の朝の車内、席は埋まっていて何人か立っている人がいたが、僕の乗ったドアのすぐ横の席はたまたますぽっと空いたばかりで、僕は膝の間に大きな荷物を抱えつつ、その席に座った。僕の左隣には、キンドルで本を読んでいる若い女の人が座っていた。

次の駅で、喪服姿で白髪の老夫婦が乗ってきた。乗ってすぐに「あとどのくらい乗るの?」「20分くらいかな」という二人の会話が聞こえたので、僕は立ち上がって荷物を担ぎ、席を譲った。老夫婦の奥さんの方が腰を下ろし、旦那さんはその前に立って吊革につかまった。

僕のいた席の左隣でキンドルを読んでいた女の人は、明らかに老夫婦のことに気づいていた。横目でチラッと二人を見ていたから。でも彼女は、微動だにしなかった。吊革につかまってよれっている白髪の男性が目の前にいるのに、自分はキンドルを読みふけっていて彼の存在に気づいていない、というふりをしていた。

すると次の駅で、その女の人の左隣に座っていた人が降りていった。彼女の左隣は空いたままだ。ちょっと腰を上げて30センチほど移動すれば、老夫婦は並んで席に座れる。でも彼女は、またしても微動だにしなかった。肩を妙に縮こまらせて、ひたすらキンドルを読みふけっている、というふりをしていた。

その女の人の一挙手一投足を目の前で見ていた僕は、何というか、驚きを通り越して、呆れてしまった。なぜ彼女は、最初の時もその次も「自分は何も気づいていない」というふりをしたのだろう。最初の機会に気づかないふりをしてしまったから、次の機会に席をずれれば、自分が気づいていたことがばれてしまうとでも思ったのだろうか。わからない。が、何にしても、彼女の視野とものの考え方は、とても「狭い」状態だったのかなあと思う。

タイの電車の車内では、老人や小さい子供が乗ってくると、若い人たちが先を争うようにサッと立ち上がって、さらりとにこやかに「お座りになってください」と言って席を譲る。それはとても自然で清々しく、やらされてる感のかけらもない、気持ちのいい光景だ。敬虔な仏教国の人々ならではの、心に根ざしている教えもあるのだろう。

でも、東京では、電車にそういう身体の弱い人が乗ってきても、見て見ぬふり、気づかないふり、をする人が、前にも増して多くなった。みんな、席に座ってスマホやキンドルをいじってないと、死んでしまうとでもいうのだろうか。

みっともないよ。そういうの、ほんとに。