Category: Essay

氷河と寝袋

この間、毛布と布団の正しい使い方というのがネットで話題になっていた。これはたぶん、羽毛布団のロフトを最大限に活かすための使い方というのがキモなのだろう。僕はもともと羽毛布団(安物だけど)の上に毛布をかけていたのだが、試しに身体の下にも薄手の綿毛布を敷いてみたところ、確かに暖かい。下に敷く毛布が分厚すぎたり、材質がアクリルだったりすると、かえって寝苦しくなりそうだけど。

まあそれはそれとして、寝る時に一番暖かい寝具は、やっぱり寝袋だと思う(笑)。さすがに自分の家でわざわざ寝袋を使ったりはしないけど、何だかんだで、寝袋で寝起きしている回数は普通の人よりもだいぶ多いはずなので、そのありがたみは十分わかっているつもり。

僕が持っているのはマウンテンハードウェア製のものが二つで、一つは使い勝手のいいスリーシーズン用、もう一つは冬のラダックやこの間のアラスカでのキャンプで使った厳寒期用。厳寒期用は、襟元までみっちりダウンが詰まっているマイナス20℃くらいまで耐えられる仕様のもので、実際、チャダル・トレックや雪のワンダーレイクでもぐっすり眠ることができた。

でも、寝袋の世界にも、上には上がある。たぶん最強クラスなのは軍用の寝袋だろう。ラダックでも、地元の人々はインド軍の放出品の寝袋を使っている。これはめっちゃでかくてかさばるのだが、インナーとアウターを組み合わせて使うモジュラー構造になっていて、両方使うとものすごく暖かい。あまりにも暖かすぎるので、チャダルあたりでは片方だけ使っている人も多かった。

どうしてそんなに過剰なほど暖かい仕様になっているのかというと‥‥インドの最北部、ラダックのヌブラよりさらに北には、今もインドとパキスタンが領有権を争っている、シアチェン氷河という場所がある。ここは標高が6000メートル前後もあって、世界で最も標高の高い戦場とも言われている。そんなとんでもない場所で野営するのにも耐えられるように開発されたのが、この過剰に暖かい寝袋なのだそうだ。

世の中、いろんな場所で寝てる人がいるものである。

風景を撮るのも、人を撮るのも

「旅先で人の写真を撮る時は、どんな風にして撮ってるんですか?」という質問をされることが、割とよくある。人の写真がどうもうまく撮れない、何かいい方法があるのではないか、と思っている人が多いらしいのだ。

僕も写真で駆け出しの頃は(まあ今も駆け出しみたいなものだけど)、人を撮る時には、それ以外と何か違うアプローチがあるのでは、と手探りしていた時期があった。でも最近は、風景を撮るのも、人を撮るのも、自分にとっては同じことだな、と思うようになった。

こう書くと、「風景はその場にいれば誰でも同じように撮れるから、人を撮る方が難しくて技術が必要なのに決まってる」とか、あるいは「人を風景と同じようにモノ扱いして撮っているのか」と受け止める人もいるかもしれない。でも、僕にとっては、どちらもそうではない。人を撮るのに使う技術と同じくらい、風景を撮るのにもいろんな技術が必要になる(僕はそれらのごく一部しか使えていない)。そして僕は、特にここ数年、風景を撮る時にも、人を撮る時と同じように、その場面に気持を注ぎ込もうと考えながらカメラを構えている。気持を注ぎ込めば山や海が微笑んでくれるわけではないとは思うけど、何というか‥‥そこには何かの差が生まれるような気がするのだ。気持を注ぎ込んだ自分ならではの。

何だか雲をつかむような話になってしまったけど、風景を撮るのも、動物を撮るのも、人を撮るのも、僕にとってはやっぱり同じだなと思う。

旅立った人へ

代官山蔦屋書店の森本剛史さんが、昨日の早朝に亡くなられたという報せが届いた。

代官山蔦屋書店で旅行コンシェルジュを務められていた森本さんは、100カ国以上を旅してきたトラベルライターでもあり、文字通り、旅と本に関する本物のプロフェッショナルだった。僕が森本さんと初めてお会いしたのは、二年前の初夏。知人の編集者さんの紹介で、発売したばかりの「ラダック ザンスカール トラベルガイド」の件でお店にご挨拶に伺ったのだが、とても親身に話を聞いてくださって、店内でのラダックのトークイベント開催を提案していただいたりした。その後もお店でお会いするたびに、最近の売れ行きや面白そうな作家さんのことなど、気さくに話をしてくださっていた。

昨年の秋、森本さんは入院して大きな手術を受けられたのだが、今年に入ってお店にも復帰されて、春先に「撮り・旅!」に載せる旅と写真のおすすめ本の紹介記事の執筆をお願いした時も、快く引き受けてくださっていた。大入り満員になった「撮り・旅!」の刊行記念トークイベントをやろうと提案してくださったのも森本さんだった。でも、その前後から再び入退院をくりかえされるようになって‥‥。たぶん「撮り・旅!」の記事が、活字になった森本さんの最後のお仕事だったのではないかと思う。

森本さんの親しい友人だった方が、Facebookに「友が旅立った」と書かれていたが、「旅立った」という言葉で見送られるのが森本さんほど似合う人は、他にいないと思う。それにしても、急な旅立ちだった。発売の後にちゃんとお会いして「撮り・旅!」完成のお礼を伝えられなかったことが、本当に悔やんでも悔やみきれない。

「本は旅を連れてくる」。旅行コンシェルジュだった森本さんが、常日頃から同僚の方々に言っていた言葉だという。たぶん森本さんは、旅の力を、本の力を、最後の最後まで信じ続けていたのだ。それが人に、かけがえのない何かをもたらしてくれることを。

僕もまた、旅にまつわる本を作る仕事をしているけれど、さんざん苦労させられる割にさっぱり儲からないし、このままどこまでいってもやせ我慢なだけなのではないかと、暗澹とした気持になることがある。自分の作っている本にはたしてこの世に存在する意味はあるのか、単なる自己満足なだけなのではないか、とさえ思うこともある。

でも。それでも。

僕はこれからも、旅にまつわる本を作り続けると思う。それが誰かに、旅を連れてきてくれることを願って。それが誰かに、何かを変える力を与えてくれることを願って。森本さんに笑われないような本を、一冊々々、作り続ける。

本当に、おつかれさまでした。どうか、よい旅を。

ウィルダネスへの畏れ

ワンダーレイクをはじめとするデナリ国立公園のキャンプ場には、頑丈なフードロッカーが設置されている。食べ物や飲み物のほか、歯磨き粉や化粧品など匂いのするものはすべて、テントではなくフードロッカーに入れておくことが義務づけられている。テント内での料理や食事も禁止。人間が寝起きするテントから匂いを出してはいけないのだ。キャンプ場ではなく、バックカントリー・パーミットを取って原野を歩いてキャンプをする場合は、食料は頑丈なプラスチック製のベアーコンテナに入れて密閉し、テントから離れた場所に置いておくように指導されている。

もし、テントで食事をしたり、食料など匂いのするものをテントに置いていたりしたら、大げさでも何でもなく、自殺行為になる。彼の地に生息するクマをはじめとする野生動物は、匂いのするものにとても敏感だ。不用意な管理の仕方をしていると、自分のいる場所にわざわざクマを呼び寄せてしまうことになる。

今回、ワンダーレイクのキャンプ場で知り合った人は、去年、サンクチュアリ・リバーのキャンプ場でテントを張って寝ていた時、隣のテントがクマに一撃で潰されてしまったそうだ。幸い、そのテントの中にはその時誰もいなかったのだが、迂闊にもリップクリームか何か、匂いのする化粧品をテントの中に置いていたらしい。ほんのちょっとした不注意が、命取りになりかねない。

それでも、アラスカの国立公園では、人間の都合に合わせてクマなどを追い払おうという考えは一切ない。彼の地の主人公はあくまで野生の動物たちであって、人間はよそ者でしかないのだ。よそ者は分をわきまえて、自然をできるだけあるがままの姿に保つことに協力しなければならない。

途方もなく大きな手つかずの自然、ウィルダネスへの畏れと、そして憧れ。アラスカという土地の魅力の一つは、間違いなくそこにあると思う。

原野での食事

約二週間のアラスカ滞在中、キャンプをしたのは9日間。その間の食糧は、いろいろ考えた末、8割くらいを日本で調達して持ち込んだ。フリーズドライのごはんシリーズとパスタを各種取り混ぜて、カップヌードルのリフィル(中身だけパックしたもの)も用意した。カップヌードルは、起きてからバスに乗るまで時間のない朝に食べるのに重宝した。

アンカレッジでも、フリーズドライのアウトドア用食品はたくさん店頭に並んでいたが、どれもアメリカンサイズでかなり量が多そうだったし、味も未知数だったので、とりあえず今回は大半を持ち込むことで失敗を回避できたのはよかった。次にまた機会があれば、パスタなどは現地調達にすると思うけど。

アンカレッジのスーパーで調達したのは、携行食糧としてクリフバーとチョコレートを日数分、一杯分ずつ小分けになったココア、インスタントコーヒーの小瓶、それから偶然見つけた日本のメーカーの魚の缶詰など。チョコレートやココアなどの甘いものは寒さをしのぐ上でも有効だし、コーヒーでカフェインを摂って一息つくような余裕を持つのも大事。夕食のおかずに缶詰が一缶つくと、それだけでずいぶんリッチな気分になれる。

ある程度長い期間キャンプを張る時は、食べ物や飲み物にどうやって楽しみを見つけて気分転換につなげるか、というのも大事になる。あまりストイックになりすぎると、長丁場では精神的にきつい。今回は、そういう点では食事の時間をうまく楽しみながら、息抜きにできたのではないかと思う。