愚直な一撃

文章がうまい、写真がうまい、というのは、ボクシングにたとえると、軽快なフットワークで動き回りながら、華麗なコンビネーション・ブローをヒットさせていく、というスタイルに似ている気がする。プロとしてやっていくには、そういううまさ、器用さは、確かに必要なのだと思う。

その一方で、人の心をぐっと揺さぶる文章や写真は、ガードを固めて我慢しながらじりじり近づいて、ここぞというタイミングで繰り出す、渾身の一撃に似ている。不器用で愚直な一撃。たった数行の言葉、たった一枚の写真。だからこそ、届けられるものもある。

仕事で文章や写真に携わっていると、どうしても、うまいことやって綺麗に仕上げてしまおうと本能的に考えてしまいがちなのだが、時には愚直な一撃の大切さも、思い出してやっていかねば、と思う。

仕事のスイッチ

ふと気がつくと、自分自身が楽しむという目的のために、文章を書いたり、写真を撮ったりすることは、とんとなくなってしまったな、と思う。

ストラップを首にかけてカメラのグリップを握れば、それだけで自分の中で仕事のスイッチがぱちんと入る。ICレコーダーをオンにする時、紙のノートにペンを走らせる時、仕事机でキーボードを叩く時。文章も写真も、僕にとっては仕事に必要な作業という位置づけになってしまった。

でも、それはそれでいいのかもしれない、とも思う。そうして仕事のスイッチがぱちんと入っている時は、大変な時もあるけれど、何だかんだで楽しいから。仕事を楽しめているのなら、それが一番いいのかなと思う。

来年もいろんな仕事をすることになると思うけど、気持よく楽しめる仕事になるべく多く当たりますように。

丁寧に積み上げる

仕事のことでいろいろあって、正直、ちょっとやさぐれた気分になっていた時、こんなツイートのまとめがタイムラインに流れてきた。「逃げるは恥だが役に立つ」の作者の海野つなみ先生が、おかざき真里先生のツイートをまとめたものだ。

おかざき真里先生の思う「丁寧に積み上げる」「それを受け手が丁寧に拾っていく」ことの大事さ

これがもう今まさに自分が直面している事態とドンピシャすぎて、思わずハグさせていただきたくなった(すみません、苦笑)。

ジャンルもレベルも違いすぎるけれど、僕が生業としている、文章を書いたり、写真を撮ったり、編集したりといった仕事は、自分自身で大切だと思えることを、細かなディテールにまでこだわりながら一つひとつ丁寧に積み重ねていって、それを読者に「いかがでしょうか?」と差し出す仕事だと思っている。表面的にウケのよさそうな惹句で気を引こうとするとか、変に茶化して面白がらせようとするとか、そういう仕事ではない。それをやってしまったら終わりだと思っている。

きついし、しんどいし、やせ我慢かもしれないけれど、僕は読者を裏切れないし、自分自身も裏切れない。しゃあない、逃げるか(笑)。

冬至

終日、部屋で仕事。黙々と原稿を書き、データを揃えて、サーバにアップロード。今日明日で片付けなければならなかった作業が、夜中までかかったものの、どうにか終わったので、ほっとする。

今日は冬至らしいのだが、一年で一番日照時間が短い日という割には、妙にぬくいというか、空気がぬるい。明日明後日はさらに最高気温が上がるみたいだ。異常気象という言葉もすっかり耳慣れてしまった感があるが、それにしても変な天気である。

明日からは、日の射す時間が、少しずつ長くなっていく。そう思うと、ちょっと気分が軽くなる。

本にできること

昼、渋谷で打ち合わせ。ネパール料理屋でダルバートをいただきながらのランチミーティング。

「僕、大学生の時に、ヤマモトさんの本を読んでたんですよ。登戸の本屋さんに並んでたのを見つけて、普通に買って読ませていただいてました」と言われ、びっくりするやら、恐縮するやら。それと同時に、もうそんなに歳月が過ぎたのか、とも思う。「ラダックの風息」の初版を出してから、気がつくと7年の歳月が過ぎていた。

僕の知らないところで、誰かの家の本棚に、どこかの図書館の片隅に、僕の作った本がある。誰かの人生に、本当にほんのちょっとだけかもしれないけど、何かを残す。そうなっていたとしたら、とても嬉しいことだ。それは、本だからこそ、できることなのだとも思う。

「旅の本を作るという仕事」について、来年の早い時期に、人前で話をさせていただくことになりそう。本決まりになったら、よろしくお願いします。