Category: Diary

桜の花が咲く頃に

午後、赤坂で打ち合わせ。これから作る新しいラダックの本について、担当編集者さんから現在の状況を聞き、細かいポイントをすり合わせていく。

基本的な条件面は申し分ないし、本づくりの方針についても、編集者さんと共犯関係が築けたので、いい方向に向かっていけそうな手応え。問題があるとすれば、スケジュールか‥‥。プロモーションの関係で、来年の初夏までに店頭に並べたいという要請。なら、もっと早く企画を承認してくれればよかったのに(苦笑)。まあ、やるしかないか。

打ち合わせが終わった後、赤坂から四ッ谷駅まで歩く。西の空が、燃えるような真紅に染まっている。土手の上の桜並木は、今はすっかり冬枯れだけど、桜の花が咲く頃には、新しい本のカタチができているといいな。がんばらねば。

小さなプレゼント

昨日まで降っていた雨も止んで、今日はすっきりと澄み切った青空。それにつられて、十日ぶりくらいに電車に乗って都心へ。神宮外苑の銀杏並木でも見物に行こうかと思った次第。晴れていても風は冷たく、ピーコートを着ていてちょうどいいくらい。もうすっかり冬だな。

銀杏並木の黄葉は、冷たい雨に散ってしまったのか、すでに盛りを過ぎた感じで、ちょっぴり残念。でも、ひさびさに寄ったCAFE246でうまいタコライスを食べ、隣のBOOK246で旅の本たちをゆっくり見られたのは楽しかった。旅の本ではないけど、岡山にいる姪っ子と甥っ子へのクリスマスプレゼントに、もうひとつの研究所のパラパラブックスを買う。単語帳くらいのかわいいサイズで、びっくりするくらい緻密で愉快なパラパラマンガが楽しめる。僕自身、店頭のサンプルで、しばらく素で遊んでしまった(笑)。

ぶっちゃけ、たとえば甥っ子の場合、仮面ライダーや戦隊モノのグッズなら100パーセント喜ぶとは思うのだが、それはもう岡山でさんざん与えられているから‥‥。まあ、こんな天の邪鬼な叔父がいてもいいんじゃないかな(笑)。

無神経な広告

これは、僕自身ではなく、知人が体験したことなのだけれど。

先日、知人が書店で本を買った時、ちょっと変わったブックカバーをつけられたのだという。そのブックカバーには、ソニーの電子書籍リーダーの広告が印刷されていたのだ。

ソニーや広告会社からしてみれば、自社の商品を売り込みたい読書好きな人にアピールする意図でこういう広告を企画したのだと思う。でも、知人は、自分が楽しみに買った本にそういうブックカバーをかけられてしまって、何だか残念で寂しい気持になったのだそうだ。僕がその立場でも、同じように感じたと思う。

読書好きな人すべてが、紙の本も電子書籍も分け隔てなく受け入れているわけではない。また、両方を受け入れている人でも、紙の本を買う時には愛着のある「モノ」として欲しいと思うから買う場合が多いだろう。電子書籍の広告入りブックカバーを発案した人は、それで嫌な気持になる人も少なからずいるということまで、考えが及んでいなかったのではないだろうか。

はっきり言って、紙の本が好きな人にとっては無神経な広告でしかないと思う。ソニー、残念。

戦いの火蓋

午後、メールで吉報が届く。今、準備を進めているラダックに関する本の企画が、出版社内で承認されたという。

この本の企画は、今年の初め頃に出版社に持ち込んで、すぐに担当編集者さんについてもらえるなど、割と順調な滑り出し。五月頃までには新刊会議での承認を経て予算を付けてもらって、夏にラダックに取材に行く計画だった。ところが、三月の東日本大震災の影響で、その出版社内での企画の検討がストップ。編集者さんからは「取材は来年にしたらどうか」とも言われたのだが、そうすると、本を出すのが再来年になってしまう。僕はしばらく考えた末、新刊会議での承認を待たず、取材費を自腹で一時立て替える形にして、ラダックに取材に行くことにした。

正式な予算がついていないのに、見切り発車で海外取材。他の人から見たら、相当に無謀に思われるかもしれない(苦笑)。でも、僕としては十分に勝算があったし、前に「ラダックの風息」を書くために、出版社のアテも何もない状態で取材をした時の方がはるかに大きな博打だったから、それほど心配はしていなかった。

正式承認までずいぶん時間がかかってしまったが、発売予定の来夏までには、まだまだ時間がある。戦いの火蓋が、いよいよ切って落とされた。

雑誌に思う

夕方、ラーメンを食べに行くついでに、三鷹の駅ビル内の書店へ。雑誌売り場をぶらつく。‥‥多いなあ、付録つきの雑誌。間に付録を挟んだまま、がんじがらめに縛られて、もう、雑誌だか何だかわからない。

思えば、雑誌というものを買った記憶が、ここしばらくない。雑誌編集者出身だというのに‥‥(苦笑)。いや、だからこそ、買おうと思えないのかもしれない。正直なところ、今は「お、これは買わねば!」と思える雑誌が、ほとんど皆無なのだ。日本の雑誌は、今のジリ貧の状況を立て直せないまま、ますます衰退してしまうのかもしれない。

でも、だからといって、雑誌というカタチの本そのものを、嫌いにはなれない。いつか、どこかでチャンスがあれば、また雑誌のようなものを手がけてみたい、という気持はある。もちろん、何をやるのかが一番大事なわけだが‥‥。作ってみたいな、いつか。季刊「ラダック」とか?(笑)