2018年の抱負

去年の今頃、「1日1回、運動をして、身体を作り直す」という目標を何となく決めたのだが、それを自分でも思いがけないほど継続することができて、身体もそれなりに軽く、動かしやすくなった。僕という人間は、何かしら目標を公言しておいた方が、そのまま遵守できるたちなのかもしれない。

というわけで、2018年の抱負も、決めた。「1日1回、少なくとも1時間、本を読む」。

ここしばらく、本を読む時間が、なかなか作れなくなってきていた。今も家には、まだ読めていない本が10冊以上はある。言い訳めいたことを書くと、日々の仕事自体が執筆や編集で四六時中文字と向き合う作業なので、忙しくて疲れ切っている時に他人の書いた文章を脳に詰め込むのは、なかなかしんどいのである。でも、その一方で、仕事を終えた後も夜更けまでネットをだらだら眺めてたりもするわけで、その時間を1日1時間でも紙の本に振り分ければ、もっと読めるだろうに、と。

というわけで、今読んでいるのは、ずっと前からなかなか読了できないでいた、ソローの「森の生活」。難解な本だからといって放棄するのもちと悔しいので、とりあえず最後まで読み切る所存。

年末年始

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

年末年始は去年と同様、安曇野で過ごしてきた。岡山から来た実家方面の人間たちと合流して、二泊三日。相手をするのが大変な子供が一番下の甥っ子に絞られてきたので、危惧していたほどには大変でもなかった。まあ、いろんな意味で疲れたのは疲れたけど(苦笑)。

それでも、安曇野のそばを二回食べられたし、村営の温泉の露天風呂にも二日間、ゆっくり浸かることができたので、メンタルのガス抜きにはなったような気もする。冷え冷えと澄み切った安曇野の空気は、散歩をしていても、本当に心地よかった。

そんなわけで、今年もぼちぼち、がんばります。

「バーフバリ 伝説誕生/王の凱旋」

2017年、少ないながらもそれなりにいろんな映画を観てきたが、最終的には「バーフバリ」の前後編2作が、なんかもう、ぜ〜んぶ持っていってしまったような気がする。

インドの架空の古代王国、マヒシュマティ王国をめぐる、愛と憎しみと戦いの物語。春に前編が公開された時は、確か新宿ピカデリーで、1日1回、1週間限定上映という形で始まったはずだ。僕はたまたまそれを観に行ったのだが、予想をはるかに上回る衝撃で……。超どでかいビッグウェーブにさらわれて、うっわあ〜と圧倒されっぱなしだった。評判が評判を呼び、前編は各地で拡大上映。満を持しての後編は、段違いに大きな規模での上映となった。僕自身、後編は公開初日の席をネット予約して劇場に向かったのだが、そうまでするほど観るのが待ち遠しいと思えた映画は、ずいぶんひさしぶりな気がする。

とにかく、すべての場面、あらゆる要素が、過剰すぎるくらい過剰。カッコよすぎるくらいカッコよく、美しすぎるくらい美しく、激しすぎるくらい激しい。でも、そうして盛りに盛られた(でも緻密に作り込まれている)場面描写のビッグウェーブにどっぷり浸っているのが、この上なく心地いい。現実離れしてるとか荒唐無稽だとか、そんな指摘にはまったく何の意味もない。まずは何も考えずに、観て、圧倒されて、茫然とする(笑)。それが「バーフバリ」の楽しみ方だと思う。ジャイ、マヒシュマティ!

「希望のかなた」

アキ・カウリスマキ監督の新作「希望のかなた」は、前作「ル・アーヴルの靴みがき」から始まった「港町3部作」改め「難民3部作」の2作目。前作はアフリカから来た不法移民の少年だったが、今回は戦乱に揺れるシリアから逃れてきた青年、カーリドが主人公。ハンガリー国境で生き別れとなった妹を探すべく、言葉も何もわからないフィンランドで難民申請をして、悪戦苦闘するカーリド。そんな彼と偶然出会った人々、一人ひとりのささやかな善意が、彼の行く先を少しずつ照らしていく……。

「ル・アーヴルの靴みがき」には意図的に現実離れした結末が用意されていたが、「希望のかなた」にはそれとある意味対照的な、一筋縄ではいかない展開がセットされている。世の中には善意を持つ人々が大勢いるけれど、理解に苦しむ悪意を抱く人もわずかながら(あるいは少なからず)いる。時には、そんな悪意の刃が、取り返しのつかない事態を呼び寄せることもある。

カウリスマキ監督がこの作品で描こうとしたのは、ある意味、そうした現実の構造そのものだったのだろう。彼独特の台詞回しと間合いと場面描写とで作品自体がフィクショナライズされていることで、かえって今の世界の生々しさと不条理さが浮かび上がってきて、後を引く。

それでも僕は、この「希望のかなた」の結末は、ハッピー・エンドだと思えて仕方ないのだ。僕たち一人ひとりが、これからの世界をハッピー・エンドに向かわせる努力をしなければならない。本当の希望は、たぶんその先にあるのだろう。

本屋がなければ

昼のうちに今年最後の原稿を推敲して、写真データとともに納品。午後は部屋で音楽を聴きながら、ぱらぱらと本を読む。こういうの、ひさしぶりな気がする。

晩飯に作るカレーの材料と、明日の朝に食べる食パンを買うため、夕方、三鷹駅まで出かける。そういえば、と思って、駅ビルにある文教堂書店へ。年明けに閉店することになったと、Twitter経由で知ったので。行ってみると、店自体の雰囲気はさほど変わらないものの、あちこちに閉店を知らせる貼り紙がしてあって、何だかせつなくなった。

僕が三鷹で暮らすようになって、途中ラダック関係でブランクはあったものの、かれこれ十数年になる。その間に閉店が決まった本屋は、たしかこれで3軒目だ。この界隈に残る新刊書店は、南口のコラル内にある啓文堂書店と、北口から徒歩5分の場所にあるTSUTAYAくらいではないだろうか。

本が、雑誌が売れない。本屋が持ちこたえられずに閉店する。本の流通が減る。この悪循環は、もう止めようがないのかもしれない。それでも、街に本屋がなければ、やっぱり困る。僕らの暮らしの中から、何か決定的なものが欠けてしまうような気がする。だからといって、どうすればいいのか、僕にはわからないのだが。

本づくりを生業にする人間として、いろいろ考えさせられる、年の末。