Category: Essay

ブログ×Twitter×Facebookページの連携についての覚え書き

今年に入ってから、ブログ「Days in Ladakh」と並行して、TwitterアカウントFacebookページを運用するようになった。いろいろ試しながらやっているうちに、これらのソーシャルメディアの連携と使い分けのコツが、少しずつ自分なりにつかめてきたような気がするので、ここでざっくりまとめてみる。

ブログ、Twitter、Facebookページには、それぞれ他の二つと自動的に連携させるための機能が用意されている。たとえばブログに新しいエントリーを投稿すれば、そのタイトルとURLをTwitterやFacebookページに自動的に投稿させることができる。TwitterとFacebookページとの間では、互いの投稿を相手にも反映させることが可能だ。ただ、技術的に可能だからといって、すべてを自動化して三つのメディアの内容を同期させるのは、はっきり言ってあまり意味がない。特に、その三つのメディアをすべて見ようとする熱心なユーザーにとっては、同じような情報を二度も三度も見せられてしまうので、ウザいだけだ。

ブログ、Twitter、Facebookページで、それぞれどんな種類のコンテンツを、どんな形で発信していくのか? それぞれのメディアの特徴を見極めた上で、使い分け方を考えておくことが必要になる。

ボランティアについて思うこと

僕が初めてボランティアらしい体験をしたのは、今から十年ほど前、コルカタにあるマザーハウスでのことだった。

旅の途中で知り合った人に誘われて、僕は、カーリー寺院の近くにある「死を待つ人々の家」で、末期の患者さんたちに食事を配ったり、シーツや衣服を洗って干す手伝いをした。そこには同じように手伝いをしに集まった、大勢の日本人の若者たちがいた。会社を辞めて作家になろうと考えている人、二週間の休暇を全部注ぎ込んでマザーハウスに来ている人、夏休みで旅行している大学生‥‥。洗濯物がはためく屋上で、彼らとおひるを食べながらお互いの話をした時のことは、今もよく憶えている。

日本では、以前からダライ・ラマ法王日本代表部事務所のサポートをしている。ダライ・ラマ法王(僕たちは猊下とお呼びしている)が来日されて講演や法話を行われる時に、会場の入場整理やマスコミ対応、場内警備などのお手伝いをしたり。以前、護国寺でチベットフェスが開催された時は、ほぼ毎日会場に通って、設営や入場受付の手伝いをしたりもした。当時の法王事務所のボランティア仲間たちとは、そんなこんなですっかり仲良しになった。

マザーハウスや法王事務所のボランティアをしていた人たちに共通して感じたのは‥‥みんな本当に「気持のいい」人たちだなあ、ということ。彼らには、自分がボランティアという行為をしていることをひけらかす意識は微塵もない。そこに困っている人がいるから、そこに人手が足りないから、自分が手伝う。ただそれだけ。見返りとか、周囲の評価とか、そんなものはまったくどうでもいい。僕が彼らに人間的な魅力を感じるのは、そういう清々しさなのだろうなと思う。実際、僕自身も彼らから学んだことはたくさんあった。

世間には、自身のボランティア活動をまるで職業か何かのように謳う人もいるけれど、ボランティアは、そんな風にひけらかすものではないような気がする。やりたい人が、やれる範囲で、スーッと当たり前にやればいいこと。そういう世の中になれば、もっといいのになと思う。

僕が就職活動を止めた理由

クラシコムさんの会社説明会についてのエントリーを読んでいるうちに、自分について思い出したことをつらつらと。

僕は今まで、企業の正社員として働いた経験がない。アルバイトだったり、契約社員だったりといった働き方をしているうちに、いつのまにかフリーランスになっていた。

もちろん、最初から就職することを放棄していたわけではない。大学四年の初め頃は、同学年の他の学生たちと同じように紺色のスーツを着て、いくつかの会社の面接を受けて回ったりしていた。当時からぼんやりと出版関係の仕事に就きたいと考えていたから、回るのはもっぱら出版社。でも、そうして会社回りをしていても、僕はずっと、うまく言葉にできない違和感のようなものを感じていた。

僕はいったい、何をやりたいんだろう?

その頃の僕は、他の学生がしているのと同じように就職活動をして、卒業したら会社勤めをするのが当たり前だと考えていた。世間体に合わせて就職するのが唯一の道で、それ以外の選択肢があるかもしれないことを、想像すらしていなかった。でも、面接に行く先々で、会社への忠誠心を試すような質問ばかりされているうちに、僕は自分が本当にこの人たちの会社に就職したいと思っているのか、わからなくなった。自分自身が何をやりたいのかあやふやなまま、何となく就職してしまってもいいのだろうか、と。

そんな風に悩んでいた時、当時お世話になっていた方から、こう言われたのだ。

「まあ、別にすぐに就職しなくても、一年くらい大学を休んで、旅でもしてきたら?」

そのひとことで、僕の心は、くびきから解き放たれたかのように軽くなった。そうか、今すぐ就職したくないのなら、しなくてもいいんだ。旅に出る、という選択肢もあるんだ。

僕は、ぱったりと就職活動を止めた。大学を自主休学し、バイトで旅費を稼ぎ、本当に旅に出てしまった。上海まで船で渡って、シベリア鉄道でソ連崩壊直後のロシアを抜け、夜行列車を宿代わりにヨーロッパを巡るという、初めての海外にしてはいささか無謀な旅に。

今思うと、あの時、就職活動を止めて、本当によかったと思う。初めての海外放浪は、二十歳そこそこの若僧にはとても受け止めきれないほどの圧倒的な現実を見せてくれたし、小さな出版社での旅費稼ぎのバイトを通じて、就職活動をしていた頃にはまったくわかっていなかった、本作りの仕事の厳しさと楽しさを知った。そして何より「自分が本当に心の底から作りたいと思える本を作る」という、今も変わらない目標を見出すことができた。まあ、そこからの下積みというか紆余曲折というか、苦労は人一倍しているけれど(笑)。

当たり前と思っていた道を踏み外したことで、僕は、自分の道を見つけることができたような気がする。

退路を断つ

僕という人間は、自分でやり遂げようと思ったことを、そのまま臆面もなく口に出してしまうところがある。

小学生の時、突然「将棋の棋士になりたい」と言い出して、親に全力で止められた記憶がある(笑)。大学生の時は、「就職活動をやめて、バイトで金を貯めて旅に出る」と宣言して、周囲に呆れられながらそのまま実行してしまった。出版社で働くようになってからも「俺は物書きになる」と言い続けていたし、「ラダックで一、二年くらい暮らして、自分の写真と文章を本にする」と言って本当にやらかしてしまったのは、その最たる例かもしれない。

単に頑固というのもあるが、口に出すことで退路を断ち、自分自身にプレッシャーをかけている部分もある。たぶん、僕にはこういうやり方が合っているのだろう。

このやり方のいいところは、やり遂げようと思って口に出した時点で、他の人から応援してもらえるようになること。それはそれでプレッシャーになる場合もあるが、逆に、思いもよらないサポートを得られることもある。「ラダックの風息」を書いていた時、どれだけ周囲の人々に助けられたかわからない。

もちろん、口に出したからといって、あらゆる目標が叶えられるわけではない。僕自身、うまくいかなくて挫折した経験もたくさんある。でも、その過程で自分なりに全力を尽くしていれば、それを見てくれている人は必ずいる。あきらめてすべてを投げ出したとしても、ほんの幾許かは、目には見えないものが残る。

ただし、やりたいと思ったことを、あれもこれもとやたらめったら口に出して、結局どれも中途半端で投げ出してしまうのは、一番よくない。少なくとも、僕はその人を信頼できるとは思わない。あれこれ迷いながら、やりたいことを選び出したら、ばしっと退路を断って、全力で臨むべきだと思う。

退路を断って、何か一つのことをやり遂げたら、確実に、そこから何かが変わる。

僕にとっての幸せ

最近、またブータンのGNH(Gross National Happiness、国民総幸福量)が注目を集めているらしい。では、自分が幸せを感じる瞬間というのはどんな時だろう? とちょっと考えてみた。

刹那的な幸せを感じたのは‥‥たとえば、長い間取り組んでいた仕事が終わって、打ち上げに李朝園で特上リブロースや上ミノをほおばりながら、ビールをごきゅっ、とやってる時とか(笑)。別の意味で「生きててよかった」的な幸せを感じたのは、冬のチャダルで雪と氷の中を歩き続け、身体が冷え切ってフラフラな状態で辿り着いた洞窟で、焚き火にあたりながら熱いチャイをすすり込んだ時、とかだろうか。

でも、一番幸せを感じるのは、自分が書いた本を読んでくださった方々から、手紙やメールやブログへのコメントで、あるいは直接お会いした時に、読後の感想をいただいた時だと思う。

僕の書いた本の部数は正直そんなにたいした数ではないし、本を手に取ってくださった方々全員が、書かれた内容に共感してくれるとはかぎらない。それでも、わざわざ時間と手間をかけて感想を送ってくださる方が今でも大勢いるというのは、本当にありがたいことだと思う。自分が伝えたかったことがその人に届いて、ほんの幾許かでも心を軽くしてあげられたのかもしれないと考えると、じんわりと嬉しさがこみ上げる。お金では換算できない、気持のやりとりがそこにある。

それが、僕にとっての幸せ。そして、物書きという割に合わない仕事を続けている理由でもある。