Category: Diary

「好きだ」と言ってもらえる本を

生まれてこのかた、女性の方から先に「好きです」と言ってもらえた回数は、指折り数えてもたぶん片手で足りるほどしかない。だから、そんな風に言われるとどのくらい嬉しいと感じるのか、正直よく覚えていない(緊張するし、その時に相手のことをどう思ってたかもあるし)。

でも、自分の作った本を「この本が好きです」と言ってもらえた時の嬉しさは、本当によくわかる気がする。そういう機会がたま〜にあるのだが、面と向かってそう言ってもらえると、相手の顔も見れないくらい恥ずかしくて恐縮してしまう。同時に、その場で飛び上がりたくなるほど嬉しくもなる。まるで、校舎の裏に呼び出されて告白された中学生男子みたいに(笑)。もちろん相手の方は老若男女さまざまだし、伝わる手段も直接会うだけでなく、メールや手紙など、いろいろなのだけれど。

火曜日の打ち合わせの時、約5年前に書いた本のアンケートハガキの裏面のコピーをまとめたものをもらった。いろんなコメントがあったのだが、その本を、本来の機能や役割以上の部分で気に入ってくれていた方が思いのほか多くて、部屋の中で一人、校舎裏の中学生男子のようにもきゅもきゅしながら読ませていただいた。中には「今、入院中ですが、読んでとても気分が晴れやかになりました」という方からのハガキもあって、ありがたいなあ、としみじみ思った。

みなさん、本当に、ありがとうございます。感謝の気持を、次に作る本にがつっと込めるべく、がんばります。また、「この本が好きです」と言ってもらえるように。

死を思う

午後、八丁堀で打ち合わせ。2時間ほどみっちり話し込む。早めの晩飯にビリヤニを食べ、東京駅から中央線に乗って、帰路につく。

電車が三鷹駅にすべりこんで、さて降りるか……と思ったら、ドアが開かない。乗っていた電車の先頭で人身事故が起こったとのアナウンス。それから15分ほど、車内で待つことになった。こういう事態は二度目の経験だ。

まだ若い女性の車掌さんが、気丈に平静を装いつつ、最後尾から車内を移動していく。非常用ノブでドアを開けようとして止められてるおっさん。なぜか楽しげにおしゃべりしてるおばさんたち。さっさとドア開けりゃーいいのに、と大声で好き放題言ってるあんちゃんたち。そういう人たちもいるにはいたが、ほとんどの人は、ぎゅっと胸を押しつぶされたような顔で、黙ってスマホをいじっていた。

どんな人が。何の理由で。僕には知る由もない。悲しいし、やるせない。

生きることに絶望してしまう人もいれば、生きたくても生きられない人もいる。自らを殺してしまう人もいれば、誰かに殺されてしまう人もいる。人間はどうして、こうもうまくやれないのだろう。

殴り書きという仕事

朝から夕方まで、大学案件の取材。先週と同じパターンで、1件につき約1時間、4件連続のインタビュー。わんこそば状態である。

今日取材した方々の中に、綺麗な字を書ける技術を習得することの意義について話していただいた方がいたのだが、僕はその目の前で、インタビューしながら汚い字でノートにメモを殴り書きしていたので、視線が痛かったというか、何だかちと申し訳なかった(苦笑)。

でもまあ、ぶっちゃけ、仕方ないといえば仕方ない。事前準備はするけれど、それでもろくに予備知識もないまま相手の話を聞いてその内容の把握に努めつつ、次の質問や話の展開をどうするかという戦略を脳みそフル稼働で策定し、相手に相槌を打って笑顔を見せたりしながら、ほとんど手元を見もせずにペンを動かしてノートを取るのだ。そこで美しい字を書こうとかいう余裕が持てるわけがない。

というわけで、これからも取材ノートは僕一人にしか読めない汚い殴り書きで書き続けますが、ご容赦のほどを。

青菜大量消費スープ

昨日は杉並区のブータンイベントにちょっと顔を出したり、吉祥寺で新そばを食べたりしたのだが、今日は終日、部屋で原稿執筆。明日も一日中取材があるので、少しでも進めておかないと年末が結構やばい。

一昨日、実家から大量に野菜が届いたので、ダメになる前に消費しなければならない。根菜はまだ日もちするからいいけど、青菜の類は早く食べないと黄色くしおれてしまう。特に、レタスやサラダ菜はサラダでたくさん食べようとすると大変だし、おなかが冷える。なので、今夜はレタスをスープにしてしまうことにした。

鍋でニンニクと生姜をごま油で炒め、冷蔵庫で余ってたソーセージを刻んで一緒に炒め、水を注いで、鶏ガラスープの粉末を投入。煮立ってきたら手で適当にちぎったレタスを投入し、軽く煮立たせてから溶き卵を回し入れて火を止める。最後に塩こしょう。5分で完成。

身体もあったまるし、テキトーに作っても大丈夫だし、青菜を大量消費できる。あと何回か作らないとまだまだ追いつかないけど。

子供と大人の味覚

食べ物に関して、僕はほとんど好き嫌いがない。日本人感覚でいうゲテモノは自ら進んで食べたりはしないが、食えと言われたら、まあ、食えなくもない。この間もタイの田舎町で、何かの拍子に炒ったイモムシをすすめられて、ぽいっと食べちゃったし。

でも、子供の頃は、嫌いとまではいかないけど、別にうまくもないなあと思いながら食べてたものは、結構たくさんあったような気がする。たとえば、岡山県はばら寿司が割と有名だが、あれに使われる酢じめの魚やレンコンといった具材が苦手で、ばら寿司自体もうまいとは全然思っていなかった。焼いたアナゴも割とよく食卓に上っていたけど小骨の感触が好きになれなかったし、野菜だとさやいんげんとかさやえんどうの類はもきゅもきゅした歯ごたえがイマイチだと思っていた。まあでも、そういうのを食べずに残すことが許されるような育てられ方でもなかったし。

今となっては、どれもこれも、何のためらいもなく、ぱくぱく食べられる。子供と大人、味の感じ方というのは変わるものだなあと思う。単に鈍くなっただけかもしれないが。