億劫になる

ここしばらく、ずっと東京の自宅マンションで仕事をしている。去年の10月末にタイから戻ってきて、年末年始に2泊3日で安曇野に行ったのを除けば、かれこれ3カ月半、ずっとだ。

こういう日々がしばらく続くと、旅に出るのが、億劫になる。自分の身体になじんだ寝床。仕事机、ワークチェア、光回線に繋がっているパソコン。ステレオから流れる好きなラジオ番組。腹が減れば、食べたいものを好きに作れる台所。ちゃんと熱いお湯の出るシャワー。自分なりに快適で、楽で、落ち着ける場所。

でも、そのうち、出発しなければならない時が来る。嫌になるくらい早い時間にセットした目覚ましを止め、ダッフルバッグとカメラザックを担いで、扉を開け、鍵をかける時が。異国の見知らぬ場所で、きょろきょろあたりを見回しながら、右往左往する自分。快適でもなく、楽でもなく、落ち着けるはずもなく。

だけど、そんな時間もまた、僕の人生の一部だ。

わかっているのは、わからないということだけ

この間、友人の関健作さんのブログで、青年海外協力隊や長期の旅行など、海外で長い時間を過ごして帰国した人が陥りがちな落とし穴について、傾向と対策を分析した記事を読んだ。関さん自身の体験が練り込まれた、とてもいい記事だった。

海外で長い時間を過ごす中でいろんな体験をして、それまでの人生にない感動や達成感を味わった人が、帰国した後の日常とそこから地続きのそれまでの人生に引き戻されて、ともするとそのギャップに苦しむ羽目に陥るという話は、とてもよくわかる気がする。

じゃあ、自分の場合はどうだったのか。二十代初めにやった最初の旅の頃をふりかえってみると……帰国してからのギャップ以前に、旅をしている最中から、全然別の面で自問自答し続けていたように思う。

神戸から上海まで船で渡り、列車を乗り継いで西安から新疆ウイグル自治区を回り、北京からモンゴル経由のシベリア鉄道に乗って、ソ連崩壊直後のロシアへ。エストニアの国境でビザがないと追い返され、ほうほうのていでポーランドまで逃れ、ユーレイルユースパスを使って夜行列車を宿代わりにして、そこから2カ月。あちこちの大学の寮に居候したり、フリマで売り子を手伝ったり、時には騙されたり。いろんな人と出会い、そして別れた。やるせない悲しみにも、理不尽な憎悪にも出会った。

それまでの僕は、世界のことを何も知らなかった。今ふりかえると、信じられないほど狭い視野と価値観でしか、世の中を見ていなかった。そこそこましだろうと何の根拠もなく思っていた自分の能力や存在価値は、世界の中ではほんの取るに足りない、芥子粒のようなモノでしかないことを知った。自分は何一つ知らないし、わかっていない。わかっているのは、わからないということだけ。自分のひ弱さ、情けなさを、嫌というほど思い知らされた。

だから僕の場合、最初の旅は、自分がいかにしょうもない、取るに足りない人間かという現実を自覚するラインまで戻るための経験だったように思う。わかっているのは、わからないということだけ。たとえそうだとしても、それでも自分にできることはあるのか。あるとしたら、そのためには何が、どんな力が必要か。考えに考えた。考えながら、必要になるかもしれない能力を悪戦苦闘しながら身につけ、磨いた。二十代のほとんど全部を、そんな自問自答に費やしていた気がする。

同じような旅の経験をした人と違うところがあるとしたら……僕の場合、そこまで自問自答し続けても、自分のこれからの生き方を誰かに相談したことは、たぶん一度もない。自分の生き方は、自分で決める。人の意見に頼って後悔はしたくない。そこだけは、今までもこれからも、きっと変わらないだろう。

僕の旅は、自分の無知と無力さを思い知らされるところから始まった。人によるのかもしれないけれど、そういう旅から何かを考え始めるのも、悪くはないんじゃないかと思う。

地味で単調でしんどい仕事

冷たいみぞれが降り続いた日。終日、部屋にこもって、ロングインタビューの原稿を書く。

最近、ライターが一部でタレント化・読モ化しつつあるという話をWeb上でいくつか読んだのだが、ライターになることに憧れているという人は、今の世の中に、それなりにいるのだろうか。

ライターや編集者の仕事は、ほとんどの場合、地味で単調でしんどい仕事だ。その上、昔よりも報酬の相場は下がっている。ライター志望の人が憧れるのは、たぶん、一部の人が前面に出している、タレント的・読モ的な側面なのだろう。僕はそういうのは、正直言って苦手だ。一人で陰でコツコツ書いている方がいい。

僕の場合、二十代初めの頃、長旅の旅費稼ぎのために始めた出版社での編集アシスタントの仕事が、思いのほか性に合っていたから、今の道を辿る結果になったのだと思う。当時のバイトも、地味で単調でしんどかった。僕はたぶん、相当に物好きな部類の人間なのだろう。

そんなわけで、今日も一日、地味で単調でしんどくて、それでも好きな仕事を、がんばってみた。

相応の金額

出版不況もここまで長引く(というか、もう回復はしないと思う)と、何かにつけて辛気臭い話が多くなる。予算が減るだの、人手を減らすだの、まあ、いろいろ。

雑誌の世界は、一部の大手出版社を除けば、しばらく前から内製化が進んでいる。ライターやカメラマンの代わりに、編集者が自ら取材に行ってデジカメで写真も撮る、とか。確かにそうすれば予算は節約できるのだが、編集者にかかる負担は数倍になり、文章や写真の品質も維持できなくなる。結果、編集部は疲弊し、雑誌の品質も売上も落ち、さらに予算が削られ……という悪循環を辿っている雑誌は、今の世の中、少なくないと思う。旅行用ガイドブックなど、ライターやカメラマンが複数関わる書籍も、たぶん似たような状況だろう。

開高健さんが生前にエッセイで、「いいものを作るのに必要なのは、たっぷりの時間と手間と、必要なだけの金だ」という意味のことを書いていたと記憶しているのだけれど、確かに、本や雑誌を作るのに、お金はとても重要だ。湯水のように注ぎ込めばいいわけではないが、必要なところに適正な金額を使えないと、関わる人々の心意気だけではどうにもできない状況が必ず生じる。必要とされるスキルを持っているスタッフには、それ相応の金額を。世の中、そういうバランス感覚に戻ってほしいな、と思う。

冬の陣馬山から高尾山へ


ほぼ2年ぶりくらいに、陣馬山から高尾山までの道を歩きに行った。これだけ間が空いたのは、一昨年の夏に左膝をちょっと傷めていたのと、去年がいろいろ忙しすぎて、都内近郊の山歩きとかをしてる余裕がまるでなかったから。

このコースは何度も歩いているが、2月の寒い時期に歩いたことはない。平日ということもあって、登山者やトレイルランナーもまばら。朝の淡い光が射し込む木立の中を、ゆっくりと歩いて登る。靴底の下で、時折、霜柱がサクッと音を立てる。


陣馬山の山頂から、白い冠を戴いた富士山が、くっきりと見えた。冬晴れの青い空。息を吸い込むと、ピリッ、と音がしそうに思えるほど、空気は冷えて、澄み切っている。


二つの山の尾根伝いに歩く道は、あいかわらず快適。とはいえ、季節が季節なので、油断していると、吹き上げてくる風にあっという間に体温を奪われてしまう。遮風性のあるジャケットと、耳まで覆う帽子、手袋などは用意しておくべきだと思う。

ひさしぶりに、気分転換にも、体力維持にも、いい一日になった。