体重計

アフィリエイトでたまったアマゾンのギフト券とポイントを使って、体重計を買った。タニタのHD-661-WHという、単機能のシンプルなもの。

注文して割とすぐに届いたので、さっそく計測してみる。年末に安曇野の温泉で測った時のMAX値より、約1キロのマイナス。帰京してからの節制の効果が少しは出たようだ。とはいえ、標準的な体重からはまだ2キロオーバーしている。こういう具体的な数値を自宅ですぐに把握できると、やるべきことがわかりやすくていい。

運動不足と加齢(苦笑)で、身体全体の筋肉量が落ちているのは間違いない。バランスよく適度に節制した食事を続けつつ、腹筋やスクワットによる筋肉量の維持と、有酸素運動で身体を動かす機会を増やすことが今後は必要になるかなと思う。近郊で山歩きをしたり、自転車で遠乗りをしたり、といったところか。

別に、この期に及んで身体を無闇に鍛えたいとはまったく思わないのだが、単に身体がしまりなくだらしなくなっていくのは嫌なので、まあ、ほどほどにがんばります。

危険水域

身体が、重い。年末年始に安曇野で温泉に行った時、脱衣場で体重計に乗ったら、今まで見たこともない数字が表示されていた。一般的に、身長から110を引いた数字が人間の標準的な体重だと言われているが、今はそこから3キロもオーバーしてる状態。危険水域だ。

10月末にタイから戻ってきた時点では、間違いなく2016年で一番やせた状態だった。何しろ、毎日30℃以上のカンカン照りの中を、重いカメラバッグを背負って一日中、約4週間も歩き回ってたのだから、やせないわけがない。ところが、帰国してから飲み会やら忘年会やらいろいろあって、みるみるうちにリバウンド。年内はずっと忙しくて運動不足だったのも祟った。

さすがにこのままではいかん、と、しばらく節制することにした。食事は野菜を中心にして量も控えめ、間食は基本的にせず、晩酌のビールは(涙をのんで)一日おきに。以前傷めた左膝もほぼ完治したので、風呂上がりにスクワットと、ついでに腹筋と腕立て伏せも。

今はまだ平和だけど、春から夏にかけてはまたいろいろあって忙しくなるだろうし、今のうちに身体を整えておかねば……。供給を減らして消費を増やせば、備蓄の脂肪が燃焼される。理屈としては単純なのだが……まあ、めんどくさいことは確かだ(苦笑)。

「地球の迷い方」

去年の暮れ、旅好きな人が集まった飲み会に参加した。その場に来ていた初対面の人に僕の仕事について聞かれたので、「ついこの間まで、“地球の歩き方”の取材でタイに行ってました」と答えると、あっけらかんとこんな風に返された。

「“地球の歩き方”って、“地球の迷い方”だってよく言われますよね。自分も、あれの地図を見てもどこにいるのか全然わからなかったし」

僕としては、「そうですか……。ほかの人の作った本は知りませんが、少なくとも僕は、自分の担当地域のページはそれなりにがんばって作ってるつもりなんですが」と返事するしかなかった。

仮に自分の手がけたガイドブック(全部にせよ、部分的にせよ)が批判された場合、その内容が的を射たものであれば、僕はそれを受け入れるし、次回の取材の参考にしたいとも思う。なので、批判はじゃんじゃんしてもらって構わないのだが、あの時、その初対面の人に言われたのは、もっと漠然とした、先入観のようなものからの言葉だった気がする。

「地球の歩き方」を「地球の迷い方」と揶揄する言い方は、ずっと昔から聞いてきた記憶がある。ある程度旅に慣れてきた人が、旅先の現状が「地球の歩き方」に載ってる情報から変わっていたのを見つけた時とかに、そんな風に言ったりしていた。そういう人たちの話しぶりには、「自分は“地球の歩き方”よりも正しい情報を知っている。間違った情報にもめげずにうまく切り抜けた。ガイドブックに頼るなんてカッコ悪いよ」みたいなニュアンスも、ちょこっと入っていたかもしれない。

彼らの旅の仕方を否定するつもりは全然ないのだけれど、一つだけ言えるのは、彼らが現地でモノにした、「地球の迷い方」よりも正しい最新の情報も、ほんの数カ月でまた変わってしまう可能性が少なからずあるということだ。ガイドブックの制作や改訂のための取材では、僕たち取材者は可能なかぎり最新の正しい情報を入手しようと努力する。でも、本が刊行されて数カ月か半年経ってしまえば、取材した時点から変わってしまう情報は、ほぼ必ずどこかしらに出てくる。時間を経ても完璧な内容を維持できるガイドブックなど、まず存在しない。その上で制作側は、読者が旅する時のリスクを最小限に抑えるような記載の工夫をしている。少なくとも僕はそう心がけている。

情報の鮮度による部分以外での掲載情報のミスについては、制作側はむしろ大いに批判されるべきだと思う。でも、単にざっくりしたイメージで「“地球の歩き方”に頼るなんてカッコ悪い」と言いたいがために「地球の迷い方」みたいな揶揄をする人は、正直、その揶揄自体がちょっとカッコ悪いんじゃなかろうか、と思ってしまう。本当の意味で旅を自分らしく楽しめる人は、ガイドブックに頼るか頼らないかなんて、まったく気にもしないはずだ。使える情報は参考にし、自分で確かめた方がいい情報は現地で判断する。それだけのことだ。旅の本質には、まるで関係がない。

ガイドブックだけでなく、Webやスマートフォンで大量の情報が旅先でもたやすく手に入れられる現在。個人的にはむしろ、みんな、もうちょっと迷ってみてもいいんじゃないかとすら思う。旅はある意味、迷うからこそ面白い。

「カプール家の家族写真」

年末年始のキネカ大森でのインド映画鑑賞、2本目に観たのは「カプール家の家族写真」。観る前は、ポスタービジュアルのイメージから、明るい家族モノのコメディだと思い込んでいた。確かに笑わせどころは各所に散りばめられているものの、全体的にはかなりシリアスに、家族というテーマそのものについてがっちりと描いた作品だった。

南インドの美しい避暑地クーヌールに暮らすカプール一家は、祖父アマルジートと父ハルシュ、母スニーターの3人暮らし。ある時、心臓発作で倒れて入院した祖父を見舞いに、実家を離れていた2人の息子、ラーフルとアルジュンが戻ってくる。事業に失敗した上、女性の影もちらついているハルシュ。ケータリング事業のアイデアを夫に反対され、険悪な関係になっているスニーター。ベストセラー作家として成功しているものの、人に言えない苦悩を抱えるラーフル。何をやっても長続きせず、優秀な兄に引け目を感じているアルジュン。ひさしぶりに再会しても言い争いばかりの家族たちは、それでもアマルジートの90歳の誕生日を祝おうと、たくさんの人々を招いてのパーティーを企画したのだが……。

幸せになろうとして、それぞれがんばっているのに、うまくいかなくて。誰にも言えない秘密を抱え、でも自分を理解してもらいたいのに、気持はすれ違うばかりで。やがて家族は、ある日、床に落としたコップのように、粉々に砕けてしまう。それでも家族は、かけらを一つひとつ拾い集め、どうにかこうにかつなぎ合わせようとする。たとえ、もうどこにも見つけられないかけらがあったとしても。

家族というつながりは、ある意味、とてもめんどくさい。でも、ほかのどんな人とのつながりにも代えられない絆でもある。現実の世界はなかなかハッピーエンドにはならないけれど、それでも人は、家族は、ほんのいっときでも幸せでありたいと願うのだ。

プロの書き手であり続けるための二つの基準

僕は30歳を過ぎた頃にフリーランスとして本格的に独り立ちして、編集者兼ライターとして、いくつかの雑誌で仕事をするようになった。未熟ながらもどうにかこうにか生活できていたのは、すこぶる優秀とまでいかなくても、各編集部からの要求を満たす結果をそれなりに出し続けていたからだと思う。クライアントが求めるものに可能な限り近い成果を上げるためのスキル。それを持っていることは、プロの書き手として最低限の基準だった。

でも、そうしてクライアントからの要求に応えるための仕事を何年か続けていくうちに、このままでいいのか、という気持が胸の奥で芽生えた。自分が本当に心の底から作りたいと思える一冊は、まだ作れていないのではないか。そこから僕は、なぜか日本の仕事を全部ほっぽり出してラダックくんだりまで行って本を書く、という素っ頓狂な道を選んでしまったのだが(苦笑)、今考えるとそれは、当時の自分にはまだ欠けていた、プロの書き手に求められるもう一つの基準を満たすための模索だったのかもしれない。

クライアントが求めるものに応えられるスキルを持っているのは、プロとしての最低基準。その上でクリアすべきもう一つの基準は……自分が書きたいと思えることを自分らしい形で書き、なおかつそれを周囲からも認められる仕事として成立させられるだけのスキルを持っているかどうか。そのスキルには文章力のほかに、企画力や交渉力、苦境にもへこたれない意志の強さなども含まれる。これは書き手だけでなく、写真家やイラストレーターなど他の分野でのフリーランサーにも通じる話だと思うし、それらの分野におけるアマチュアの方々との決定的な違いにもなると思う。

僕自身、自分のやりたいことだけ好きに書いたり撮ったりして生活しているわけではなく、生活費の大半はクライアントから依頼された仕事でまかなっているのだが、自分の仕事の芯となる部分に自前の企画で個性を発揮できる仕事を持ち続けることは、他のクライアントとの仕事にも好影響をもたらすし、いい形で新しい仕事につながっていくきっかけにもなる。

クライアントの要求に応えるためのスキルと、自分のやりたいことを仕事としても成立させるためのスキル。僕自身まだまだ未熟だけれど、これからもプロの書き手、そして写真家であり続けるために、二つのスキルを磨き続けていこうと思う。