「Uunchai」

デリーから羽田に飛ぶANAの機内で、インド映画「Uunchai」を観た。2022年公開の作品で、主演はアミターブ・バッチャン、アヌパム・ケール、ボーマン・イーラーニー。エベレスト・ベースキャンプ・トレックをテーマにした映画ということで、機会があれば観ておきたいと思っていた作品だった。

ベストセラー作家のアミト、婦人服店を営むジャーヴェード、書店主のオーム、そしてネパール人で裕福な実業家のブーペーンは、昔からの親友同士。ブーペーンの誕生日を祝うパーティーで楽しい一夜を過ごした後、ブーペーンは突如、心臓発作で急逝してしまう。残された三人は、ブーペーンが生前に熱心に計画していたエベレスト・ベースキャンプ・トレックに、彼の遺灰を携えて参加することを決意する。老境に差し掛かり、それぞれ人生に悩みを抱えている三人が、遥かなる高みを目指すトレッキングの日々で見出したものとは……。

全編にわたってネパールでのトレッキングの様子が描かれているのかと勝手に期待していた僕が悪いのだが、トレッキングの様子が描かれるのは映画の後半にさしかかってからで、前半のアーグラーからカーンプル、ラクナウ、ゴーラクプルといったあたりの展開は、物語上必要なくだりとはいえ、少々タルく感じられてしまった。トレッキング自体も完全に現地ロケというわけではなかったらしく、道中の危機感を煽る描写もリアリティに欠ける感じがしてしまい、うーん……。まあ、そもそもトレッキングでそこまで危機感を煽るのも、無理があるのだけれど。

作品としては悪くはないけれど、事前の勝手な期待が大きかったので、その分、ちょっと物足りない印象になってしまった。

そして物語は現れた

昨日の朝、デリーから東京に戻ってきた。

家では、蛇口をひねればお湯が出る。食べ物は、肉も魚も野菜もよりどりみどり。何から何まで快適で、正直ほっとする。この二カ月間は、そういう快適さとはまったくかけ離れた日々だったから。

でも、この二カ月間のかの地での日々は、忘れようにも忘れられない、夢のような毎日でもあった。訪れる前には想像もしていなかった出来事が、次々に起こった。そして気がつくと、一篇の物語が、僕の目の前に現れていた。これは、ちゃんと書かなければ、と思う。この物語を書き残せるのは、僕しかいないだろうから。

これもまた、ある種の運命なのだろうと思う。

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ディーリア・オーエンズ『ザリガニの鳴くところ』読了。ベストセラーになったのも納得の面白さで、グイグイ読ませる。舞台となる湿地の風景と動植物の緻密な描写は、著名な動物学者でもある著者の面目躍如といった筆致で、素晴らしかった。この本のもう一つの軸であるミステリーの謎解き部分は、やや説得力が弱く、「んん?」と感じる点もあったけれど。

ラドヤード・キプリング『キム』読了。終盤の見せ場の舞台としてスピティが登場するということで読んだ一冊。19世紀当時のインドの風景や人々の生活が鮮やかに描かれていて、楽しめる。ただ、時代的に仕方ないとはいえ、当時の英国によるインド支配を完全肯定してるのはどうなんだろう、と思う。文章も独特のくせがあって、正直ちょっと読みづらかった。

「PERFECT DAYS」

ヴィム・ヴェンダース監督の作品は、これまでにもそれなりの数を観てきた。個人的にものすごくフィットする好きな作品もあれば、正直そこまでピンと来ない作品もあった。で、最新作の「PERFECT DAYS」に関して言えば……大当たりだった。本当に素晴らしかった。

東京の下町に暮らす初老の男、平山は、渋谷界隈にある公衆トイレの清掃を生業としている。アラームもかけずに早朝に目覚め、植木に水を吹きかけ、はさみで口髭を整え、ツナギに着替える。缶コーヒーを買い、カセットテープの音楽を聴きながらワゴン車で出勤し、各所のトイレを黙々と手際よく掃除していく。神社の境内でサンドイッチと牛乳のおひる。大木の梢の木漏れ日を、コンパクトフィルムカメラで撮る。仕事を終えると、地元の地下街の飲み屋でいつもの晩酌。夜は、古書店の百均で買った文庫本を読みながら眠りにつく。

几帳面にルーティンを反復し続ける平山の日常は、同じような毎日に見えて、実は常に少しずつ違っている。同じように見える木漏れ日が、実は唯一無二の瞬間の連なりであるように。平山自身も、過去の苦い記憶と後悔と、自分自身の行末に対する漠とした不安を抱えている。それでも彼は、次の新しい朝を迎えるたび、空を見上げ、目を細める。

何気ない、でも、かけがえのない日常。その連なりこそが人生であり、だからこそ、すべての人の人生には、何かしらの意味があるのだと思う。

背骨も心も折れそうな

来週から、取材でインドに行く。約2カ月間。最近の取材の中では、まあまあ長い。

今週はその準備と荷造りに追われていたのだが、どうにか整った。しかし何というか、正直、ちょっと気が重い面もある。

まず、荷物が、でかくて、重くて、多い。容量100リットルのダッフルバッグと、カメラ2台と150-600mmの望遠レンズその他が詰まったカメラザック、携帯品所持用のショルダーバッグ、ダッフルに入りきらなかったスノーブーツを詰めたトートバッグ。全部担いで歩くだけで、結構な筋トレレベルである。背骨も心も折れそうなくらい重い。

次に、目的地が遠い。羽田から飛行機に乗ってから、目指す場所に着くまで、6日間もかかる。道路事情によっては、さらに足止めを食う可能性もある。

その他はまあ、最初から承知の上なのだが、まともに風呂に入れないとか、洗濯もままならないとか、酒もたぶんほとんど飲めないとか……。

それでもちょっと救いなのは、行く先々で、昔からの現地の友達とか、その知り合いとか、いろんな人がサポートを申し出てくれているということ。それは本当に、ありがたいことだなあと思う。

まずは、安全第一で、無事に取材をやり遂げてくること。その中で、自分が何をなすべきかを考え、実行に移してくること。目の前のものごとをありのままに見つめ、写真に写し取ってくること。くれぐれも油断せず、注意深く、頑張ってこようと思う。

帰国は3月10日の予定です。では、いってきます。

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レアード・ハント『インディアナ、インディアナ』読了。人には見えない「いろんなもの」が見えていた男、ノア。年老いた彼は今、焼け落ちた屋敷の跡に建てられた小屋で、ガラクタにしか見えないものに囲まれて暮らしている。母との記憶、父との記憶、心が壊れた妻からの手紙。過去の記憶の断片が少しずつ重なり合い、ノアのこれまでの人生が立ち現れていく。天衣無縫のようで実は緻密に計算されている構成に驚かされるし、文章も(柴田元幸さんの訳文はもちろん、おそらく原文も間違いなく)リリカルで美しい。

今、それぞれができることを

年末年始の帰省を終え、東京に戻ってきた。

帰省中は、岡山の実家の浴槽の給湯設備がぶっ壊れていて寒い思いをした他は、特に大きなトラブルもなく、家族もみな息災だった。しかし……元旦に能登半島で起こった地震は、いまだに被害の全容すら掴めないほど酷い状況だし、翌日の羽田空港の滑走路での航空機衝突事故も、普段から空港をよく利用している身としては、まったく他人事とは思えない。いずれにしても……こんなに酷いことになった年明けは、ちょっと記憶にない。

こんな状況が続いていると、身体は安全な状態であっても、心の平穏を保つのが難しくなる人もいると思う。みなさん、どうかくれぐれも、ご安全に、お大事に。その上で、今、それぞれができることを、できる範囲で。

日本赤十字社:令和6年能登半島地震災害義援金(石川県、富山県)

(株)モンベル:「令和6年能登半島地震」災害援助金の受け付けについて

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カーソン・マッカラーズ『マッカラーズ短篇集』読了。彼女の最初の長篇『心は孤独な狩人』の系譜にも連なるような、孤独でクィア(変)な人々の物語。時に寓話の登場人物に思えるほど不可思議で内面を理解し難い人々が、報われない愛や取り返しのつかない後悔に苛まれている姿が、かえって異様にリアルに感じられる。つくづく本当に凄い作家だと思う。