年を越して

大晦日から今日まで二泊三日で安曇野に行き、岡山から来た実家方面の人間たちと合流して、年を越してきた。温泉に浸かり、そばを食べ、雑煮を食べ、酒を飲み、神社でおみくじを引いた。今年の安曇野はほとんど雪が積もっておらず、晴天が続いて、毎日、山々がよく見えた。朝方に散歩をしていると、靴の下で霜柱がさくさくと音をたてた。

新しい年の始まり、と世間はにぎやかだが、毎年のことながら、個人的にはそんなに改まった気分でもなかったりする。つまるところ、地球が太陽の周りを回る周期に合わせて、人間がとりあえず決めた日付でしかないわけだし。地球にも宇宙にも、擦れ跡すら残らない。そして人間たち自身も、正月などあっという間に忘れてしまって、恵方巻きだバレンタインだと言い始める(苦笑)。

それにしても、今年はいったい、どんな年になるのだろう。あれやこれやで苦労させられることだけは、間違いないのだけれど。

そんなに急がなくても

静かな朝。近所のパン屋でパンをいくつか買い、部屋でコーヒーをいれて、おひるに。radikoのタイムフリーで、先週聴きそこねていたバラカン・ビートを聴く。クリスマスソング特集。ひっそりと心にしみるような曲たちがかかっていて、心地いい。

先週末のクリスマスが終わったとたん、街は赤と白と緑の彩りをかなぐり捨て、一気に年の瀬、正月へとなだれ込んでいる。そんなに急がなくても……と、ついつい思ってしまう。ちょっとくらい周回遅れのクリスマス気分も、それはそれで悪くないんじゃないかな。

とはいえ、このブログを書くのも、今年は今日が最後になってしまうのも確かだ(苦笑)。明日から二泊三日で安曇野に行って、岡山から来る実家の人間たちと過ごしてきます。よいお年を。

掃除、洗濯、煮っころがし

昼頃までゆっくり寝て起きる。直近の仕事も昨日までにどうにか納まったし、今日は特に予定もない。なので、長い間サボってきた、部屋の大掃除に取りかかる。

埃を吸い込まないようにタオルを口元に巻き、あちこちに積もった埃を払い落とし、部屋中に掃除機をかけ、棚や机を雑巾で拭く。もちろん風呂場とトイレも。たっぷり2時間くらいかけて掃除して、終わってみると、何だろう、部屋が明るく感じられる(笑)。単に気持の問題だろうけど、すっきりした気分になった。

洗濯物を洗って干し、近所のスーパーに買い物に出かけ、晩ごはんは大根と里芋と豚バラの煮っころがし。野菜を5〜10分ほど下ゆでして、生姜と豚バラと合わせ調味料で炒め煮にしただけ。簡単だけど、おいしくできた。

さて。この後は、ゆっくり本でも読もうかな。

「ボンベイ・ベルベット」

ありがたいことに年末年始の恒例となりつつある、キネカ大森でのインド映画特集上映。毎年10月に開催されるIFFJには、僕はタイ取材と重なる関係で参加できないので、大森方面には足を向けて寝られない(笑)。今回はまず、ランビール・カプールとアヌシュカー・シャルマが出演したギャング映画「ボンベイ・ベルベット」を観た。

物語の舞台は、独立後まだ間もないインドの魔都、ボンベイ。貧しい娼婦に育てられたチンピラのジョニーは、仲間のチマンとともに、スリや賭けボクシングでその日暮らしの日々を送っていた。ジョニーが酒場で一目惚れした歌手のロージーは、左翼系新聞社を経営するジミーの愛人となってしまう。「大物になる」ことを目指すジョニーたちは、裏社会に通じる資産家のカンバーターの手下となり、彼の野望の邪魔となる人物を次々と排除していく。殺したり、スキャンダルを盗撮したり、誘拐したり……。それらの見返りに、ジョニーはカンバーターの経営する高級クラブ「ボンベイ・ベルベット」のマネージャーとなる。そんな彼の前に、ジミーからカンバーター側へのスパイの役目を背負わされたロージーが現れる。ジョニーに雇われ、瞬く間に「ボンベイ・ベルベット」の花形歌手となったロージー。二人の関係、そして運命は……。

まるでアメリカのギャング映画を観ているような錯覚に陥るほど、細部まで凝った造りのスタイリッシュな映像と、ロージーの歌を中心としたジャジーな音楽。そういう要素は観ていてかなり楽しめたのだが、その一方で、ジョニーやロージーをはじめとする登場人物たちの内面描写が乏しい印象で、感情移入できる部分がなかなか見当たらず、「まあ、そういう末路を辿るのも仕方ないよね……」と思ってるうちに終わってしまった感がある。もうちょっと、何とかなったんじゃないかな、という。いろんな意味で惜しい映画だった。

ちなみにこの作品、インド国内では興行的にまったくふるわなかったそうだ。そこまでひどい出来とは感じなかったのだが、やっぱりかの国では、シンプルでわかりやすい映画が受け入れられやすいのかな、と思う。

憧れた旅

終日、部屋で仕事。一昨日リアルタイムでは聴けなかった、沢木耕太郎さんの年に一度のラジオ番組「MIDNIGHT EXPRESS 天涯へ 2016」を聴きながら作業をする。

今年の沢木さんの話は、ひときわ面白かった。ついこの間まで沢木さんが出かけていた東南アジアの旅の話を、とても軽快に、楽しそうに話されていたからだと思う。サイゴンやアンコール・ワット、シーパンドンの話を聴きながら、僕はぼんやりと、あることについて考えていた。

僕が沢木さんの「深夜特急」を初めて読んだのは、大学生の頃。まだ一歩も日本から踏み出したことのなかった僕は、本を読んで、驚き、あきれ、そして憧れた。その後しばらくして大学を自主休学し、シベリア鉄道でロシアを抜けてヨーロッパを目指す旅をしたのも、その旅の体験を文章で書こうとしたのも、間違いなく沢木さんの旅への憧れからだったし、僕なりの模倣だったと思う。

それから大学を卒業し、書くことを生業にしようとあがき続け、時にまた旅に出て、といったことをくりかえしているうちに……いつのまにか僕は、ほかの誰の旅にも似ていない、僕の旅としか言いようのない旅をするようになっていた。誰にも似ていない文章を書くようになり、写真まで自分で撮るようになった。僕の旅そのものが、僕の仕事の一部になった。

実績の面では、沢木さんの足元にもはるかに及ばないし、今後も追いつくことはまずありえない。でも、沢木さんが今も沢木さんらしい旅を続けてらっしゃるように、僕も僕なりの旅を続けていけたら、とは思う。僕の旅から生まれた文章と写真の評価は、読者の方々に委ねるしかないけれど、もし、僕の本を読んで「自分も旅をしてみようかな」と思ってくれる人がほんの少しでもいてくれたとしたら、こんな嬉しいことはない。

そのための戦いは、これからも、ずっと続いていく。