Category: Diary

安心のための選択

夕方、かなり大きな地震。うちはマンションの一階だし、さほど揺れはしなかったが、揺れ続けた時間の長さに不安がよぎる。東北地方に津波警報。場所によっては、1メートルくらいの津波が観測されたらしい。大事には至らなくて、ほっとする。

東日本大震災の記憶が薄らぎかけている人もいる中での、この余震。来週末の選挙の結果にも、かなり影響するような気がする。少なくとも僕は、原発の維持を唱える政党には投票したくないし、その辺をむにゃむにゃ言ってごまかしたり、言ってることがコロコロ変わったりする政党にも投票したくない。まあ、反原発を唱えている政党でも、具体的なビジョンや方策を何も持たないまま、票集めのためだけにそう言いふらしてる輩も少なくないのが、頭の痛いところではあるが‥‥。

結局、安心できるかどうか、なのだと思う。安心して暮らしていくための選択をする機会は、今度の選挙を逃したらしばらくは訪れない。国民投票ができない以上、この際、原発について、イエス・ノーの意思表示をするための選挙と割り切ってもいいような気がしている。僕はそのつもりで、投票所に行く。

費やした時間

昼、買い物などのため、都心へ。途中で六本木に寄り、今日が最終日だった星野道夫さんの写真展「アラスカ 悠久の時を旅する」を見る。

星野さんのアラスカでの取材の足跡を追う形で展示されていた写真の数々は、写真集で見慣れたものもあれば、未公開のものもあったが、どれも富士フイルム謹製の美しい大型パネルにされていて、見応えがあった。カリブーの大群、雪上を彷徨う狼、夜空を紅に染めるオーロラ。見ていて頭をよぎったのは、星野さんがこの一枚々々の写真を撮るのに費やした、膨大な時間のことだった。

たとえば、ムースの交尾の場面の写真には「これを撮るために五年待ち続けた」といったキャプションがさらりと添えられていた。他の写真も、ちょこっと出かけてささっと撮ってこれたようなものは、一枚もない。執念‥‥というのとは、ちょっと違うと思う。あの、とてつもない広がりを持つアラスカの自然と向き合うには、そんな風にしてじっくり時間をかけていくのが、一番いいやり方なのだ、きっと。

僕もいつか戻りたいな、あの高い空の下に。

ナロとの再会

午後、自転車に乗って、小金井方面へ。たかしまてつをさんと中村文さんのお宅に伺う。

こっちに引っ越されてからお宅にお邪魔するのは初めて。一軒家の二階はアトリエになっていて、何というかもう、夢のような空間。壁から窓辺から襖に至るまで、たかしまさんの絵でぎっしり埋め尽くされている。個展の会場かと思うほど。いいなあ。

中村さんとの仕事の打ち合わせの後、一階の縁側にいたナロにご挨拶。会うのは二年半ぶり、三度目くらいかな。前の時はほんの子猫の頃だったが、今はすらりとした妙齢のお嬢さんに成長していた。そして相変わらず、筋金入りのビビリ(笑)。僕のことも訝しそうな目で見ていたが、そんなにダメでもなかったらしく、用心深く、くんかくんかしてきた。緊張してうずくまってこっちを見てるうちに、寝落ちしそうになったりして(笑)。めんこいのう。

何だかすっかりいい気分で、僕はペダルを踏んで家路についたのだった。

アラバマとキューバ

昼から午後にかけて、ひとしきり編集作業や連絡業務。それも夕方には片付いて、部屋でCDを聴いたりして、しばしのんびり。

最近よく聴いてるのは、アラバマ・シェイクスの「Boys & Girls」。サザン・ロックやソウルを主にやっているバンドで、とにかくパワフル、でもあったかい。ずどーん、ぎゅわーん、ぼわーん、と聴いてて実にキモチイイ。何か変な擬音だが(笑)、ほんとそんな感じなんだもの。

もう一枚、この間買ったのが、マテオ・ストーンマンという人の「Mi Linda Havana」(マイ・ビューティフル・ハバナ)。畠山美由紀さんがブログで激賞されてたのだが、これは名盤。キューバをこよなく愛する彼が何年もの時間をかけて作り上げたアルバムだそうで、か細いと言っていいほどの(だがそれがいい)繊細なヴォーカルと、たゆたうようなピアノとギターがたまらない。いかん、心地よすぎて、これを聴くと眠気が‥‥。

アラバマだったり、キューバだったり、部屋の中で脳内プチトリップ。行ってみたいな。

そば湯

夕方、ひさしぶりに「きびや」へ。三鷹南口にある、そばの名店。以前は割とよく行っていたが、こちらが引っ越して距離が離れたのと、人気が上がって常に混み合うようになってから、しばらく足が遠のいていた。

注文したのは、玉子焼き、揚げだし豆腐、つけ鴨そば。あと、焼酎のそば湯割り。そばはきりっと角が立っていて美しいし、鴨の肉は柔らかいし、料理もどれもうまかった。ひと通りたいらげてから、鴨の旨味が溶けたつけ汁をそば湯で割って飲む。

そばを食べた後にすするそば湯は、おいしいものを堪能した後の穏やかなフィナーレみたいな感じで、とても好きだ。だいたい、焼酎があれば必ずそば湯割りにして注文するくらいだし。ある意味、茹でる時の副産物でしかないのに、偉大な存在だなあ、と思う。

反省した。これからは、もっとそばを食べよう。