Category: Diary

身体が緩む

すっかり春めいてきた。近所の木蓮の花びらも、散り朽ちる寸前。あと十日も経てば若葉が芽吹くだろう。

午後、六本木で仕事。今日はとにかく暖かくて、シャンブレーのシャツにコーデュロイのジャケットを羽織っただけでも全然問題なかった。ついこの間までダウンジャケットの世話になっていたのに。取材はどうにか無事に乗り切り、帰りに新宿でラーメンを食べ、三鷹ではまほろばで珈琲豆、こいけ菓子店でショートブレッド、たかねで道明寺を買う。

先週末からちょっと体調がイマイチだったけど、寒さが緩んで、身体の緊張も緩んだというか、ほっとした感覚でいる。それでなくても忙しかったり神経をすり減らしたりだったから、なおさらだ。

まあ、その一方で運動不足も極まっているので、フィジカル的に悪い意味でもすっかり緩んでいるのだが。春先にちょっと山歩きでもして、引き締めなければ。

かさぶたと亀裂

年に一度くらいの割合で、口元にヘルペスができる。たいていは、疲れ果てている時だ。去年は確か、ノルウェーの北極圏で踵を雪に埋めながらオーロラを撮って、飛行機を乗り継いで帰ってくる途中に発症した。

一週間前にできたヘルペスは、最初にピリピリきてた頃からまめに薬を塗っていたので、さほど悪化することもなく、すぐにかさぶたができた。だが、この「かさぶた期」は結構難儀だ。何かを食べようとしたり、ちょっと大口を開けてあくびをしたりすると、ピリッとかさぶたが裂けて、意外なほど血がだらだら滲み出たりする。自分一人でいる分にはどうでもいいが、近くに人がいる時に下唇から流血とかしたら、ぎょっとされてしまうに違いない。

このかさぶたと亀裂を我慢するのに、あと一週間くらいかかるかな。やれやれ。

木蓮、花冷え

週末、ぐったりしつつも仕事をしてどうにか乗り切り、今日はまた昼から、白金高輪方面で取材。原稿を書いたそばからすぐ次の取材。なかなかにしんどい(苦笑)。

今日は、冷たい雨が一日中降り続いた。外を出歩く時も、ゴアテックスのパーカの内側にインナーダウンとベストとタートルネックセーターを着込み、手袋をはめ、防寒用の帽子をかぶった。ついこの間、カバーオールジャケットとネルシャツで出歩いていたのが嘘のようだ。

ここ数日の冷え込みは、例年と比べてもちょっと珍しいほどだとか。先週の暖かさにつられて咲いた木蓮の花も、あっという間に咲き散ってしまうかと思いきや、この冷え込みにびっくりしたのか、まだ踏み止まっている。来週明けくらいかな、東京で桜が咲きはじめるのは。

頭が重い

目覚まし時計をセットすることなく、昼頃まで寝る。起き抜けはそうでもなかったが、仕事を始めようとする頃になって、次第に頭が重くなってきた。

普段頭痛がする時は、こめかみのあたりがズキズキ脈打つ感じなのだが、今日のはちょっと違う。頭の奥、中心部のあたりから、ずーん、と鈍痛がのしかかってくる。いても立ってもいられないわけではないけど、思考が止まってしまうのだ。原稿を書こうとしても、まったく考えがまとまらない。

熱はないし、風邪っぽい症状もないし、食欲も普通にある。ただ、頭が重い。考えごとができない。

……疲れてるんだな、これは。いろいろありすぎだ、最近。ま、しゃーない。

五年、そして今思うこと

午前中、市ヶ谷で取材。終わった後、午後は荻窪の雷鳥社へ。新刊「ラダックの風息[新装版]」の見本誌をチェックして、自分用に数冊受け取る。ようやくこの瞬間が来た。本を作る時、この瞬間は毎回感無量だけど、この本は、準備段階から費やした時間も労力も、注ぎ込んだ思いも桁違いだから、その分、喜びもひとしおだ。いい本に仕上がったと思う。

五年前の3月11日、あの震災が起こって、あまりにも非現実的で理不尽にも思える惨事が報じられ続けた日々。お金を寄付してみたりもしたけれど、本当の意味で何をすべきなのかと考えた僕は、「自分が世の中に対してできることを精一杯やる」という選択に行き着いた。僕の場合、それは本を作ることだった。その年の夏、僕は取材費用を自腹で立て替えてラダックに飛び、「ラダック ザンスカール トラベルガイド」を作るための取材に取り組んだ。

それから五年の間に、僕は「撮り・旅!」を含めて、自分の企画の本を3冊作ったことになる。編集者としては多いとは言えない。まして、その3冊が世の中で何かの役に立つともあまり思えない。存在しなければしないで、誰も何も気にしない程度の本でしかないのかもしれない。

でも、今の世の中で、みんながそれぞれの場所で自分にできることに精一杯取り組めば、たとえ一つひとつはささやかなものでしかなくても、何かが少しずつ良い方向に向くのでは、とも思うのだ。そうして精一杯生きることが、五年前に理不尽な形で立ち去っていかざるを得なかった人々に対しての敬意のようなものなのかもしれない、と僕は思う。

忘れないこと。ささやかでも、精一杯生きること。これからも続けていければと思う。