仕事の旅と自分の旅

来月、「旅の本を作るという仕事」というテーマのトークイベントに出演することになったので、何を話そうかとあれこれ考えているうちに、ふと思い当たったこと。

たとえば、旅にまつわる文章を本や雑誌に書く仕事をしたいと志している人がいたとする。で、それに必要なスキルを身につける仕事としては、旅行関係の雑誌やムックやガイドブックを作っている会社や編プロで働くのが近道だ、と世の中の多くの人は考えると思う。僕も最初はそうなんだろうなーと考えていたのだが、あらためて、自分の知っている腕利きの旅行作家や旅写真家の方々の経歴を思い返してみると……そういうステップを踏んでいない人の方が、ずっと多かったのだ。

旅行関係の媒体を作っている会社に勤めると、独立した後も役立つ人脈を形成できるというメリットはある。でも、早い段階から仕事として課せられた旅をくりかえすことで、旅や異国に対する新鮮な感覚が磨耗してしまうかもしれないデメリットもある。実際、以前関わっていたある旅行関係の編プロにいた人は「もう取材に行きたくない……疲れた」と、うんざりした顔でぼやいていたし。

本や雑誌作り自体に必要なスキルは、別ジャンルの本や雑誌の仕事をしていても、まったく問題なく身につけられる。むしろ、若い時期ほど、行きたいと思った時に自分の好きなように旅をして、本当の意味で自分らしい経験を自分の中にたくわえていった方が、スキルと経験のバランスが取れた時に良い成果を生み出せるような気がする。あくまで僕個人の推測だけど。

仕事の旅は、自分自身の旅を満喫した後でも、いくらでもできる。自分の旅を楽しむ方が、ずっと糧になると思う。

アマゾン前のめり

昨日の夜中過ぎ、つまり日付的には今日だが、街の書店では見つけられないでいた本をまとめて何冊か、アマゾンで買った。

本がうちに届くのは早くても明日だろうと思っていたし、現に、今日の昼頃に届いたアマゾンからの発送完了メールにも、到着予定日は明日と書かれていた。ところが、今日の夕方には、もうヤマト運輸がうちまで届けに来てくれていたらしい。僕は取材で日中出払っていたので、受け取ることはできなかったのだが……。まさか、注文してから半日ちょいで届くとは想像もしてなかったし。当日お急ぎ便でも何でもなく、わざわざ一番ノーマルな設定で申し込んでおいたのに。

思い返してみると、年明けすぐにアマゾンで体重計と文庫本を一冊注文した時も、到着予定日よりも一日早く届いていた。アマゾン、なぜにそこまで前のめりに……。意図的にスピーディーに届く感覚を体感させて、アマゾンプライムに移行させようという意図なのだろうか。

とにもかくにも、ヤマト運輸さん、まじでお疲れさまです。

スポーツジムに行かなくても

今朝の時点で、体重が、年末年始の頃より2.5キロほど減った。標準体重の目安(男性の場合は身長から110、女性は105を引いた数字)まで、あと500グラム〜1キロくらい。個人的な感覚でのベストウェートまではあと3キロくらいか。とりあえず、明らかに身体が重く感じるという感覚はなくなった。

食事の量は実はほとんど減らしてなくて、普通にいろいろ食べている。間食的なものをなるべく口にしないようにしてるのと、晩酌のビールを一日おきにしてるくらい。あとはほぼ毎晩、腕立て伏せ、腹筋、スクワットを日課にするようになった。

僕は昔から、スポーツジム的なところに安くはないお金を払って通うという行為には懐疑的だ。スポーツの成績を上げたいとか、全身ムキムキになりたいとかならともかく、普通に健康な状態を維持したいだけなら、自宅で、自分の体重だけを負荷にするエクササイズを習慣的に続けるだけで十分だと思う。たとえば、腕立て伏せを20〜30回、腹筋を100回、スクワットを50回ほど、間を空けずに続けざまにやってみるといい。それだけで筋トレと有酸素運動を兼ねたサーキットトレーニングになる。

とりあえず、体重計に乗るのが単純に面白いので、もうしばらく、今の調子で続けてみようと思う。しかし、ビールを飲みたい時に飲めないのだけは、せつないなあ……(苦笑)。

コニカミノルタプラザ

午後、新宿へ。コニカミノルタプラザで開催中の小池英文さんの写真展「瀬戸内家族」へ。今日は小池さんと石川梵さんのギャラリートークがあった。台本なしの自然体なお二人のトーク、楽しかった。

小池さんたちの写真展は、コニカミノルタプラザでの最後の展示となる。来週1月23日で、このギャラリーは閉鎖となるのだ。ここの前身となるギャラリーができたのが1954年。コニカとミノルタは2003年に合併し、2006年にはカメラ関連の事業から撤退してしまったのだが、その後もコニカミノルタプラザは存続し続けた。このギャラリーでの展示をきっかけに、世に羽ばたいていった写真家は数知れない。僕も新宿でちょこっと時間のある時などに、ふらっと立ち寄ることの多い場所だった。

残念だけど、お疲れさまでした。いつか、またどこかで。

違う選択肢

昨日の深夜、ふと、そういえば、と思い当たったことなのだけれど。

6年前に他界した僕の父は、高校で国語の教師をしていた。現国、古文、漢文。でも、僕が子供の頃に父から与えられていたのは、海外文学を翻訳した本ばかりだった。岩波書店から刊行されていた本が多かったと思うが、それはもう、本当に徹底していて。日本の作家の本を与えられた記憶は、まったくと言っていいほどない。その影響が刷り込まれているからなのか、僕は今も本屋をぶらついていると、しぜんと海外文学の棚に足が向いてしまう。

父自身が海外文学を好んで読んでいたかというと、そうでもなく、書斎の本棚に収まっていたのは日本の作家の本や実用書ばかりだった。彼はなぜ、子供の頃の僕に海外文学の本ばかり与えたのだろう。当時の父の意図は、今はもう知るすべもない。ただ、もしかしたら彼は、自分自身とは違う選択肢を僕が選ぶこともできるように、可能性の幅を持たせてくれたのかもしれない、とは思う。

結果的に僕は、父とはまったく違う道を選び、イバラだらけの道に突っ込んでしまった。でも、違う選択肢を選べる幅を持たせてくれた彼には、感謝している。