Category: Diary

たとえ付け焼き刃でも

昨日のエントリーの続きというか、ライターの仕事について少し。

ライターをやっていると、いろんなジャンルのクライアントから取材を依頼される。時には、まったくの畑違いの仕事を手がけなければならない。僕自身、Webにもほとんど情報がない医療機器のメーカーからの依頼を受けて、途方に暮れた経験がある(苦笑)。

でも、そういう時に「自分の専門外なので‥‥」と言い訳するのは、プロとしては許されない。無理なら最初から引き受けない方がいい。引き受けるなら、わからないことはできるだけ事前に下調べをして、自分なりの準備をして取材に臨む。もちろん、そういった準備は付け焼き刃でしかなく、その分野のエキスパートからしてみれば物足りない知識かもしれない。それは仕方がないことだ。

大事なのは、その付け焼き刃の知識を足がかりにして、きっちり取材をして、自分の中であやふやな部分を全部潰し、予備知識のない読者にも理解できるような記事にまとめあげること。わからない部分は、訊く。調べる。確認する。そういう地道な作業の積み重ねが、ライターの仕事だ。

たとえ付け焼き刃でも、工夫と努力を怠らなければ、ちゃんと斬れる。自分自身、それを改めて肝に命じておきたい。

自分へのインタビュー

夕方、メールが届いた。先月、自分がインタビューされた時の原稿が、内容確認のために送られてきたのだ。

添付ファイルを開いてみると‥‥うーん、これは‥‥(苦笑)。文章がいい悪い以前に、基本的な部分の情報が、ことごとく間違っている。ちょっと本やネットで調べれば、すぐわかることなのに‥‥。コメントの抜き出し方もチグハグで、この文章で僕に何を言わせようとしているのか、僕でさえ理解できない(苦笑)。

「こことここを直してください」といった修正指示ではとてもフォローできないレベルなので、先方と相談した結果、「じゃ、僕が自分でリライトします」という結論になった。その後、夜半過ぎまで、このリライト作業にかかりきり。

自分がインタビューされた原稿を、自分でリライトする。シュールだ(苦笑)。あの日、わざわざ出かけて、二時間近くも一生懸命しゃべったのは、何だったんだろう‥‥。まあ、間違った情報を載せられるよりは、ずっとましだけど。

アラスカへ

昨日のエントリーの続きというわけではないのだが、来年の夏の終わり頃、半月ほどアラスカに行くことになった。

もともと、両親が旅仲間の友人夫妻とともにアラスカへの手配旅行を準備していて、すでに予約金は支払っていたそうなのだが、父がいなくなった分の穴をどうするかという話になり、代わりに僕が母と一緒に参加することになった‥‥という次第。

参加にあたっての問題は二つあった。一つは旅費。その手配旅行の参加費用は、ぶっちゃけ僕には到底払えないような金額だったのだが、父の旅費として用意していた分で母が建て替えてくれるというので、どうにか解決。もう一つは、僕が団体行動がからきし苦手なこと(苦笑)。これも、両親の友人夫妻が「高樹さんは、キャンプ・デナリ滞在中は一人で自由に行動してもいいですよ」と提案してくれたので、何とかなりそう。ほんとすみません(笑)。

そう、アラスカでの滞在場所は、キャンプ・デナリ。星野道夫さんの本にも何度となく登場する、シリア・ハンターとジニー・ウッドが建てた伝説のロッジ。今回、こういう巡り合わせでそこを訪れることになったのも、何かの縁なのだろう。アラスカへの最初の一歩としては、悪くない。

単独者の「血」

この間、押し入れの中にあった本や雑誌を処分するために整理していたら、懐かしいものが出てきた。雑誌「Switch」1994年7月号、特集・星野道夫

当時、僕は「Switch」の編集部でアルバイトをしていて、この特集のために収録された、湯川豊さんによる星野道夫さんへのインタビューのテープ起こしを担当した。まだ大学にも在籍していた僕は、編集のイロハもろくに知らず、テープ起こしもほとんど初めてといっていいほどのペーペーだった。かなり長大なインタビューを分担して作業していたので、テープ起こしの内容は断片的にしか憶えていない。

それでも、湯川さんが星野さんと植村直己さんを比較して話をしていた時のくだりは、今でもはっきりと憶えている。植村さんは、生き物の影さえない大氷原の中で、テントを張ってたった一人でいる時、嬉しくて嬉しくて仕方がなかったのだという。誰もいないはるか遠くへ、一人で行く。そのことが「嬉しくて嬉しくて仕方がない」のは、植村さんや星野さんに共通する単独者の「血」のようなものなのではないか、と湯川さんは話していた。

当時の僕には、星野さんや植村さんのそういう「血」の話は、あまりにも自分とかけ離れているように思えて、ちゃんとは理解できなかった。でも、ここ数年、ラダックで積み重ねてきた経験で、その「嬉しくて嬉しくて仕方がない」気持が、少しわかったような気がする。一応、二、三度は山の中で死にかけたし(苦笑)。

遠くへ、一人で。そうでなければ感じられない、自分の弱さ、ちっぽけさ。僕にも、ちょびっとはそういう「血」が流れているのだろうか。

「知らなかった」でいいの?

チベット本土で今、僧侶をはじめとするチベット人たちによる焼身自殺が相次いでいる。今年三月、アバのキルティ・ゴンパの若い僧侶が焼身自殺したのを皮切りに、アバやカンゼで、若い僧侶や尼僧、一般のチベット人たちが、次々と焼身自殺を遂げているのだ。今日、デリーの中国大使館前で焼身自殺を試みた男性を含めると、その数、なんと12人。異常としか言いようがない。

自らの命と引き換えに彼らが訴えているものは、みな同じ。50年前から続いている、中国当局がチベット人とチベット仏教に対して行っている理不尽な弾圧をやめるように、中国に、そして国際社会に対して訴えかけているのだ。

焼身自殺という手段自体は、決して称賛すべきやり方ではない、と僕は思う。でも、そういう最後の手段を選ばざるを得ないほど、チベット本土の人々はあらゆる面で追い詰められている。自由も、宗教も、文化も、誇りも‥‥心そのものまで、無惨に踏みにじられて。そして、焼身自殺でもしなければ振り向いてもらえないほど、国際社会の人々の関心が薄いということも、彼らがそういう手段を選んでしまう一因となっている。

三年前にチベットで起こった騒乱の時、六本木の抗議デモに集まった何千人もの人々は、もう、チベットのことはすっかり忘れてしまったのだろうか? あれからチベットでは、何も変わっていないし、何も終わっていない。むしろ、状況はますます悪くなっているというのに。

今回の焼身自殺のことも、「へー、知らなかった」という人が日本では大半なのかもしれない。でも、その無関心こそが、チベットで次々に焼身自殺が繰り返される原因になっているのだ。「知らなかった」で済ませていいわけがない。

一人でも多くの人に、チベットの人々が置かれている悲惨な状況を知ってもらうこと。それが、今の僕たちがまずやらなければならないことだと思う。